猪が逃げたあとの魔法瓶の部屋で
[2026年6月27日(土) 午後6時]
私は、オーケストラと、ベートーベンの*ピアノコンチェルト第3番を演奏する予定でした。
しかし、私は今この時間に、家でこの記録を書いています。
(*ピアノコンチェルトとは、ピアノを弾くソリストがオーケストラと一緒に演奏する曲のことを指します。)
[2026年6月19日(金)]
コンセルバトワールの学長Mより
異例の猛暑につき、来週6月22日(月)、及び23日(火)、コンセルバトワールは閉鎖となります。
その間の一切の活動は行われません。
ただいま、事務局が、部屋分の扇風機を注文しました。火曜日には届きますので、24日(水)にコンセルバトワールは再開します。
敬具
こんなこともあるのか、と感心しました!
フランスのこの手の公式声明には既に免疫があります。
・大雪に見舞われた時の、1、2日のコンセルバトワール閉鎖。
・コロナ時の緊急事態宣言。
でも、私が知る限り、猛暑と言う名目では前代未聞じゃないかな。
天気予報は、最高記録、37度、38度をマークしています。
はて、でも日本って、確か40度近くでもおかまいなしに、子供たち、一心に校庭で汗だくになりながらクラブ活動に励んでいたのではなかったかな?
一般的に、甲子園では、出場校が南であればあるほど、長い日照時間の間トレーニングできるから、強い傾向があるんだよ、ととある先生が言ってなかったっけ?
私の記憶が間違っていたらごめんなさいね。
しかし、フランスでは、40度手前で、屋内での活動をシャットアウトしてしまうのか?
AIによると、
フランスの建物は、石造りなどで熱がこもりやすい構造です。魔法瓶だと考えてください。その上、フランス人は、このような状況に対処する術を持ち合わせていないのです。人々の安全のためにコンセルバトワールのシャッターを閉めることになります。
ふむ、魔法瓶ね。 よくわかりました!
私は、生徒に宛ててメールします。
暑中お見舞い申し上げます。
皆さんご存知の通り、23日(火)のレッスンはキャンセルになります。
27日(土)のコンサートでお会いしましょう。予約を忘れずに。
お体にお気をつけてお過ごし下さい。
まるで、27日に向けてじっくり練習しなさいというお告げだなと思い、コンチェルトの練習にいそしみました。
[6月23日(火)]
コンセルバトワールの学長Mより
異例の猛暑につき、引き続き24日(水)、25日(木)、26日(金) コンセルバトワールを閉鎖します。
通信票記入や、教育改善のオンライン会議などに努めてください。
27日(土)は、普段通りに開校します。
敬具
改めて、天気予報を見てみると、これら3日間の最高気温は、先週目にした33度、34度から38度、39度に跳ね上がっています。 そうか、魔法瓶では扇風機も顔負けか。
ところで、27日(土)は34度となっています。これだから27日開けられるのだろう。
どちらにしても、まさかコンサートはキャンセルにならないだろうなぁ。50人ほどの指揮者とオーケストラ団員が前々からリハーサルを密に重ねています。
とりあえずあまり考えないことにしてピアノに向かいました。
[6月24日(水)]
指導主事のCから、教育改善のオンライン会議よろしく電話がありました。
「どう、暑すぎない? 私は今コンセルバトワールからよ!
あなたのクラスだけど、H君とSちゃんは来年度進級するの?」
「はい、試験に合格しましたから進級します。」(なぜ学校のコンピューターに学校での試験の結果がインプットされていないのかな?)
「そしたら、30分の授業は40分になるわね。それからこの子が再登録していないから、30分は空くわね。1時間と30分と40分足して、えーと、2時間10分よね、それから、、、」
この調子で、なぜ私に聞くのかなと言う会話が続きます。
Cは、800人ほどもいる学校のそれぞれの生徒について驚くほど知識があり、人間関係も冷静にさばき、聡明で人々からの信頼も厚いのです。なのに、なぜコンピューターがやってくれる計算を私と答え合わせしようとするのだ。うーむ、閑散とした暑い学校にいて、誰かと喋りたいのかもしれないな。
私は、すかさず、「時間数や新入生については、あなたを信頼してお任せしますよ」と。
「それはそうだけどね、、、じゃあ、à bientôt (またね)、もう土曜日には学校が再開するのよ。」
私が1番聞きたかったことを聞くタイミングがやってきました!
「ところで、土曜日のコンサートですが、開催されますよね? この具合だとどうなのかなぁと」
私が話し終わらないうちに、
「とんでもない!心配いらないわ!土曜日には全部再開するし、一昨日、きちんと会場のクーラーも修理しておいたから、もちろん行われるわよ! absolument (全くよ)!」
「それは、貴重な情報をどうもありがとうございます♪」
[6月25日(木)]
天気予報がこんなに気になる事はありません。なんと、27日(土)の気温が38度に跳ね上がっています。
本当にコンサートあるのかな?
