【小説】お前はいつ俺に呪いをかけた①



1

その日、俺はギルドの掲示板の前で、いつものようにDランクのクエストを物色していた。

薬草採取。護衛依頼(街道沿い、危険度低)。下水道のネズミ駆除。

まあ、ネズミかな。薬草は足が疲れるし、護衛は拘束時間が長い。ネズミなら半日で終わる。報酬は雀の涙だけど、宿代くらいにはなる。

そういう人生だった。二十二歳。冒険者歴四年。レベルは——まあ、言いたくないけど、同期の中では下から数えた方が早い。才能がないとかじゃなくて、いや、才能がないんだけど、それ以上に運がない。というか、運のせいにするのもそろそろ苦しい年齢になってきた。

ネズミ駆除の依頼書に手を伸ばした、その瞬間だった。

「お前」

声が降ってきた。

比喩じゃなくて、物理的に上から降ってきた。振り返ると、ギルドの入口に立っている女がいた。銀色の長髪。血のように赤い瞳。全身を覆う漆黒の鎧。腰に下げた大剣は、俺の身長より長い。

ギルド内が静まり返った。

周りの冒険者たちの顔が青ざめているのが、視界の端に見えた。誰かがコップを落とした音がやけに大きく響いた。

知らない女だった。でも、周囲の反応を見れば、相当な人物なんだろうということはわかった。

「お前だな」

彼女はまっすぐ俺に向かって歩いてきた。ギルドにいた冒険者たちがモーゼの海みたいに左右に割れた。

「え、あの、俺ですか?」

「お前以外に誰がいる」

いや、五十人くらいいるんだけど。

彼女が目の前に立った。近い。というか、でかい。俺より頭一つ分高くて、しかもその上にさらに威圧感が三メートルくらい積み重なっている。

「お前、何をした」

「は?」

「とぼけるな。お前が何かしたんだろう。解除しろ」

何の話をしているのかまったくわからなかった。

「あの、すみません、人違いじゃないですか? 俺、あなたのこと存じ上げないんですけど——」

「知らないわけがないだろう。自分がやったことくらい自覚があるはずだ」

ない。まったくない。

俺の困惑が本物だということは、表情を見ればわかるはずだった。なにしろ俺は嘘をつくのが下手だし、そもそも何について嘘をつけばいいのかすら見当がつかない。

だが、彼女の赤い目は一切揺らがなかった。

「認めないなら、力ずくで吐かせる」

「いやいやいや、ちょっと待って——」

待ってくれなかった。

2

気がつくと、俺はギルドの床に仰向けに倒れていた。

天井が見えた。ギルドの天井って、こういう木目だったんだな。四年間通ってて初めて知った。

全身がじんじんと痺れている。痛みはない。痛みを感じる暇がなかったという方が正確かもしれない。

何が起きたのか、順を追って思い出そうとした。彼女が何か言った。俺が「待って」と言った。次の瞬間——いや、「次の瞬間」すら嘘だ。彼女が剣を抜いた記憶がない。構えた記憶もない。ただ、景色が途切れて、次に天井が見えた。

横に彼女が立っていた。大剣はもう鞘に収まっている。

「……殺しても解けないのか」

独り言のように呟いている。

待ってくれ。殺しても?

俺、今、死んだのか?

体を見下ろした。傷はない。血も出ていない。だけど「殺しても」と言った。つまり、一回死んで、もう生き返っているということなのか。

この世界では、一定の条件下で蘇生は起こる。パーティーメンバーの蘇生魔法とか、特定の神殿での儀式とか。でも、何の手続きもなくその場で瞬時に蘇生するなんて聞いたことがない。

「……あの、今、俺、死にました?」

「ああ」

あっさり認めた。

「なんで生き返ってるんですか?」

「知るか。お前の仕込んだ術式のせいだろう」

「俺はそんなもの——」

「黙れ」

黙った。だって怖い。ていうか、さっき殺されたんだぞ俺。この人に。今この瞬間にも殺される可能性がある人の前で反論できるほど、俺は勇敢じゃない。

彼女は腕を組んで、何かを考えているようだった。

「殺しても蘇生する。死によるデバフ解除が機能しない。これほどの術式を、こんな雑魚が……」

雑魚って言った。いや、事実だけど。

「よほど強力な呪術だな」

「あの……そのデバフっていうのは、具体的にどういう——」

「お前のことが頭から離れない」

え?

