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【大人のピアノ】ピアノ初心者ほど「俺/私サイコー!」と自信を持って堂々と弾かないと、自信泥棒な「ピアノ亡者」たちの餌食になってしまう!


2010年代に、ピアノサークルや弾き合い会に参加していた時に、強烈に思ったことです。

東アジアは儒教が骨の髄まで浸透してしまっていて、
 ①自分を謙遜卑下する
 ②目上の者には絶対服従
という、
21世紀では有害でしかない精神慣行によって、自分が自動操縦されちゃっています。

「東アジア」と書いたのは、
マルコム・グラッドウェルの本で(Outliersだったと思います)、ネパールかどこかの空港に着陸失敗した大韓航空機から回収したフライトレコーダーに残っていた機長と副操縦士だったかな?の会話の内容に関する考察を読んだからです。

20世紀ですら、
 ①自分の謙遜卑下、と
 ②目上に絶対服従 によって、
自分だけならまだしも、多くの人の命が失われることが起きていたわけです。

21世紀も四半世紀も過ぎたんですから、
いいかげんに
 ①自分の謙遜卑下
 ②目上に絶対服従
という心の毒素を捨てたほうがよいよ!
じゃないと、生きたまま自分の人生が失われます。


話がピアノサークルに戻りますが、

2010年代に参加していたピアノサークルやピアノ会で、他の参加者たちの演奏を聴くうちに、
「ピアノが下手に聞こえる人」に、ある種の傾向があることに、私は気がつきました。

それは、
「ピアノが下手に聞こえる人」は「ものすごく自信が無さそうにピアノを弾く」という傾向です。

とくに、
「2歳のころからピアノを習って子ども時代にはコンクールにどんどん出て音大にはいかなかったけれど私はピアノが上手いのよ!さあ私の演奏をお聞きなさい!」と言わんばかりに自信満々の攻撃的な演奏をした人の後に演奏する、比較的ピアノ経験の浅い人の中に、
気圧されちゃったのか、
ステージに上がる時点で、もう既に腰が引けちゃってて、
おどおどしながら、猫背で力なくピアノに近寄って行って、
しおれた菜っ葉のように椅子に座って弾き始める人の音は、
気の毒なくらい、ぼそぼそと弱々しいピアノの音でした。

私は、今よりもピアノがぜんぜん弾けていませんでしたが、
常にウケ狙いの選曲で参加して、笑いをとって場をかっさらって爪痕を残すことしか考えていなかったので、腰が引けることは全くありませんでしたが、
クラシックピアノ曲の場合は、
ピアノ演奏の巧拙以前の問題として、
他人に呑まれてしまうと、
その人が本来持つ実力が全く出ない、哀れな演奏になってしまう
のだなぁ、
と私は思って、他の参加者の演奏を見ていました。

ですから、
ピアノの発表会なり弾き合い会なりピアノサークルに参加する、
とくにピアノ経験の浅い人こそ、
「私はピアノ初心者で…」
「まだピアノ経験が浅くて…」
なんて自分を謙遜卑下すると本当にロクなことがないので、
「俺/私サイコー!」って自信満々でステージに登って意気揚々と演奏することが死活的に重要だと、私は確信しています。

というのは、
ピアノ演奏は自信が9割以上!
だからです。
いや、人生全般、なんでもそうでしょ?
自信が9割以上!ですよ。
そして、そのほうが、あなたの人生の歩留まりがぜんぜん良いんだよ!
だってさ、
「自信が9割」で臨んでも、「成功vs失敗」の確率って、五分五分でしょ?
それなのに、
「自信がゼロ...」で臨んだら、100%失敗するよ。絶対に上手く行かないのが、最初から明らかでしょ!

