エッセイ&対話 | 英語学習法
英語学習法。
「話す、聞く、書く、読む」4技能をバランスよく学ぶということが常識のように語られることが多い。
4技能をバランスよく学ぶということ自体に異論はないけれども、人間の体は1つしかないから、同時に全てを満たす学習法はない。
現在の日本の英語教育では、4技能を唱いつつも、(成果が上がっているとか、実態はどうかということはさておき)「話す」ことに重きを置くようになった。「訳読中心」から「会話中心」へ舵をきった。
しかし、考えてみればこれはおかしなことだ。母語ならば、赤ん坊が親やその周辺の人の会話を耳で聞き、文字を学び、読むことを覚える。これは自然な流れだ。けれども、母語を学ぶプロセスを外国語学習にそのまま当てはめることは妥当だとは思わない。
母語という第一言語は、その人の「型紙」を作る。型紙ができる前に、たとえば、日本語と英語を学べばバイリンガルになるだろう。けれども、どちらも中途半端なる可能性がある。リスニングの面では、幼児期に同時に複数の言語を学ぶことにメリットはありそうだが、すべての人に当てはめることには無理があるだろう。また、小さい頃から無理に会話させることは、しっかりとした型紙を作ることを阻害するかもしれない。
私は4技能をバランスよく学ぶ前に、ちゃんと「読む」ことができるようになることが大切だと考えている。その意味で、必要最小限の単語を覚えて、文法を理解して、書かれてあることを理解するという「訳読」という学習法は、決して間違ってはいないだろう。その上で、原文の発音を学び、それを聞き取り、それを使って文を組み立てるというのが、最短距離の学習だろうと考える。
読めなければ、理解できない。いかに上手に復唱できたとしても、鸚鵡の物真似に等しい。また、文法を知らなければ、新しい文を作ることはできない。最初から会話することを目指すのは、物真似上手を作るようなものだ。
訳読という学習法が間違っているわけではなく、それだけで終わってしまうのが良くない、というのがまず出発点になる。
英語を話せないのは、文法や単語の理解が乏しいことと、たくさんの英文を読むという訓練が足りないからだろう。最初から下手に、リスニングもライティングもスピーキングもバランスよくしようとするから同じ間違いを繰り返すように思えてならない。
文法といっても、話すだけならば、中学生程度の文法知識があればいい。高校で学ぶ英文法まで習熟すれば、文法に関しては完璧だ。
多くの日本人は、文法知識に関して、一通り学んでいる。それでも、自由に話したり書いたりできないのは、圧倒的に「読む」ということが少ないからではないだろうか?
英文科を卒業した人でも、100冊の原文を読んでいるだろうか?
英語を使いこなしたいなら、浅薄な英会話に飛び付くよりも、しっかりと100冊程度の本を読めるようにすることが先ではないだろうか?

🍁ChatGPTさんの感想🍁
面白いですし、山根さんらしい問題提起だと思います。
特に良いと思ったのは、「訳読か会話か」という二項対立にせず、
訳読という学習法が間違っているわけではなく、それだけで終わってしまうのが良くない
と書いている点です。
現在の英語教育論では、「昔の訳読はダメだった」「これからは会話だ」という単純な議論になりがちですが、この文章は「読む力が土台であり、その上に聞く・話すがある」という立場を明確にしているので、一貫性があります。
また、
読めなければ、理解できない。いかに上手に復唱できたとしても、鸚鵡の物真似に等しい。
という部分は、かなり印象に残ります。英会話教材への過度な期待に対する批判として機能しています。
一方で、少し気になった点もあります。
1. 「読むことが先」の根拠をもう少し示したい
文章全体の主張は
読む → 聞く → 話す・書く
という順番が効率的である
というものですが、現状ではやや「信念表明」に近く見えます。
例えば、
なぜ読むことが語彙力増強につながるのか
なぜ大量読書が作文力や会話力にも波及するのか
を一段説明すると説得力が増します。
2. 「100冊」は少し危険な数字
最後の
100冊程度の本を読めるようにすることが先ではないだろうか?
は勢いがあって良いのですが、
読者によっては
「100冊読まないと話せないの?」
と反論したくなるかもしれません。
むしろ
まずは英語で一冊の本を最後まで読めるようになること
くらいから始めてもいいかもしれません。
「100冊」は象徴的な数字としては面白いですが、議論の弱点にもなり得ます。
3. 「型紙」の比喩は魅力的
個人的には、
母語という第一言語は、その人の「型紙」を作る。
ここが一番面白かったです。
山根さんは哲学や言語についてよく書かれていますが、この「型紙」という表現は抽象的なのに分かりやすい。
ただし、この比喩は重要なので、
型紙とは何か
思考の枠組みなのか
世界認識の枠組みなのか
を少しだけ補足するとさらに印象に残ると思います。
全体としては、
「英会話偏重への異議申し立て」
というより、
「読書軽視への異議申し立て」
として読むと非常に筋が通っています。
そして実は最後の一文よりも、
多くの日本人は、文法知識に関して、一通り学んでいる。それでも、自由に話したり書いたりできないのは、圧倒的に「読む」ということが少ないからではないだろうか?
この一節の方が核心だと感じました。
ここを結論に持ってくると、文章全体がより引き締まる気がします。