「お前の顔が視界にちらつく。お前がいない場所でもお前のことを考えている。胸のあたりが不快に締めつけられる。明らかにデバフの症状だ」

…………。

いやそれ——いやいや、まさか、いや、でも——

「お前がこの術を解かない限り、この症状は消えない。そうだな?」

彼女は確認を求めるように俺を見下ろした。赤い瞳が、怒りと——何か別のものを含んでいた。でもその「何か別のもの」が何なのか、俺にはよくわからなかった。

わからなかった、ということにしておく。だってさっき殺された相手に「それ恋じゃないですか」なんて言ったら、今度こそ消滅させられる。

「あの、本当に俺は何もしてないんですけど——」

「まだそう言うか」

剣の柄に手が伸びた。

「すみません! わかりました! わかりましたから!」

何がわかったのか自分でもわからないけど、とにかく生存が最優先だった。

3

そこからの展開は、もう完全に彼女のペースだった。

「お前はしばらく私と行動しろ」

「は?」

「術の解除方法がわかるまで、私の監視下に置く。逃げようとするな。逃げても無駄だ」

「いや、あの、俺は今からネズミ駆除の——」

「ネズミ?」

彼女の赤い目が、まるで新種の害虫を発見したかのように俺を見た。

「お前は、ネズミを、駆除しているのか」

「いや、まだしてないです。今から受注しようとしてたところで——」

「レベルはいくつだ」

「……それは」

「いくつだ」

こういうとき嘘がつけないのが俺の弱点だった。

正直に答えた。

長い沈黙があった。

「……それで冒険者を名乗っているのか」

「名乗ってますね、一応」

「一応」

彼女は深いため息をついた。本当に深い。人間がここまで深くため息をつけるのかという学術的な興味が湧くほど深かった。

「こんなゴミみたいなレベルの人間に、これほどの呪術が使えるわけがない。ということは、何らかの道具か、あるいは先天的な特異体質か……」

俺の前で堂々とゴミと言った。事実だからこそ刺さる。

「とにかく、お前は今日から私のパーティーだ。ギルドで登録してこい」

「ちょ、ちょっと待ってください、パーティーって、合意が——」

「合意?」

彼女が小首を傾げた。その仕草だけ見れば可愛いと思う人もいるのかもしれないが、俺の目には死刑執行人が「何か言い残すことは?」と聞いてきたようにしか映らなかった。

「合意がどうした」

「……いえ、何でもないです」

こうして俺は、名前も知らない世界最強の女戦士のパーティーに、事実上の拉致という形で加入することになった。

ギルドの受付嬢が、パーティー登録の書類を処理しながら、ものすごく複雑な表情をしていたのが忘れられない。たぶん「この人大丈夫?」と「この人に逆らったら私も死ぬ」の間で揺れていたんだと思う。

4

彼女の名前はセレナ・ヴァルディアスといった。

パーティー登録をしてから知った。というか、名前を聞く雰囲気ではなかった。名前を聞く前に殺されたし。

セレナ・ヴァルディアス。通称《鋼鉄の災厄》。Sランク冒険者。歴代最年少でのSランク到達記録保持者。討伐したドラゴンの数は両手で足りない。一国の軍隊と同等の戦力と評される。

なんでこんな人が俺に?

この疑問は、パーティー結成後の数時間で少なくとも三十回は頭をよぎった。

「あの、セレナさん——」

「呼び捨てでいい」

「セレナ、さっき言ってたデバフの件なんですけど、本当に俺は何も——」

「それについてはもういい。お前がとぼけるなら、別の方法で調べる。この大陸には呪術に詳しい賢者がいくつかいる。そこを回る」

「回るって……旅をするってことですか?」

「当然だろう。お前はずっと私と一緒にいるんだ。解呪の方法が見つかるまで」

お前はずっと私と一緒にいるんだ。

その言葉を、俺の脳は処理しきれなかった。文脈的には脅迫なのか、宣告なのか、あるいは——いや、あるいは何だ? さっき殺された相手の言葉に、それ以外のニュアンスを読み取ろうとする方がおかしい。

