なぜ自分の写真を撮るのか/自分の写真を1万枚撮った写真嫌いの女
🐈⬛自己紹介🐈⬛
✧京都在住┆フォトグラファー10年目
✦夫、息子(R4生まれ)、猫♀(7歳)、猫♂(5歳)
✧36歳で出産。女性ホルモンに振り回されがち。PMDD改善中→ピル服用で人生変わる
✦産後の調子が悪くすべての自信を失う。からの再出発としてのnote開始
✧産後大変だったこと、子育てのこと、写真のことなどを書いています。
✦note100日連続投稿チャレンジ→4月12日達成→🆕90歳まで毎日投稿
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自分の写真を1万枚撮り続けた女

自撮り、他撮り、家族写真、何でもかんでも合わせて
1万枚撮りました。
写真にうつるのが大嫌いで、
写真にうつる自分がブスすぎて嫌いで、
どうしたもんかと思って
10年くらいかけて1万枚撮りました。
えぇ、その結果
写真嫌いを克服したかというと
そうでもないですw
写真うつりが良くなったかというと
そうでもない写真もよく撮れますw
1万枚撮って
何が起こったかというと
「そうか!普段からわたしは、
こんな顔してるんか!!」
と、
どすこい写真を見ても
そこまで鏡の中のイリュージョンぽんこつとのギャップに
苦しむことがなくなりました。
以前は
二重顎がひどすぎる自分
肌が汚い自分
顔が兄とそっくりな自分
パッとしない自分に
向き合うことから逃げていたように思います。
いや、これは。
練習次第でどうにかなるから。
うつり方をマスターすれば
慣れれば、メンタルを整えれば
変わるから。
そんなふうに思っていた。
が、
確かに、
写真は慣れが大きい。
練習すれば、回数を重ねれば、
どんどん自分を表現できるようになる。
表現する怖さ、
失敗した時のどすこい自分と向き合う怖さ
そういうものに対しての怖さの耐性が少しつくというか
「うっ」ってなることに
慣れてくるんですよね。
微妙な自分や
老いた自分
いろいろ変わっていく自分を目の当たりにすると
やっぱり
「うっ」となる。
なるけど、
だからどうしたって
1万枚も撮れば思えますよ。笑

わたしは、この顔、そしてこの身体を
この世に24時間晒して生きている。
それは、紛れもない事実で。
その受け止め方のステージが
いろいろあるんだなと
今は思います。
もったいないのよ
20代半ばごろまでは
カメラを向けられると
「レンズ割れるで!」と言って拒否してきました。
そのくらい、嫌だった。
自分のふとした時の気の抜けた顔や
「自分はこうである、ありたい」
というイメージからかけ離れた現実を受け入れるのが
とても苦痛だった。
というわけで
ピッチピチ楽しい20代前半の写真が
ほとんどない。
とても残念だ。

写真で仕事を始めて10年
その間に1万枚自分の写真をとって
それをスマホのフォルダに入れている。
たまに見返しては
「この写真好きだな」とか
「この時こんなことしてたな」と
思い出しては
なんかええ気持ち、になる。
当時の自分の姿を通して、その思い出に触れられる。
まだ上手く言えないけど、
それってなんか、
大切なことだと思う。
写真が嫌いだと
自分が嫌いだと
自分の写真って撮らないじゃないですか。
大好きな人との写真
大好きな場所での写真
素敵な思い出のある写真
その写真がくれる力って
やっぱすごいと思うんです。

歪んだ耽美主義からの解放
一番はこれですね。
1万枚撮って、解放された。
とにかく、美しくありたい。
ミリ単位のレタッチを加えて
理想のイメージの自分を作り上げたかった。
そしてその仕上がった自分に
うっとりと、納得していたあの頃。

いいんですよ、そんな自分も。
だけど、わたしの場合は
歪みに歪んでいたから
「それ以外の自分は死!」みたいな感じで
分離してましたね。
メディアの作り上げた「美しさ」だけを
信じていたのだと思う。
なんというか
とても窮屈な「美しさ」を追い求めていた気がします。
そうそう、
写真って、モデルや俳優なんかの
いわゆる容姿端麗な人たちだけのものじゃない!
一般人も大いに楽しんで良いものなんだ!
みたいな思いも強かったですw
大きな豊かさに触れたとき

生後数週間。ほぼ死体と言われていた時。
ふふ。
辛かったな、あの頃。
でもこの写真のおかげで
なんか笑える。
1万枚、いかなる時も自分の写真を撮り続けてきた。
そんな中で育ったのは
自分を受け入れる、心の許容範囲。
「こうでなければ価値がない」というところからの解放。
その美しさにどうして心が動くのか。
当時のわたしが大事にしていたのは
「研ぎ澄まされた孤高の美しさ」
針の先のような、少し危なっかしくて、誰も辿り着けないような
どんどん高みを目指す美しさ。
1万枚撮って触れたのは
「一部はすべて」という
もっと豊かで、もっとゆったりとした感覚の美しさ。
だから、
ほぼ死体写真も
どすこい写真も
とびっきり写りの良い写真も
拒絶せずマルっと自分と統合ができている。
ただ自分の写真を撮るということ

たかが写真ですよ。
何度もそう思ってきた。
生きていく上で、
必要不可欠なものではない。
自分の写真なんか、
撮らなくても死なない。
そんなところで
フォトグラファーとして悩むこともたくさんあった。
あったけど
自分の写真を見て、泣く人がいる。
そんな場面に
何度も立ち会ってきて
まだ
写真をやめない自分がいる。
わたしは、「自分ってなんだろう」的な
厨二病まっしぐらなところが昔からあり
多分それの延長線上で
自分の写真を撮り続けている。
文章を書いたり
いろんな表現方法がある中で
写真って
とっても自分を客観的に見つめられる
最高のツールだと思っている。
自己理解の講座なんかを受けて
パソコンやノートを前に自分と向き合っても
なかなか感覚としては
「自分」って見えづらい。
だけど写真は
ありありと自分を見せつけてくれる。
「見たらわかる」最高。
どんな顔をしていて
どんな表情をしていて
体型は?
ヘアスタイルは?
服装は?
どんな場所でどんな写真を撮ってるの?
撮られてる人との関係は?
そんな情報が
たった一枚の写真から溢れてくる。
そういうところが
サイコーですね。
自分を客観的に見つめてあげるって
自分にとって
すごく大事にされてる感じがします。
写真嫌いな人が撮影に来るたびに
強くそう思う。
大事にしたくて、
撮りにきたんだな、って。
その思いに乾杯。
まだまだ
語り尽くせませんが
今日はこの辺で。
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