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建築家・写真家が「組織になると評価されづらくなる」構造を突破する方法を見つけた。

先ほどXで見かけたポストをきっかけに、ちょっと考えたことがあって勢いでこの文章を書いている。

きっかけは
「モード学園の建築は頑張ってるのに、なぜ評価されないのか?」
という疑問のポスト。それに対して「建築家を通してしか建築を評価しない文化があるから」という考察があったので、その先を自分なりに考えてみた。

はじめましての方、初めまして!
いつも読んでくださっている方、こんにちは!こんばんは!
どうも、建築フォトグラファーの藤川です。
Xでは
「建築写真キャット🐈というアカウントで活動しています。住宅や店舗の竣工写真、不動産物件写真などを関東を中心に撮っています。

今回の記事は全文無料ですがメンバーシップもやってます。
気が向いたらご確認ください↓
【有益情報まとめ】これさえ見れば全てわかる【索引】

ちょっと今回はいつもと違った硬めの文章でいきます。考察です。
では、本題。

※上記、元ポストのお二方には無断で話題を引用させていただいております。この場を借りてお詫び申し上げます。問題があればすぐに対応いたします。

これって、写真家の世界でも似てるなと思った。

たとえば、アマナみたいな大手の制作会社はもちろんブランド力がある。でも、それでもやっぱり個々の有名フォトグラファーが名前で勝負している世界にはかなわない。

じゃあ、なぜ組織だとダメで、個人だと評価されるのか?



組織が評価されづらい理由

改めて整理してみると、こんな理由がある気がする。

  • 作品に「顔」がないと物語が生まれづらい

  • 責任が個にないため、ストーリー性が弱い

  • 組織になると、商業的・合理的な匂いが強まり倦厭されがち

  • ブランドイメージが「集団の無機質さ」になりがち

要は人は「誰が、どんな思いで」作ったのかに感動する生き物なんだと思う。

良い作品であっても、"企業名"や"組織名"が前に出ると、ストーリーが消えてしまう。感情移入できない。"どこかの会社が作った立派なもの"より、"誰かが魂を込めて作ったもの"の方が、ずっと心に刺さるから。

最近の例で言うと、大阪万博は非常に上手くいっている例だと思う。
みゃくみゃくやこみゃくを含むコンセプトデザインやコンセプトアートについてはディレクターの引地耕太氏が積極的にSNSを通じて、「デザイナーの思想・ストーリー」を語り続けることで”顔の見える作品”に仕上げていると感じる。これにより、より愛されるキャラクター、コンセプト、デザインになっていると考えられる。

じゃあなぜ、SANAAは評価されるのか?

組織は評価されづらい。ここで矛盾が生じる。
ユニットでも国際的に高く評価される例があるからだ。

たとえば、SANAA(妹島和世氏+西沢立衛氏)は明らかに組織だけど、世界中で絶賛されている。

この違いは何か?
おそらく、

  • 個の顔がはっきり見えること

  • 少人数であることによる、個人性の維持

  • 作品ごとに強いコンセプトとストーリーが感じられること

これらが大きいと思う。

SANAAは「SANAA」という名前ではあるけれど、その背後にいるおふたりの人間の存在感が常に透けて見える。妹島さん、西沢さん、両方の個性が溶け合って、時にぶつかって、そこから新しいものが生まれている。その過程まで想像できる。

組織というより、ユニット、つまり「人と人が手を組んでいる」感じがする。
むしろ”その融合こそが良い方向に働いている”まである。

つまり自分で書いておいて何だが、ここでSANAAを引き合いに出したこと自体が間違っているレベルに個人としての評価が高いユニット(組織)である。

組織が評価されるためのヒント:NOT A HOTELの例

じゃあもう少し組織っぽいところを見てみよう。

組織や企業が主体となって建築を手がけても、評価されにくい…という現象に対して、「それでも評価される組織の特徴とは何か?」を考える上で、日本の企業であるNOT A HOTELは非常に興味深い存在だと考えられる。

NOT A HOTELは、ホテルとしても、別荘としても、暮らしの拠点としても使える「新しい建築のかたち」を掲げ、設計には個人建築家(藤本壮介氏など)や著名な組織事務所(ビャルケ・インゲルス氏率いるBIGなど)を招いてコラボレーションしながら、ブランドとして一貫したコンセプトを築いている。

