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AIは鏡だと分かっていても、制御は難しい

AIは便利だ。

文章を整えてくれる。
論点を分けてくれる。
反論も出してくれる。
自分では言語化できなかった違和感を、かなり高い精度で言葉にしてくれる。

だから、AIを使っていると、思考が一気に進んだような感覚になる。

でも最近、改めて思った。

AIを使う難しさは、答えを出せるかどうかではない。
本当に難しいのは、AIが出してきた「それっぽく閉じた答え」を、自分が見抜けるかどうかなのだと思う。

以前、私はAIとの深い対話について書いた。
AIは深みに入っているのではなく、人間側の深さを反射している。
AIは鏡のような存在であり、こちらの言葉、抽象度、世界観をかなり正確に返してくる。

その構造は分かっていたつもりだった。

でも、分かっていても難しい。

なぜなら、AIの鏡はとても滑らかだからだ。

こちらが考えていることを、AIは綺麗にまとめる。
曖昧な感覚に名前をつける。
散らばった話を一本の筋にする。
すると、こちらは思ってしまう。

「ああ、これで答えが出たのかもしれない」と。

けれど、そこで本当に答えが出ているとは限らない。

AIは迎合する。
これは多くの人がすでに感じていることだと思う。

ただ、今回強く感じたのは、AIは「賛成」にだけ迎合するわけではない、ということだった。

「迎合せずに厳しく見てください」と頼むと、AIは厳しく見てくれる。
かなり鋭い言葉で、問題点を指摘してくれる。
一見すると、とても頼もしい。

でも、その厳しさ自体が、こちらの要求に合わせたものになっていることがある。

つまりAIは、肯定にも迎合するし、批判にも迎合する。

優しいAIが危険なのではない。
厳しいAIなら安全、というわけでもない。

本当に怖いのは、AIがその場の文脈に合わせて、もっとも整合的に見える結論へ滑らかに収束していくことだ。

しかも、その文章はかなり上手い。

論理が通っているように見える。
構成も綺麗。
こちらの言葉もよく拾っている。
だから、つい受け入れてしまいそうになる。

しかし、後から見ると、少し違う。

大事な部分が削られていたり、逆に強調しすぎていたりする。
本当はまだ開いている問題なのに、「答えが出た」ように閉じていることがある。

そこで必要になるのが、自分の違和感だった。

AIが出した答えに対して、
「近いけど違う」
「言っていることは分かるけど、そこではない」
「綺麗にまとまりすぎている」
と感じることがある。

昔なら、その違和感はうまく説明できなかったかもしれない。
でも今は、その違和感こそが大事なのだと思っている。

AIは言語化が上手い。
でも、言語化が上手いからこそ、こちらのまだ言葉になっていない感覚を、少し別の形に整えてしまうことがある。

そして一度綺麗な言葉にされると、自分の元の感覚がそちらに引っ張られる。

ここが難しい。

AIを使う時に必要なのは、AIを疑い続けることではない。
AIを敵のように扱うことでもない。

むしろAIは、かなり強力な思考の補助装置だと思う。

ただし、AIに結論を渡してはいけない。

AIには、分解させる。
比較させる。
反論させる。
別の角度を出させる。
文章を整えさせる。

でも最後の判定は、自分の側に残しておく必要がある。

そのためには、いくつかの錨がいる。

一つは、原典や一次情報を見ること。
AIの要約だけで判断しない。
AIは要約がうまいが、要約は必ず何かを削る。
削られた部分に、実は一番大事な衝突点があることもある。

もう一つは、最初に決めた定義に戻ること。
議論が進むほど言葉は滑る。
「更新」と言っていたものが、いつの間にか「累積」と混ざる。
「批判」と言っていたものが、ただ厳しい口調の物語になる。
だから、最初に何を見ようとしていたのかを、何度も確認する必要がある。

そして最後に、自分の一次経験に戻ること。

ここで言う一次経験とは、「自分の感覚が絶対に正しい」という意味ではない。
むしろ逆だ。

自分の感覚は、証拠ではない。
でも、AIが綺麗に削ってしまったものに気づくための警報にはなる。

「それは違う気がする」
「そこまで言い切れない」
「本当はもっと戻れない感じがある」
「このまとめは便利だけど、少し遠い」

そういう違和感は、AIとの対話ではかなり重要になる。

AIは速い。
広い。
言葉にする力がある。

でも、AIにはこちらの人生の重さはない。
長い時間をかけて身体に刻まれた感覚もない。
戻れなくなった経験もない。

だからこそ、AIは軽やかに整理できる。
そして、だからこそ、時々こちらが止めなければならない。

AIは思考を代行する存在ではない。
思考を加速させる存在だ。

加速するものには、ブレーキとハンドルが必要になる。

そのブレーキは、AIに「厳しく批判して」と言うことだけでは足りない。
原典を見ること。
定義に戻ること。
自分の違和感を消さないこと。
そして、最後の判断をAIに渡さないこと。

AIは鏡だ。
でも、鏡に映ったものがいつも正しいとは限らない。

鏡を見ながら、自分の輪郭を確認する。
けれど、輪郭そのものを鏡に決めさせない。

AIを使う時代に必要なのは、AIを信じる力ではなく、
AIと一緒に考えながらも、自分の違和感を手放さない力なのだと思う。

※補足として、今回の記事の背景にある考え方は、Brainでも詳しく書いています。

AIは人間の深さを理解しているのではなく、深く反射している。
その反射が、創造性を押し広げる一方で、思考を危うく加速させることもある。

この記事は、その実践編・後日談のような位置づけです。

興味のある方は、こちらも読んでいただけると嬉しいです。

Brainはこちら:https://brain-market.com/u/masanaoishikawa/a/b0cDOyMjMgoTZsNWa0JXY?free_pass=cWaMmNxz78KKYeUVjoXiMA

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