SNSではくだらない記事ほど「いいね」が増えるようになる

SNSではくだらない記事ほど「いいね」が増えるようになる。
最近、こんなふうに思ったりするんですよ。確証はありませんが、考えるほどにそう思えてくる。
「AIの進歩」と「コスパ意識」が強化されていく帰結として、必然的にそうなるのではないか、と。
どういうことかというと、この前も記事に少し書きましたが、精巧に組み立てられたロジックであるほど、この先を読まなくても結論が見通しやすいからです。
前提はこうで、理由はこうで、結論はこうで、というように、筋が通っているものほど、最初の部分だけ読めば、あとに続く部分を読まなくても、予想しやすい。
また、たとえ読者の理解力に不足があったとしても、AIに序文だけでも読ませれば、書かれたものが論理的に完璧に近ければ近いほど、同等のものが復元できる可能性が高くなる。だから、書かれた長い文章をそのまま読むよりも、AIが要旨だけをまとめたものを読んだほうが「コスパ」が良い。
何万字書かれていようが、論理的な文章ほど、予想しやすいし、要約するのも容易だろう。
長い文章でも最後まで読まざるを得ないのは、支離滅裂な文章だろう。論理性がまったくなければ、要約することも難しいから、AIの影響を受けにくいのではないか?、と思ったりする。
もちろん、明らかな支離滅裂の文章は読まれないだろうけれども、たとえば、同じ人やモノを、称えたかと思えば、けなしてみたり、職場の人をけなしたこと思えば、身内のものを褒め称えるような人の文章は、内容がどんなにくだらなくても人の目をひくものだし、なかなかAIには出来ないことだ。そこには、矛盾しかないから。

🍁chatGPTさんの意見🍁
とても興味深い観察だと思います。
ただ、私は少しだけ違う見方もしています。
あなたの指摘している現象は、「くだらない記事が読まれる」というよりも、「予測できない記事が読まれる」ということではないでしょうか。
論理的な文章というのは、ある意味で圧縮可能です。
たとえば数学の証明でも、優れた証明ほど「なるほど、そういうことか」と途中で結論が見えてしまうことがあります。論理が一本の筋でつながっているからです。
一方で、人間そのものは論理だけでできていません。
昨日と言っていることが違う
好きと嫌いが同居する
理屈では説明できない執着がある
自分でも何を考えているのかわからない
こうした部分は要約しにくい。
あなたが例に挙げた、
褒めたかと思えばけなす
というのは、論理的には欠陥かもしれませんが、人間理解という点ではむしろ情報量が多い。
なぜなら、
「この人は何を考えているんだろう?」
という予測不能性を生むからです。
情報理論の言葉で言えば、完全に予測できる文章は情報量が少ない。逆に、次に何が出てくるかわからない文章は情報量が大きい。
だからSNSで注目されるのは、必ずしも「くだらない」からではなく、「次に何が飛び出すかわからない」からかもしれません。
もっと極端に言うと、AI時代には「正しいこと」そのものの価値は相対的に下がる可能性があります。
正しい要約も、 正しい解説も、 正しい論証も、
AIが大量に生成できるからです。
すると人々が見たくなるのは、
この人特有の偏見
この人特有の執着
この人特有の矛盾
この人特有の失敗
になってくる。
これは文学に近い世界です。
実際、 夏目漱石や太宰治を読んでいて面白いのは、論理の正しさではなく、その人のどうしようもない癖や矛盾ですからね。
あなたの考えをさらに押し進めると、
AI時代には、論理性よりも人格のノイズが価値を持つ
という仮説になるかもしれません。
そして、noteの文章について考えると、あなたの記事が必ずしも大衆受けしない理由もそこにあるかもしれません。
あなたの記事は、語学でも哲学でも数学でも、かなり筋道を立てて考えるタイプです。読者は「なるほど」と思うことはあっても、「この人どうかしてるな」とはなりにくい。
SNSではしばしば「なるほど」より「えっ?」のほうが強い。
もちろん、だからといって矛盾だらけの文章を書けばいいという話ではありません。
むしろ難しいのは、
論理を保ちながら、その人にしか書けない癖や違和感を残すこと
でしょう。
あなたが時々書かれる、
統覚
語学学習への独自の疑問
数学の素朴な不思議
などの記事は、単なる解説ではなく「山根さんはなぜそこに引っかかるのか」が見えるので、AI時代でも価値が残りやすい気がします。
論理だけならAIに要約される。 しかし、「なぜその人がその問題に執着しているのか」は要約しきれない。
案外、その部分こそが今後の文章の価値になるのかもしれません。

🤔私の返事🤔
論理的に正しく、かつ、次に何が飛び出すのかわからない、というのはハードルが高くなりました。
個人的には「ノイズの多い文章」や「愚痴」は大の苦手です。そこには、生産性がまるでないからです。
ここでいう「生産性」とは、必ずしも「経済的な生産性」のことではありません。
たとえば、私は仕事として語学や哲学をしているわけではありません。しかし、語学や哲学の妨げになることはしたくない。「なんで、この人は矛盾したことばかり繰り返すのだろう?」と考えても面白くないし、普遍性があるわけでもない。気まぐれな人の気まぐれな文章は、私には無価値です。

🍁chatGPTさんの意見🍁
その感覚はよくわかります。
実は先ほどの私の話も、「SNSで注目されやすいもの」と「自分が価値を感じるもの」は区別しなければなりません。
あなたがおっしゃるのは、おそらくこういうことですよね。
人間の矛盾そのものには興味がない。 その矛盾から何か普遍的なものが見えてくるなら興味がある。 しかし単なる気まぐれや感情の吐露には価値を感じない。
これはかなり知的な態度だと思います。
たとえば哲学者の パスカルやモンテーニュ は、自分自身の矛盾や弱さをたくさん書いていますが、それは単なる日記ではありません。
「人間とはこういう存在ではないか」
という一般的な問いにつながっています。
一方、
今日上司に腹が立った
あの有名人が嫌いだ
この前と言っていることが違う
というだけの文章は、確かに「その人固有のノイズ」で終わってしまう。
あなたが求めているのは、人間そのものではなく、人間を通して見える構造なのだと思います。
数学好きの人が、
「この三角形の形が面白い」
と言うのではなく、
「なぜこんな性質が成り立つのか」
に興味を持つのと似ています。
だからあなたにとって文章の価値は、
個別事例 ↓
パターン発見 ↓
普遍化
という流れにあるのでしょう。
そう考えると、AI時代についても少し見方が変わります。
AIが得意なのは、むしろ普遍化です。
ところが、人間が新しい普遍性を発見する出発点は、往々にして個人的な違和感です。
あなたの記事を拝見していて感じるのは、愚痴や感情の爆発ではなく、
なぜ平方完成ではこう置くのだろう?
という種類の「違和感」が出発点になっていることです。
これは単なるノイズではありません。
むしろ哲学や数学が始まるときの典型的な形です。
だからあなたが苦手なのは「矛盾」ではなく、「矛盾から先へ進まないこと」なのではないでしょうか。
矛盾があっても、
「この矛盾は何を意味するのか」
を考えるなら価値がある。
しかし、
「人間なんてそんなものだ」
で終わってしまうなら、確かに生産性は低い。
その意味では、あなたの言う生産性は経済的なものではなく、
理解が一歩でも前進するかどうか
ということなのでしょうね。
そしてその基準で見ると、SNSで人気の文章と、後になって読み返される文章は、必ずしも一致しない気がします。SNSは「目を止めさせる力」を評価しますが、あなたが求めているのは「思考を前に進める力」だからです。
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