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エッセイ | 自分の最大の読者は自分だから




もうそろそろ私も、note歴5年になる。
いちばん始めの頃は、スキは5個未満、ビュー数は100前後だったと記憶している。

記事の内容は、そんなに悪くなかった。けれども次第にわかってきたのは、読まれる・読まれないというのは、内容の良し悪しだけでなく、
「読みやすい記事かどうか?」
「内容が軽い記事かどうか?」
「投稿のタイミング」
などに大きく左右されるということだった。

一生懸命書いた記事よりも、「赤飯をオカズにして、白米を食べた」という「つぶやき」の方が読まれた時に確信した。



それから少しの間、ビューやスキが多くなるような記事はどういうものか?、と考えたことがある。

それなりにフォローする人を増やすこと、
個人企画に参加してみること、
マガジン登録を増やすこと、
noteでnoteネタを書くこと、
積極的にコメントを入れること、
他の人の記事を紹介すること、
などを心がけたこともあった。


こういうことを実施すれば、自分の記事内容に関わらず、ある程度のビューやスキは稼げる。まぁ、それもゲームとして楽しむのもいいが、同時になんか虚しさも感じた。やっぱり、そういう数字はなるべく記事の内容に比例してほしいという気持ちがあるから。


目に見える数字を増やすことは、最初期には意味があるだろう。どんなにいい記事を書いたって、誰にも見つけられない記事ならば読まれないのは当然のこと。

この時点で、数字を追いかけ続ける人と、それ以外のところに価値を見いだす人が分かれるのだろう。


少し考えればわかるように、数字が大きくなったって、「ただ、見ました。スキを押しました」というだけなら、あまり意味がない。まったく反応を気にしないわけではないだろうけれど、書きたいことを書いたとき、きちんと読んでくれる人がいることに価値を見いだすほうが意味があるだろう。


わたしは最近、そういう段階も過ぎて、読まれる・読まれないは、あまり気にしなくなり、自分にとって意味がある記事を投稿したいな、と思っている。

誰にも読まれなくても、自分の関心がある記事を書き上げて投稿しておけば、自分にとっての財産になりますからね。

あとになって、今まで自分があるテーマについて何を書いてきたのかを振り返りたいならば、キーワードを入力すれば関連記事が検索できるので、考えを深めやすくなる。その点で紙に書いておくより投稿記事のほうが使い勝手がいい。


たぶんね、noteがつらく感じるときというのは、他者を過剰に意識するときなんじゃないかな?

「こんなことを書いたら、人にどう思われるだろうか?」
「反応が悪かったら、へこむだろうな」なんて考えてると、疲れますからね。


そういうときには、
「noteをしていない人が多数派であること」
「人は読むよりも、書くことに関心があること」
などを思い出すと良いのではないか?


自分の記事をいちばん読むのは、間違いなく自分自身だ。だからこそ、書きたいことを、書きたいように書く。それが、いつでも戻ってこられる場所なのだと思う。



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山根あきら | 哲学者 記事を読んで頂き、ありがとうございます。お気持ちにお応えられるように、つとめて参ります。今後ともよろしくお願いいたします