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【ほんとうの気持ちを、標本に】優 インタビュー(個展「標本」開催記念)



はじめに

個展『標本』を開催中の優さんに、学生時代から現在に至るまでの絵との関わりや、創作の裏側を伺いました。ぜひ最後までご高覧ください。

学生時代、絵を描くことは優さんにとってどんな行為だったのでしょう

絵は自分にとっての逃避先でした。

絵を描いている時間は唯一、ただ「楽しい」とだけ思える時間でした。

その頃、ある出来事があり、それをきっかけに人と関わることが怖くなり、自分のことが許せなくなりました。そこから自分を責める思考が生まれたように思います。この出来事から生まれた様々な思考がずっと後まで、自身の作品に影響を与えています。

私がいた環境には、芸術が好きな人はどこにもいませんでした。一人でずっと絵を描いていました。それが唯一の居場所だったのです。けれど、自分の絵を信じてくれる人はおらず、自分でも自分を信じ切ることができなかった。

勇気を出して人に絵を真剣にやりたいと伝えた時、返ってきたのは否定の言葉でした。その一言で心が折れました。それでも絵は続けようと心の中で思っていましたが、そこから何年も、絵を描くことはありませんでした。

絵が支えである一方、心を折るきっかけにも繋がる。その後、どのように絵と再び向き合い、現在の活動に繋がっていったのでしょうか?

大学卒業後、一般企業に就職しました。そこでも感性の合う人とは出会えませんでした。

私が心を晒したとしても、誰にも共感されないので隠す。
合いそうな表面的な部分だけを出して関わることしか出来なかったんです。本心を出しても仕方がない。そうして日々を過ごしていたら、本当につまらなくなってしまった。

そんな孤独感を抱えていたある日、なんとなく思い立って久しぶりに絵を描き、Twitter(現X)に作品を投稿しました。そして、SNS上の様々な作品の美しさにも影響を受け、更に描くようになっていきました。

自然とギャラリーや美術館へも足を運ぶようになりました。

元々西洋絵画は格式高く精巧なものだと思い込みあまり興味がなかったのですが、モネやマティスなどの作品に直に触れることで、その自由な色彩や表現の幅に刺激を受け、少しずつ心が開いていきました。

自分自身の表現を模索する中で、創作は自分にとって、苦しさや痛みの感情を昇華しようとする切実な行為になりました。切迫感のようなこの痛みをどう表現しようか、そんな気持ちで描いていました。

SNSへの絵の投稿だけでなく展示活動を大阪で積極的に行うようになった頃、有り難いことに東京での展示会やイベントに呼んでいただけることが増えて来ました。

だんだん、東京での活動の機会を増やしたい、文化的な営みにもたくさん触れていきたいという気持ちが強くなり、拠点を移しました。

今は、来て本当に良かったと思ってます。
もっと早く来ていればよかったと思うほど。

東京に拠点を移したことで、作品や制作のスタイルに変化はありましたか?

はい、東京に来てから作品の内面も見せ方も変わったと思います。

平面や立体など、いろんなアーティストの作品に触れる機会は格段に増えました。多様な芸術に出会い、絵を描く時の考え方など、様々なところからインスピレーションを受けました。

それまで制作にあたっては感覚が多くを占めていましたが、改めて理論的な知識を取り入れていきました。

線の引き方一つ一つへの意識も大きく変わったと思います。自分がきれいだな、好きだなと思う線一本一本がどんな強さで、タッチで引かれたものなのか。

それらを追求しすぎたことで、今の自分が描いている絵は、知識と照らし合わせたときの良い絵なのか、心から良いと思えている絵なのか、わからなくなったことがありました。色々と考えながらも制作をひたすら続けていました。

そして今、原点に立ち返ってきた感覚があります。

私は水彩が好きなんだなと改めて感じたのです。

絵を描き始めた頃の私は、精巧に作り上げようとせず、水と絵の具の感じや、色、質感を身体的に味わい、ただ楽しみながら描いていました。その頃の絵を見返すと、技術的には上手とは言えなくても「好きだな」という気持ちが自然と生まれます。

技術を日々向上させようと描いている今、改めて自分の好きなもの、自分の感覚を一番大事にしたいなと思っています。

そのような考え方や感覚に至ったきっかけは何でしょうか?

