ボイジャー志望者にむけて

*この文章は葉山でともに漕ぐオーシャンヴァアのオハナに、それもボヤージングをしたいというオハナに向けて書いた文章です、メールだと書きにくて読みにくいので、note に書いて読んでもらおうと思いここに記しました。
この内容は一般向けに語っているのではありません。一般の読者は読まないことをオススメします。極端な内容だから、

オハナとは、ハワイ語で「家族、または家族のようなきずなの深い仲間」 という意味です。

あの映像を見て、心を痛めたオハナは何人いるのだろう、

あの日、心配になってかけつけてくれたオハナは何人いただろう、

いつも気軽に私たちを海に導き、非日常の世界へと連れて行ってくれて、肉体だけでなく魂さえも癒やしてくれ、仲間との一体感や、海との調和や、大自然の偉大さを気づかせてくれる、

ヴァアたち、そして、ヴァアに不可欠な私達の砂浜、


2日前の夜中に予想はずれの台風なみの暴風が吹いた、

それも西風、めったにここ葉山では吹かない方角からの強い風。

浜に置いていたヴァアたちはその強風に耐えることができずに吹き飛ばされ、タイヤとウマからおちて、あの10メートル以上、100キロ以上もあるヴァアたちは互いにぶつかり合うことで、かろうじてそこで止まっていた。周りの砂も風で大きくえぐれ、ガリガリの状態で、至る所に小山ができて、どこからどうみても手入れの復旧作業が必要な状態だった。

練習のスケジュールに名前が入っているから、その都合上、ついでに復旧作業に来たという人もいるだろう、

午後からのクリスマスレースのために少し早めに来てくれたオハナも居るとは思う、

でも、そのどちらでもなく、この悲惨な状態のヴァアを気遣い、心を痛め、自分の都合を無理して調整し、かけつけてくれた人は何人いただろうか?

一人? 2人?

いつも使わせていただいている、荒れ果てた砂浜をもとのフカフカの状態にもどしたい、ビーチクリーンをしなきゃ、と思ってやって来た人が何人いるだろう、

同じ砂浜にいても、レースの準備が忙しいのか、見向きもしないで、自分の話にふける人もいれば、
いつも一緒に漕いでるオハナたちが少人数でカヌーを担いだり、砂を整地している姿をみても、それを気遣うことも手伝うことにさえも気づかない人もいた、

残念で哀しすぎる、

数週間前、私たちの初代のヴァア Pili Aloha がいる淡路島を心配して手伝いに来てくれた人は3人、だった、

それが悪いとは決して思わない、それが今の風潮なのだ、

今のあたりまえの常識なんだと思う、

自分は自分、人は人、

自分主義、

効率や損得ばかりを求める現代人、

愛のエネルギーが自分にだけ向けられ、自分の中でだけ回りつづけ、外の世界に放出しないエネルギーは淀んでしまい愛は機能不全となってしまう、


残念なことに、40年以上も過去の景色になってしまったけども、

ハワイでは、ヴァアを運ぼうとすると、周りから関係者以外も、浜にいる誰もが集まり、大勢でヴァアを頭上に持ち上げ、まるで御神輿のようにして、皆で喜んで運んでいたものだった、そういうものだった、

