夢を見る楽しみがなくなった。
「夢を見る」には言うまでもなく2つの意味がある。
覚醒時に見る未来の夢と。
寝てるときに見る夢と。
この記事で書くのは、寝てるときに見る夢のこと。
若いときは寝ることが好きだったんです。特別に何か今すぐやらなければならないことがなければ、1日中寝ていても、「暇だ」と思うことはありませんでした。
寝る前にはいつも、映画館にでも行くように「どんな夢を見るんだろう?」とか「今日は何本立ての映画だろう?」なんて思いながら横になったものです。今では、眠らなくても生活になんら支障がなければ、起きて何かやったほうがいい、という感じ。何時までには絶対寝なければ、という意識はありません。眠くなったら寝る。眠くなかったら無理して寝ない。とはいえ、たいていいつも同じくらいの時間に寝て、たいていいつも同じくらいの時間に起きる。目覚まし時計はセットしない。
おそらく、これまでに生きてきた中で、何千回も夢を見てきたことでしょう。目が覚めたと同時に忘れている夢も多いことでしょうね。
今も覚えている夢もありますが、それも時が経てば、きっと忘れる日が来るでしょう。
もうだいぶ前になりますが、明恵上人の「夢日記」を読んだことがあります。他にも「夢日記」を書いていた人はいるかもしれませんが、これほど克明に書かれた夢日記は、現存する夢日記の中では、最古の書物のひとつでしょう。
文学作品だと、三島由紀夫の「春の雪」に、松枝清顕の夢日記が登場しますが、これはフィクションですが、『豊饒の海』四部作自体が全部、夢の中の出来事だと言えるかもしれません。
ドストエフスキーの『罪と罰』にも、何度か主人公・ラスコーリニコフの夢が書かれていますが、未来を予言しているかのように思える時があります。
一言で夢といっても、色々考えてみると、本当に実在するものなのか、単なるフィクションなのか、その境目が曖昧に思えてきます。
寝てる時に見る夢も、覚醒時に見る夢も、それが実在するならば、少なからず未来を形作る力になりえるという点で、同じものかもしれませんね。だから、英語の「dream」も、日本語も「夢」も、どちらもひとつの単語に2つの意味を持っているのでしょう。
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記事を読んで頂き、ありがとうございます。お気持ちにお応えられるように、つとめて参ります。今後ともよろしくお願いいたします