近年、自分自身に向き合う機会が多々あり、様々な書籍を読みました。

例えば聖書では、イエスが死ぬ場面が出てきますが、

「イエスがわたしたちのために死んでくれたから、私達の罪は許されている」と人々が語る。その概念が印象的でした。

イエスも処刑されるときに「神様、この人たちを許して下さい」「この人たちは自分が何をしているか分かっていないのです」と話したことも深く心に残りました。

自分に酷いことをした人、許せない人に対して、心が広いという言葉では決して説明しきれない領域で許す。

その概念にも強く影響を受けたと思います。

「許されている」
その話を通じて、そんな感覚を得た記憶があります。

最近は以前と違い、絵が逃避先ではなくなってきていると感じています。

過去の絵の中には、自分視点という感覚があります。内から湧き出てきたものを主観的に、ぶつけるように、表現していました。

最近は、私の中から湧き出たものを少し外から観ているような感覚があります。自分が何かを感じている時も「ああ私は今こんなふうに感じたな」と、俯瞰的に自己を見つめて生まれるその気持ちを大事にしたいという想いがあるんです。

ですが、絵そのものは良い意味でも悪い意味でもイメージ通りにはなりません。描きながら乗ってくるときもありますが、自分でコントロールできることではありません。

なにかに突き動かされている感覚を覚えながら、そこに行きたくても行けない、行きたくなくても行ける。自分自身との関わり方が変わってもなお、描き方の根幹自体は初期の頃から変わっていないのかもしれません。

絵の少女たちの真剣な表情と、優さんご自身の柔らかな雰囲気には違いが感じられます。ご自身の中で、その両者にはどのようなつながりがあるのでしょうか。

日記を書いていて、その日のそのままの気持ちや、気づいたこと、嬉しかったことなどを、残しておきたいという気持ちがあります。

紙に書くと気持ちが整理され、道筋が見えてくる感覚があります。

それはまるで、私の心の標本のようだと思いました。

絵の少女たちはどこでもない、この世界の外側にいて、私の中の感情を具現化した存在です。私の身体を通しては見えてこない、自分の中のほんとうの感情がそこには描かれているのだと思います。

今回の個展「標本」に展示されている最新作について、どのような思いや制作過程がありますか?

日々いろんなことを感じたい、感じたことを残したい、そんな想いで制作しました。

ただ歩いて、
木漏れ日がきれいだな、
今日はあの空、山、こんな色してるな。
いつもここには日の光が降り注いでいたのに、陰っててもう秋だな、
なんかきれいだな、とか。

日々、この世界のことを深く感じて味わっていきたい。そんな気持ちから生まれました。

昔、感情の無い時期があったんです。自分がどう感じているか本当にわからなかった。

人と壁を作っている。そんなことは決してなかったのですが、そう伝えられたこともありました。

命の危機に怯えたり、苦しい気持ちになることが多い日々で、辛いことを深くまで考える癖がありました。

幸せ、人の優しさ、みんなが当たり前に感じたり、楽しんでいることが、かけがえのないもののように感じて、それは過去からの反動もあるのかもしれません。

今は、昔の自分と距離を置いて振り返ることも出来るようになりました。

今回の個展のために描いた絵も、自分の中にあった感情の中から、これは残しておきたい。これは自分にとって大事なもの。そう感じたものを描きました。

それらの感覚は今、私の中に、感じた瞬間と同じようには残っていません。そんな絵になったと思います。


優さんの最新作が楽しめる個展「標本」ぜひ会場やオンラインからご高覧ください。最後までお読みいただきありがとうございました。

【詳細】優 個展「標本」
https://picaresquejpn.com/yu_exhibition_2025/

【全作品を掲載】作品一覧ページ
https://picaresquejpn.com/yu_exhibition_2025-001/

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優 個展「標本」


〈会期〉2025年9月17日(水) – 9月28日(日)
〈詳細〉https://picaresquejpn.com/yu_exhibition_2025/
〈優 公式SNS〉
X(旧Twitter) https://twitter.com/yu_blueflower
Instagram https://www.instagram.com/yublueflower


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