それは、作業ではなく、儀式だった、つい最近までそうだった、



アロハ、という言葉がある、誰もがしっているハワイ語だ、

ハワイの挨拶でもあるけども、
ただのありふれた 今風な 愛 ラブ、ではない、

アンクルKimokeo がいつも口癖のように言っていた、

ALOHA!  Unconditional love and respect 

日本風に言うと「見返りを求めない愛、尊重」

見返りとは、お金、ご利益、合理性、得、自己固執、エゴ、損得勘定、

今のこの世の中、経済至上主義、自由主義、ご都合主義の競争社会で、

なんの見返りを求めないで、人のため、何かのために自分の時間を注ぎ込み、愛を、命を、かけることができる人がいるのだろうか、

" アロハ "(愛)は、近代という世界の中で、忘れるようにと、
いつのまにか知らない間に教えられてきたのではないだろうか、

忙しく、仕事をし、食べていくためにお金を稼ぎ、子育てに追われる毎日の現代の人に、そんなことを求めること自体が無謀なことだと言うのはわかっている、

それこそduke のエゴだと言われても仕方ないことだと思う、

でも海は、自然は、何の見返りをもとめず、いつも私たち人間に愛と恵みを惜しみなく与え続けてくれていることに気づいているだろうか、

アンクルが言うUnconditional love and respect 「見返りを求めない愛」

それは自然からだけでなく、太陽や月、宇宙からも与えられつづけている、

そして、昔に遡れば、私たち人間も、同じ人間に対して愛を与えていた時代があった、


アロハは、ハワイだけでなく、日本にもあった、

私達が日頃漕ぐヴァアは、
そんな時代の、助け合う共同体の、海を航る乗り物なのだ。

アンクルがハワイで多くの人たちが集まるOC-1 (一人乗りカヌー)レース会場、ブレッシングをお願いされて参加した時に、言っていた、

「duke みてごらん、ここにハワイアンは僕だけだよ」 と、

それは肌の色や人種、のことだけを言っているのでなく、そういう意味もあったのだ、

ここにアロハは無いと、個人個人が競争して、勝つこと、自分が今この時を楽しむためだけに来ている、と、

今は6人で漕ぐカヌーでさえも、ハワイでは単なる競技スポーツやレジャーのための普通のマリンスポーツになってしまっているけども、

それほど遠くない昔、まだハワイが統一される前のこと、今で言うところのマカヒキの季節のころ、
領土争いの殺し合いを中断して、カヌーを漕いで競争をし、勝った族たちが、負けた族の、女、子どもを没収し、負けたパドラーたちは全員殺され神に捧げられる、という命をかけた儀式だった、

時代を遡れば、ヴァアという乗り物は、死を覚悟して、愛する" オハナ "(家族、同胞)のため、桃源郷を探すために、そして自分の生命エネルギーを燃焼し魂の崇高さを得ることを目的にして、大海原を航っていた、
そんな時代の乗り物、それがヴァアなのだ、

Eddie Aikau が海で失踪するまでのホクレアもそうだった、

わたしたち日本人の祖先も、命をかけて、命をはって、愛する人のために、生きていた時代があった、

自分が損得や、食べるためにではなく、

義や仁や、信をつらぬくために、生きた人たちがいた、
そんな時代があった、


今の若者は鼻で笑うかもしれないけども、

自分の命よりも大切な愛や、義や信のために、家の誇りのために、
それこそ国家のために、
命をかけ、愛をつらぬき、死んでいった人たちがたくさんいたのだ。

愛する人のためなら 犬死 もいとわない、という人がいつの時代もいた。
それが魂の尊厳だと理解していた。

そんな先人たちがいたから、私たちは今生きている、自由に生きられる、
その祖先の愛のおかげで、

私たちは今、平和ボケした利己主義をつらぬいて自分のやりたいことだけを考えて生きることが可能なのだ。

時代錯誤のおじいちゃんの説教をするつもりは毛頭無いのだけど、

縄文時代から戦前ごろまでの数万年もの間、延々と長きにわたり、わたしの祖父や、祖母があたりまえのように生きていた、
あの共同体の叡智、
助け合いの精神、

村人総出でやる稲作や、普請(土木工事)、

わたしの祖先が、やっていた命をかけて挑む勇魚取り(古式くじら漁)、

そして神々への祈り、祭、神輿、

それは、ほんとうに時代遅れのガラクタなんだろうか?

今の時代必要ないことなのだろうか、


話が大きくズレてしまい長くなったけども、、、

わたしは、漕ぎ力だけでなく、真の " アロハ "(愛)を持った人とボヤージングをしたい、航海をしたい、

自分の都合ばかりを最優先するくせがついてる人ではなく、
ALOHA(愛)がある人と、

自分を犠牲にして、仲間を思いやり、ヴァアを気遣い、見返りなしに愛をこめて感謝をこめて共に海を漕ぐ、

そういうオハナとじゃなければ、陸地がまったく見えない荒れた海を、命をかけて漕ぐことはできない、

週末1時間とか2時間とか、管理された自然の中、岸沿いの海で、レースや練習として漕ぐだけであれば、オハナでなくても、メンバー誰とでも、ビジターとでも海は漕げるだろう、

Taho'e (ひとつになる)や、Ohana Ka Wa'a (カヌー家族)の精神は、実のないうたい文句だけでもいいだろう、

でも来年の初夏、60年に一度の丙午(ひのえうま)の年、

陸地がまったく見えない海を航るとき、月明かりの大海原を漕ぐとき、
黒潮を縦断するときは、

自分が楽しむことや、勝つことを追求するアスリートではなく、

真の" アロハ " のある仲間と海を漕いで航りたい、

ほんとうのOhana Ka Wa'a が必要だ、

そんなかつて存在した "助け合う共同体 "
縄文時代からつづく、日本が世界に誇れる大家族主義を蘇らせるために、
わたしはこの海を漕いで航るという活動を始めたのだから。 

それがホクレアのスピリットから与えられたクレアナ(使命)なのだから。












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