いくらリハーサルを重ねたからと言ったって、50人のオーケストラ団員が集まると言うだけで、私は申し訳ない気持ちになります。皆さんそこまでいらっしゃるのだけでも大変でしょう。電車には大抵の場合冷房がありません。
それにしても、何を着ようか? エアコンが効いているといっても、あまりあてにならなさそうだなぁ。予定してたドレスは暑そうだなぁ。でも猛暑用ドレスもないしね。
さらに、この中ぶらりんの状態がまた少し気にかかります。なくなるかもしれないことのためにあるつもりで練習する。今まで通り続けよ、と司令官が命令します。確かに、もし開催されたら、ちょっと中途半端な精神状態でしたから、、、と言う言い訳は通用しません。
また自宅も魔法瓶なのです。朝7時前に冷えた空気を入れ込み、といっても25度、あとは、日中雨戸締め切って光を遮断し、こもって練習。年度末の試験シーズン、夏初めのアカデミーの準備などもあり、仕事は山積みです。
昔ほど、馬鹿の一つ覚え的反復練習はしなくなりましたが、コンチェルトの練習は、1日のうち数回に分けてさらっていました。もう6ヶ月以上も前から毎日少しずつこの曲に触れてきましたが、日にちが迫ってくると、精神統一が必要になるな、と感じていました。自分の状態が、コンチェルトのバイブレーションに共鳴したものであるように。最近多少時間があっても、このように記事を書く、と言う神経は息を潜めていました。凡人の私は、この日に猪をゲットせよ、と言われると、すきま時間にキジ狩りをする器用さは無いのだな、と改めて自分を眺めていました。
[6月26日(金)]
朝のコンチェルトの練習を一通り終えたところで、コンサートの責任者LからSMSが届きました。
「コンサート、キャンセルになったの知らされた?」
あー、やっぱりね。。
「市長がコンセルバトワールの閉鎖の延長の決定を下したところなんだよ。コンサート会場のエアコンも不安定みたいだしね。僕が学長を勤めてるコンセルバトワールも同じ状況で閉鎖してるから残念ながら行えない。オーケストラの団員と、別の日を確保することも無理なんだ。なんとも八方塞がりで、本当に申し訳ない。」
指揮者でもあるLは、先日、この第3番のコンチェルトには深い思い出があると語ってくれていました。
ベートーベンの並外れた成熟が見られるよね。この曲がなかったら、後の英雄シンフォニーは書いてなかったと思うな。今回はソリストを務めてくれて本当にありがとう。
その会話を思い出しました。
予想はしていた、でもやはり私は動揺はしている、でも、これはどうしようもないではないか。一種の天災以外の何ものでもない。
「よくわかります。私は大丈夫ですからどうぞご心配なく。すぐにご連絡くれてどうもありがとう。 良い夏を。」
「君も良い夏を!また新年度にね!」
本番には極度の集中が求められる。ある意味でそれから解放されました。
ここ1年の間では、伴奏の仕事などを通して、
私自身が満足に弾けること自体は全く意味をなさない、と思うようになってきていました。
それが周りとの調和に貢献していないかぎり。
私がソリストという立場でも、
自分が楽譜というテキストに真摯に向き合う。
その上で指揮者と、団員と対話する。
ホールの環境を肌で感じる。
聴衆がそれを観る、聴く、感じる。
27日はそういう場であるといいな、と思いを膨らませていました。
そして、気になること、ふと湧いてきた質問、急にひらめいた考え、本能の欲求などをキャッチしながら準備を重ねていこう。より自然体での演奏を思い描きながら。
いろいろ振り返れば、結果よりプロセスが大事。きっとそうです。
でも、猪が自分のコントロール不可のもとで逃げてしまった今、それはやはり多少綺麗事でもあります。
Lとのやりとりの3時間後に、学長Mからメールが入りました。
異例の猛暑に伴い、市長がコンセルバトワールの閉鎖の延長を決めました。
明日27日(土) には、授業、イベント全てが行われません。
再開は29日(月)になります。
敬具
こんなにあっさりした事務メール。
もちろんそうでなくてはいけないのですが。 クスン。。
社会のためには、これが大正解。私のエゴは社会貢献のために役立たなくては何の意味もない! 皮肉にもこんな形でさらに思い知らされることになるとは!
指導主事のCと来週顔を合わせたら、彼女、ちょっと気まずい顔するのかな?
「心配いらないわ! 冷房は直しておいたわ!」
今日、27日(土)の気温は、最高気温34度。本当はコンセルバトワールを開校できるギリギリの気温でした。
ため息をつきながら、これが私がよく知ってるフランスだよね、とさらに理解を深めるのです。
