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不朽の名著 「自省録」の言葉から、生き方や道徳を考える

1.「自省録」とは

 はじめに、「自省録」とは、 ローマ皇帝で五賢帝の一人、マルクス・アウレーリアスが書いた哲学書です。
 哲学書といっても、マルクス自身に向けて書いた日記のようなもので、1つのテーマだけでなく、様々なテーマについて書かれています。
 私の心にすごく響く言葉が多く、私が持つ考え方ともすごく近い感じがするので、好きな本の1つです。
 皇帝でありながら、自分自身としっかり向き合う哲学者的な側面があるところにも魅力を感じます。
 今から1800年以上も前に書かれた言葉ですが、現在の世界にも通用する言葉ばかりで、色褪せることはありません。
今回は「自省録」の中からいくつかの言葉をピックアップし、私なりの解釈をしていきたいと思います。
 人生をより善く生きるための、ヒントになる内容だと思いますので、是非ご覧ください。

2.「自省録」の言葉から生き方・道徳を考える

1.自分のことをやって、余計なおせっかいをせぬこと。中傷に耳をかさぬこと。

 SNSで他人を中傷することが多発している現在の世の中において、この言葉は頭に入れておきたいです。
 この言葉の意味は、自分が向き合うべきことにしっかり向き合うこともせずに、他人のことに必要以上に立ち入るなということだと思います。
 今の世の中では、SNS上で、他人が書いた言葉に対し、少しでも気に入らなかったり、間違っていると思えば、集団で叩きにいくようなことが多いですが、本当に他人を中傷できるほど、自分は完璧な人間なのかどうかはよく考える必要があるかと思います。
 また、逆に他人から自分が中傷されたとしても、受け流し、相手をしないということが大事なのではないかと思います。
 生きていれば誰しも、なぜか自分を中傷してくる人に出会うこともあるかと思います。時にはどうしても戦わなければならない時もありますが、できるだけ、相手と同じ土俵に立とうとせず、受け流すことが必要なのだと思います。
 
 

2.君に害を与える人間がいだいている意見やその人間が君にいだかせたいと思っている意見をいだくな。あるがままの姿で物事を見よ。

 生きていると、自分が正しいと思う意見を無理やり他人に押し付けようとする人は少なくありません。もはや、他人を自分の思い通りに洗脳しようとしてるのではないかと思う人すらいます。
 最悪の場合、押し付けられた側は、自分の考え方が間違ってるのではないかと思えてきて、自分らしく世界を見ることや物事を見ることを辞めてしまうことさえも起こりえます。
 そうならないために、人はそれぞれ世界の見え方や価値観が違うということを頭に入れておくことが大切だと思います。
 自分には自分の価値観があり、他人には他人の価値観があるということです。
 誰が正しいか、誰が間違っているかなんて誰にも分からないのですから…。


3.君が自分に楽しい思いをさせてやりたいと思うときには、君と一緒に生活している人びとの長所を考えてみるがよい。

 この言葉は、自分の周りの人の短所ではなく、長所に目を向けるということが大切だということを教えてくれます。
 しかし、現実の世の中を見ると、周りの長所に目を向けることができる人が、ほとんどいないように感じます。家庭、仕事場やネットなどを観察すると、他人の短所を攻撃する場面が目立ちます。
 もしかしたら、他人を攻撃することで、自分自身のストレスを解消しようとしてる人も多いのかもしれません。
 しかし、他人の短所ばかり考えていると、自分自身もネガティブな感情に支配され、自分のことも他人のことも幸せにすることはできないのではないかと思います。
 特に人を動かす立場にある人が、意識した方がいい言葉だと思います。人の短所ばかり指摘したところで、指摘された側のやる気が上がることはないですし、他人の長所ではなく、短所ばかり見ていると、自分も長所ではなく、短所ばかり見られるようになってしまいます。
 結局、他人の短所ばかり見ていると、自分が生きづらくなることにもつながるので、まずは長所を考えるということが大事なのだと思います。

4.誰がなにをしようと、なにをいおうと、私は善くあらねばならない。

 この言葉は、私が好きな言葉の1つです。まるでヒーローの決めゼリフかというような力強い言葉で、非常に魅力的だと思います。
 たとえ、自分を闇に引きずり落とそうとする人間に出会ったとしても、「絶対に闇に落ちてたまるか!」という気持ちにさせてくれる素晴らしい言葉だと思います。
 もし、自分の身の回りに悪事を働いている人間がたくさんいたとしても、それに流されない心が大事なのだと思います。
 人生において、「周りがなにをしようが、自分はただ善くありたい」という強い信念があれば、周りに惑わされることなく、真っ直ぐな生き方ができるのではないかと思います。

5.人に善くしてやったとき、それ以上のなにを君は望むのか。君が自己の自然に従って何事かおこなったということで充分ではないのか。

 自分が誰かに善くしてあげた時に、相手に見返りを求めるという人もいますが、私はあまりその意見に賛成できません。
 もちろん、そういう意見の人の意見を全否定するつもりはありません。
 しかし、自分が心から相手に善くしてあげたいから、善くする。自分がしたいと思ったことをしたこと自体が、自分にとって喜ばしいことだと思いますので、相手からの見返りや報酬がなくても、満足できるのではないかと思います。

 例えば、自分が誰かにプレゼントをあげる時に、相手からのお返し目的で何かあげるのか、それとも、お返しがもらえるか関係なく、自分が心から相手に何かプレゼントしたいからあげるのかでは大きな違いです。道徳的な観点でいうと、後者が本当の意味で善い行いと言えるのではないかと思います。

3.私の思い、そして「自省録」を読むべき理由

 私が、「自省録」を読むべきだと思う理由は、人間として大切な倫理・道徳が学べるからです。
 現在の世の中では、道徳を軽視している人が多いように感じます。
 例えば、SNSには、常に誰かを中傷する言葉が溢れています。面白がって他人を馬鹿にするような投稿をする人もいれば、自分が絶対的な正義なんだと思い込み、少しでも自分と違う価値観や意見の人がいれば、叩きにいくような人もいます。もっとひどいケースだと、1人の人間を多数の人間が叩きにいくようなことも少なくありません。
 しかし、本当にこんな世の中でいいのでしょうか。
 そもそも、他人を馬鹿にできるほど、自分は素晴らしい人間なのでしょうか。
 私は自分が善き人間でありたいと思い、生きていますが、だからといって、自分が素晴らしい人間だとは思えません。
 なぜなら、何が善いことで、何が悪いことなのか、その答えがでることはないからです。自分が善いことだと思っていることが、誰かにとっては悪いことということもあります。
 でも、このような答えのない問題について、自分に問い、考え続けること自体に意味があるのではないかと思います。自分自身としっかり向き合っていれば、そう簡単に、他人を攻撃しようとは思わなくなるような気がします。

 「自省録」には、自分自身の生き方や倫理・道徳などについて考えさせられる言葉がたくさん書かれているので、一度読んでみることをおすすめします。
 また、1つ1つの文が短いので、長い文章を読むのが嫌いな人でも、読めるかもしれません。
 また、「自省録」に書かれている言葉が魅力的なのはもちろんのことですが、マルクス・アウレーリウスのように自分自身と対話し、考え続ける行為そのものを私たちは見習わなければならないのではないかと思います。
 周りの人間やネットの情報に流されず、自分の頭でしっかり考えることを、決して忘れてはいけません。
 
 最後までご覧くださり、ありがとうございました。

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