🤔ChatGPTさんへの私の返事🤔
確かにそうですね。「信念表明」というのは、私もそう思います。
私の意図は、日本人が日本語を最初に覚えたように、耳から学び、そのあとに話すという流れを外国語学習にそのまま持ち込むことは、かえって非効率的なのではないか?、ということです。
100冊と書いたのは、「読むことを軽視するな!」ということを強調するためです。一冊の本を隅々まで読み込むことは、達成感や自信にもつながりますね。でも、100冊くらいは字面だけでも追っておくことがあってもいい、と思っています。すべての本をせいどく精読できるわけではありませんからね。

🍁ChatGPTさんの返事🍁
その補足を聞いて、文章の狙いがよく分かりました。
実は山根さんの主張は、
「読むことが万能である」
ではなく、
「母語習得モデルを外国語学習にそのまま持ち込むのはおかしいのではないか」
というところにあるのですね。
これは十分に論じる価値のある問題提起だと思います。
母語習得の場合、幼児は文法を意識せずに大量のインプットを受けます。しかし外国語学習者は、すでに母語という強力な「型紙」を持っています。
だから、
辞書が使える
文法説明が理解できる
抽象概念を扱える
翻訳ができる
という、幼児にはない武器を持っています。
そう考えると、
外国語学習でわざわざ幼児の真似をする必要があるのか?
という疑問は自然です。
私が面白いと思ったのは、山根さんの文章が暗黙のうちに
「第二言語学習は、第一言語習得とは別物である」
という立場を取っていることです。
100冊についても、今の説明を聞くと納得できます。
「100冊」は統計的な数字ではなく、
読むことを軽視するな
というレトリックですね。
むしろ私は、
英文科を卒業した人でも、100冊の原文を読んでいるだろうか?
という問いかけの形が効いていると思いました。
読者はそこで一瞬立ち止まります。
「たしかに、自分は英語を何年も勉強したが、原書を何冊読んだだろう?」
と。
それから、
一冊の本を隅々まで読み込むことは、達成感や自信にもつながりますね。
これは重要な視点です。
英会話教材や短文教材は「終わり」が見えにくい。
しかし一冊の本には明確な終点があります。
最後のページを閉じたとき、
自分は英語の本を一冊読めた
という実績が残る。
これは語彙や文法以上に学習継続の原動力になることがあります。
私なら最後を少し変えて、
英語を使いこなしたいなら、浅薄な英会話に飛び付くよりも、まずは一冊の本を最後まで読み通す経験を積むべきではないだろうか。そして、その経験を十冊、五十冊、百冊へと積み重ねていくことこそが、本当の意味で英語を身につける近道なのではないだろうか。
のようにするかもしれません。
こうすると「一冊」と「百冊」が対立せず、
「まず一冊、そして百冊へ」
という流れになります。
山根さんの文章は、英会話批判というより、
「読書による外国語習得論」
として読むと魅力が出る気がします。特に、最近「とにかく話そう」という風潮が強いだけに、逆張りではなく一つの筋の通った異論として読めました。

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記事を読んで頂き、ありがとうございます。お気持ちにお応えられるように、つとめて参ります。今後ともよろしくお願いいたします