ホクレアの初心
オハナに、特に夏休み中の子供たちに観てほしい映像を見つけたのでシェアしますね。
” 喜びの星 ”
https://www.youtube.com/watch?v=dmRWCNS9NFo
1975年のハワイの古い映像なので、目を引く広告のように演出されたインスタ画像やAIで造られた鮮明な映像に目が慣れてる若者には、テンポも遅く画質も少し違和感を感じ、ただの古めかしい映像に映るかもしれません、
しかしながら、ここに納められた30分弱の映像こそが、
これが約20年前に宇宙からのマナを与えられ誕生した、オーシャンというカヌークラブの魂の源であり、
母なる地球とつながる目的でボヤージングをすることの真髄、根源を、現存する実際の映像として見ることができるものだと思うのです。
オハナの皆んなは、オーシャンという私たちのカヌークラブがハワイのホクレア号が2007年に日本にやってきたことがきっかけでできたことは知っていると思う。
そして、そのホクレアの姿は何度かハラウや、日本全国各地でも上映会を開催して観た、世界一周のドキュメンタリー映画 “ Moananuiakea “ や、ガイアシンフォニー第三番のナイノア編で観た映像であったり、最近はインスタやFBでも画像を見る機会も増えたと思います。
その姿はつねに美し2本のセイルを立てた姿で、海を優雅に風を受けて進む姿であり、海に浮かぶ姿です。
それを観た人は、とくにハワイの知識があまりない人は、
ホクレアがWa’a (ヴァア)カヌーだとは思わないでしょう、
セイルを立てた姿は ヨット と変わらない印象を受ける人がほとんどだと思う
私がホクレアは私たちが漕いでる6人乗りカヌーと同じヴァアだよ、
同じスピリットだよといくら言っても、
彼らが目にするホクレアの映像や画像をみて、
それがヴァア(カヌー)だ、と理解できる日本人のパドラーは数少ないことでしょう。
でも、このハワイでも50年間もの間、秘蔵扱いだった、、
オアフ島のウインドワード、聖地コウラウ山脈をバックに、カネオへ湾の ” 天国の海 ” ラニ カイ とのいわれも高い神聖な砂浜に佇むホクレア、そこでの進水式のブレッシング、そして舟出、、
毎日のように目にしていたハラウに飾られた昔の写真でしか見たことがないわたしにとっても、動画で見るのは初めてで、感動でした。
余談だけど、つい最近、このカネホヘ出身のハワイアンがビジターで漕ぎにきて、彼はこのハラウに飾ってあるホクレアの写真を観てマジ泣くほどに感動し、子供の頃のこの時のホクレアの話で盛り上がったのも何かの導きだと感じ、
今回、みんなにシェアするきっかけにもなりました。
この30分弱の映像を観れば、オーシャンのオハナであれば、ヴァアが誕生し海に浮かばせる過程でのリグ、祈りの儀式、そして海を漕いで進む姿は、私たちのヴァアと全く同じスピリットを与えられたものだ、ということに誰もが気づくはずです。
そして、ホクレアという外洋航海カヌーをハワイに復活させた人たちが,
Hui Nalu を中心とするカヌークラブに所属する、日頃から海を漕いでいたパドラーたちが中心となり、パドラーたちの力を結集させて、古代の海洋民族の偉大な叡智とスピリットを目覚めさせるためにそのプロジェクトを50年前に始めたということも理解できることでしょう。
少し長くなりましたが、、
なぜホクレアが今は漕がないのか?
漕いで海を進むことをしなくなったのか?と思うでしょう、
それはこのホクレアが造られた50年前の時点で、近代の機器や海図を使わないで、古代の海洋民族と同じように大自然から得られるさまざまなサインだけをたよりにして航海をナビゲーションできる外洋航海術を持った、古代の叡智を持った人が、その当時のハワイには1人もいなかった、という事情と似ているのだけど、
アメリカ合衆国という資本主義の帝国の渦の中にあるハワイ島で、
ホクレアの本当の意義を理解して、お金にもならず、ただ大海原を漕ぎ続けることができる精神力と体力と、そしてその覚悟と心意気を持ち合わせたソウルパドラーがもうほとんどいなかった、
という話を私はかなり前にクルーたちから聞いたことがある、
小笠原まで漕ごう、祈りのボヤージングに惹かれるパドラーがいないのと同じだね。
ネイティブハワイアンたちが求めた、ポリネシアの神話をもとにする土俗的で魔術的な、自然の中に存在する” 神々の力を信じ海を漕ぐ ” というあまりにも前近代的で非科学的な儀式が、
スポンサーでもあり、キリスト教徒の人類学者、考古学者たちインテリの
ハオレ研究者たちに押し切られ、出版物やメデイアを使い、Star Navigation や Way Founding に注目されるような流れに陥り、いつの間にか海を漕ぐ神秘的な儀式 E Hoe Pu Me Ka Aloha が失われていったのです。
よくアンクルKimokeo がスポーツ化したカヌーのレース会場で、悲しい顔で言う
『ここにはハワイアンはもういない、、、』という言葉を思い出した。
パドルで漕ぐことを失ったホクレアは、刀をさすことを失った明治維新後のサムライのようなもの、
見た目は変わらないけど、日本の心を失った戦後の日本人のようなもの、
伴走艇を付けて航海し、エンジン付きの船に引っ張られて移動するホクレアは、トラックに乗せられて道路を移動するイベント化した神輿とお囃子のようなもの、
私たちが人類が、この社会の家畜のようになり、肉体だけが生かされ続けるのと同じ、
保身することなく、
生命を燃焼しながら燃え尽きるまで、
魂で地球とつながりながら祈り、海を漕いで渡っていた古代の海洋民族、
そんな初期のホクレアに私は憧れてやまない、
それが私たちオーシャンの根源なのだ。
