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happy_egret852
哲学カフェとは何をする場所?|話さなくてもいい『考える時間』の話
少し静かな場所に、
腰を下ろしたくなるときがある。
コーヒーの湯気を眺めながら、
言葉にならない考えが
胸の奥で揺らいでいる。
答えが欲しいわけじゃない。
でも、この感じを
置き去りにもしたくない。
そんな時間が、僕は昔から、わりと好き。
哲学カフェに参加した人から、
よく、こんな言葉をもらいます。
「豊かな時間でした」
そのたびに、胸の奥で小さく引っかかる。
豊かって、なんだろう。
たとえば、手入れの行き届いた西洋庭園。
線はまっすぐで、配置も完璧。
でも、そこに新しい花を植える場所は、
あまり残っていない。
一方で、枯山水の庭を思い浮かべる。
白砂のひろがり。
置かれた石は、まだ意味を決めきっていない。
誰かが一つ、石を置くと、
景色が少し変わる。
そして、その変化が次の意味を呼んでいく。
僕の哲学カフェが目指しているのは、
たぶん、そんな庭です。
話してもいい。
話さなくてもいい。
問いに、
言葉を返してもいいし、
胸の中で、
そっと抱えたままでもいい。
ここにあるのは、
正解でも、結論でもない。
余裕と、
余白。
何かを言わなくても、
何かが、
動いていていい時間。
もしかすると、
それが「豊かだった」と
感じてもらえる理由なのかもしれない。
もし、一人で考えるのが少し窮屈になったら。
計算しきらない庭に、
少しだけ、
足を踏み入れてみてはどうだろう。
哲学カフェ
「ことばの庭」を、
ひらいています。
話しても、
話さなくてもいい場所。
考える時間は、
きっと、
あなたの中で、
静かに育つ場所。