ここで面白いのは、「企業体でありながら、ブランド設計の文脈で“建築”が評価されている」という点。


  • 建築家との協業を、あくまで”共創”と位置づけてブランディングに組み込んでいる

  • プロダクト的な視点(デザイン、体験、ストーリー)を持ち込んで語らせている

  • 誰が作ったかも重要だが「何を体現したか」で語られるように設計されている


つまり「設計者の個の力」だけに依存せず(十分依存はしているが…)、NOT A HOTELの組織としての思想・価値観が可視化されているわけだ。
NOT A HOTELのウェブサイトを見ればよくわかると思う。ストーリーの語りに余念がない。それもそのはずだ。彼らは建築が完成する前からもう商品として売っているのだから。

ゼネコンや大きなデベロッパーがこの形を真似しろとは言わない(すでに隈研吾氏を巻き込んだタワマンや駅などもある)が、少なくとも「建築をどう語るか・どう提示するか」という視点で、NOT A HOTEL的なブランド設計・体験設計は見逃せない。




だがここまで書いていて、思った。
やはりここまできても組織は、個人の力に、個人のブランド力に頼らざるを得ないのが現実ではないのかということに…

そこでもっと組織的に活躍する実例を考えてみた。


組織として評価されるためのヒント:MVRDVの例

もっと”組織的な組織”でありながら国際的な高い評価を受けている好例として、オランダの建築事務所MVRDVを挙げたいと思う。

MVRDVは、個人名ではなく組織名そのものがブランド化されている。
「ウィニー・マースなどの著名な建築家が所属しているからでは?」と思われるかもしれないが、実際のところウィニー・マース個人のブランド力と言うよりも、MVRDVという集団自体が「面白い建築を生み出すチーム」として世界的に認知されているという認識であっているはずだ。(違ってたらごめんなさい)


しかも、単に「設計が優れている」だけでなく、

  • 都市計画から建築、インテリアまで一貫したビジョンを持ち

  • チーム全体で「データに基づく建築」という新しい建築観を打ち出し

  • 常にコンセプトワークに重きを置き、「思想ありき」で建築を語れる

という点が非常に大きい。

つまりMVRDVは、「誰がデザインしたか」ではなく、
なぜこの建築が生まれたのか」を組織として語りきれる体制を持っているわけだ。

これによって「組織=顔が見えない=評価されない」という一般的な流れを乗り越え、組織全体が「ひとつの思想・世界観を持った存在」として認識され、評価されている。


これがゼネコンや組織設計事務所、そして写真事務所にとっても大きなヒントになり得る。

つまり、
組織が何を体現するために存在しているか?
組織としてどんな思想を社会に示しているか?

ここを明確に語れるかどうかが、組織建築が世界的に評価されるか否かの、分かれ道なのかもしれない。


写真家の世界でも

こうして整理してみると、やはり写真家の世界も全く同じだと感じる。

いくら大手の制作会社が圧倒的なクオリティで仕事をしても、「あの作品いいな」と思ったときに、「誰が撮ったの?」と名前が浮かばなければ、そこで物語は止まってしまう。
そして、名前が出ないものには、次の興味も続かない。

一方で、個人の写真家が撮った作品には、そこに生き様や美意識、価値観まで映り込む。
「この人が撮ったから、こう見えたんだ」という受け止め方ができる。
写真そのものだけじゃなく、撮った人の人生まで想像させる。

そこを乗り越えるにはMVRDVのような、組織としての圧倒的なブランド力・思想・社会的存在意義などを認知させる他ないだろう。

つまり、組織でも個人でも、評価されるかどうかは
「物語があるか」
ここに尽きるのかもしれない。

「この世界に、あなた、あなたたちは何を残したいのか」という問いでもあるわけだ。


まとめ

組織が評価されづらい理由は、顔や物語が希薄になるから。
逆に、組織であっても評価されたいなら、思想や生き様を可視化して、社会にストレートに届ける努力が必要なんだと思う。

そして、個人であればあるほど、自分自身の存在そのものが問われる。
「名前が出る」ということは、イコール「責任を引き受ける」ということでもある。

私自身、建築写真という領域にいる以上、ただ綺麗なだけの写真を撮るのではなく、

「なぜこの建築を、こう観て、こう撮ったのか」
「その思想のバックグラウンドには何があるのか」

そこに自分なりの視点や物語を刻み込んでいきたい。


個人でも、組織でも、本当に伝わるものは、必ず”強い思い”を持っている。

そんな当たり前だけど大切なことを、今回改めて考えさせられた。


今回はちょっと硬めに書いてみましたが、まぁこういうのもたまにはいいかなと思いました。
ではまた次回の記事でお会いしましょう。

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