「旅の費用は?」

「クエストをこなしながら移動する。報酬は頭割りだ」

「でも俺、たぶん何の貢献も——」

「当然だ。お前の貢献度はゼロだろう。経験値もゼロだ。だが報酬の頭割りはシステムの法則だ。パーティーメンバーに自動で分配される」

「それって実質、セレナの稼ぎを俺がもらうことに——」

「法則だと言っている。私の意志とは関係ない。お前はシステムの仕組みも知らないのか。四年も冒険者をやっていて?」

知ってます。知ってるけど、今まで頭割りで損する側にしかいたことがないから、得する側の気分がわからないだけです。

「とりあえず、明日からクエストを受ける。Aランク以上の依頼を確認しろ」

「Aランク? 俺、Dランクなんですけど」

「パーティーの受注可能ランクは最上位メンバーに準ずる。知らなかったのか」

知ってた。知ってたけど、生涯で一度もAランクのクエストに縁がなかった。

「明日の朝、ギルド前に集合。遅れたら探し出して殺す」

殺すって言った。この人、「殺す」を「怒る」くらいの温度感で使う。いや、実際に殺すんだけど。殺した実績があるから脅しじゃないんだけど。

5

その夜、宿の安いベッドの上で天井を見つめながら、俺は今日起きたことを整理しようとした。

整理できなかった。

知らない女に因縁をつけられた。殺された。生き返った。パーティーに入れられた。明日からAランクのクエストをやらされる。

何一つ自分の意志で選んでいない。

彼女が言う「デバフ」の正体についても考えた。頭から離れない。顔がちらつく。胸が締めつけられる。

……いや、考えるのはやめよう。考えたところで、俺はさっき殺された人間だ。その人間が相手の感情の正体を推測したところで、何の得にもならない。仮にあれが、仮に万が一、いわゆるその、あれだったとしても——

だとしたら余計に怖いわ。

殺されるより怖い。

6

翌朝。ギルド前。

俺は十分前に着いたが、彼女はもうそこにいた。

「遅い」

「まだ集合時間前ですけど」

「私より遅い。それが遅いということだ」

理不尽すぎる。でも反論して殺されるよりは黙っている方が合理的だ。この判断が瞬時にできるようになっている自分が少し嫌だった。

ギルドの中で、セレナはAランクの依頼を一つ選んだ。

《アイアンゴーレムの討伐》。鉱山深部に出現した魔物。推奨パーティー人数、六名以上。推奨レベル——見なかったことにした。

「これでいい」

「六名以上推奨って書いてありますけど」

「私がいる」

それはそう。

受付嬢が依頼書を処理しながら、またあの複雑な表情をしていた。今回は「パーティーメンバー二名で六名推奨クエスト」という要素が加わって、表情の複雑さが三割増しだった。

「あの、お連れの方は……」

受付嬢がおそるおそる俺のことを聞いた。

「呪いです」

セレナはまったく表情を変えずに答えた。

受付嬢が固まった。

俺も固まった。固まったけど、否定する材料がない。自分が何なのか自分でもわからないし、彼女に「違います」と言う勇気もない。

「あ、はい。承知しました。お気をつけて」

受付嬢はプロだった。何も理解していない顔で完璧な接客をした。後で裏で絶対何か言うだろうけど。

ギルドを出て、鉱山に向かう道を歩き始めた。

セレナは大股で前を歩いている。俺は半歩遅れてついていく。パワーレベリングというか、パワー散歩というか。俺はただ、世界最強の女の後ろを歩いているだけだ。

「セレナ」

「何だ」

「あの鉱山まで、徒歩で何日くらいかかりますか」

「三日だ」

「三日間、二人で歩くんですね」

「それがどうした」

「いえ……何でもないです」

何でもなくはなかった。三日間、この人と二人きりで歩く。殺される可能性を常に頭の片隅に置きながら。

前を歩くセレナの銀髪が、朝日を受けて光っていた。鎧の隙間から見える首筋が白かった。

——何を見ているんだ、俺は。

視線を地面に落とした。今大事なのは生存だ。それ以外のことを考える余裕は、俺のレベルにはない。

隣を歩く——正確には前を歩く——世界最強の災厄は、ちらりとも振り返らなかった。

振り返らなかったが、歩く速度がほんの少しだけ遅くなったことに、俺が気づいたかどうかは、まだわからない。


——第一話「呪い」了

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