とくに、
クラシックピアノ人には「自信泥棒」「エネルギー泥棒」が多いという印象を私は持っています。
素人同士であっても、ピアノ会などでは、いわゆる自信の奪い合いのようなことが起きます。
理由は、
クラシックピアノ人は、子どもの頃からピアノのお稽古で、ピアノの先生に自信を奪われ続けてきたので、普段から自信に飢えているからではないか?と私は思います。
だから、自分より少しでもピアノ経験の浅い参加者がいると、これ幸い!とその人の「自信」を吸い取ろうと近づいてマウントせずにはいられないんだと思います。

そして、
実は、
彼らが習ったピアノ教師本人も、子ども時代に自分のピアノ教師から自信を奪われているからでしょう。
つまり、
クラシックピアノ教育界には、「自信泥棒」の連鎖が存在すると、私は思っています。
だいいち、私が子どもの頃に習ったピアノの先生が筋金入りの自信泥棒だったからね (-_-メ)

なかには、
「ピアノを再開したばかりなんです」と、ちょっと謙遜で言ったばかりに、「アマチュアピアノの先輩」ヅラしたヤツから「だったらあーだこーだ」とお節介なアドバイスをさんざんたれられた挙句に、そいつの順番がきてそいつがピアノを弾いたらヒドかった!でもそいつは自分は上手いと思っている!なんてのもいて、
その時に、「やっぱり自信がいちばん大切だなー」と私は思いました。
「俺サイコー!」「私がいちばん!」と思って弾いても、
実際に演奏すれば、腕前は絶対にゴマカせませんからね。
 (ピアノの先生もそうですよ。ピアノを語ってばかりいないでさ、たまにはピアノを弾いて演奏動画をアップして潜在顧客にアピールしたらどうですか?)

まあ、そういうことなんで、
言葉ではマウントできたり謙遜できたりしますがね、
実際の演奏は、絶対にゴマカせませんから。
聴く人が聴いたら、アマチュアピアノ愛好家の腕前なんて悲しいほどわかるんだよ。
だったら、
どんな一流ピアニストだって、自分の演奏を盛ることは絶対にできないんだから、だったら、自信なく弱々しく弾くよりも、
「俺サイコー!」で威勢良く弾いたほうが、自分が気分良く弾けるんだから、ぜんぜん良いよ!

私はというと、ピアノ会に参加するときは、
「わたしサイコー!」と思うよりも、
「今日はかっさらってやる!」とウケ狙いの選曲と演奏に徹していました。
だから、演奏技術はへっぽこでも、記憶に残るステージだったと思いますよ。だから、ピアノ会のメンバーさんたちが各自で開催する「スピンオフ会」によくお声をかけてもらって、そこでも色物演奏を繰り広げていました。 いうなれば、落語家たちの中に唯一入った神田伯山(もと松之丞)みたいな存在でしたかね。

それから、
ピアノ初心者を笑いものにするピアノ教師は、
この世で最低な生き物ですよ。

こーいう胸クソ悪いヤツに限って、
ピアノ教師団体の幹部には平身低頭の土下座ゴマスリ腰ぎんちゃくに違いないんだ!
本当の実力者は、初心者を笑い者にすることなんて絶対にしないぞ!
だけど、
こーいう、弱い者いじめなピアノ教師が跋扈しているのがピアノ教育の世界だ。

話を戻しまして、

他人の自信を横取りする「エネルギー泥棒」は、もってのほか!ですが、

自分相手に自信のやったりとったりをしている、
独り相撲な人たち
も、ピアノ会にいました。

たとえば、
「今日の参加者の中で、自分の腕前はまずまずだろう」と踏んだのか、1周目は得意満面にショパンの何かを自信たっぷりに弾いた人が、
後に弾いた人たちが予想に反して自分よりも上手くて、自分がいちばん下手なんだ...、と自分で自分の審査員をしてしまったようで、
2周目の演奏で、人が変わったような、おどおどした演奏になってしまった人がいました。完全な独り相撲による自滅パターンです。

それから、
「クラシックピアノ上級者だけど、今回はジャズを弾くわ!」とジャズの「上級アレンジ楽譜」(👈)をクラシックピアノ調で(👈)得意満面で弾いた人がいたんですが、続いての人が「耳コピして自分でテキトーに弾きました~楽譜?そんなもんありませんよ~」ってポップスの曲を楽しそうに弾いたのを見て、「楽譜が無いと弾けない」痛い所を突かれたと感じたのか、みるみる顔つきが変わって、さっきまでの威圧的な声の調子も、腰が抜けたような声になってしまったのを目撃しました。これも独り相撲&自滅パターンですね。

クラシックピアノは、ピアノ教育によって「優劣比較」や「競争」や「競技」にされてしまったから、アマチュアピアノ人さんたちも、常に「優劣比較」や「競争」や「競技」のマインドセットでいるんだろうね。人生辛そうだね。


~ピアノ方丈記~


 


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