【包公案・名判事包青天の事件簿】第十鍘 渡し場
さて、徐隆は剣州の人である。
家は極めて貧しく、父を亡くして母が健在であったが、日々の食にも事欠く有様であった。徐清という弟がおり、日雇いの仕事をして母を養っていた。母は、徐隆が仕事もせず、一日中遊び歩いているのを見て、しばしば罵った。徐隆はこれに羞恥を感じた。
ある日、徐隆は一念発起し、親友の馮仁と約束を交わし、共に雲南へ商売に出かけた。十数年の歳月が流れ、大きな利益を上げて、荷をいっぱいに積んで帰路に就いた。
故郷の『接跡渡』という渡し場にたどり着いた時は、日が暮れようとしていた。見れば、かつての渡し守である張杰)が船を操って迎えに来た。二人は笑顔で拱手して挨拶した。
張杰が尋ねた。
「徐隆殿!長らく帰られなかったが、さぞや儲けられたのでしょうな」
徐隆は歩き続けて銀を背負っていたため疲れ果てており、微かにこう答えた。
「金はいくらか蓄えたが、得たものは多いとは言えませんな」
そうして雨傘と包みを船室へ投げ入れると、重々しい音が響いた。張杰は彼が遠く雲南から帰ってきたことを知っており、その包みの中に必ずや銀が入っていると考え、突如として凶悪な心を起こした。そして一本の棹で徐隆を殴り、水の中に突き落として溺れ死なせた。夜のことであり、目撃者はいなかった。
張杰はその包みを密かに隠して家へ持ち帰り、奪った金銭を元手に田畑を買い家を建てた。
張杰には張尤という名の子がおり、年は七歳であった。家庭教師を一人雇って経典の解釈を学ばせていた。その師は常々、張杰を称賛していた。
「ご子息は詩や対句に長けておられる」
張杰はそれを深くは信じていなかったが、端午の節句の際、家庭教師を招いて酒宴を開いた。
酒宴の最中、張杰が言った。
「先生は常々我が息子が対句をよくするとおっしゃる。今日は端午の節句と言う事で、この節句をお題として我が子を試してはいかがだろうか」
教師は
「ご子息の資質は真に風雅。連句など造作もありません」
と答え、思いつくままに一聯を詠んで対句を求めた。
「黄糸にて粽を繋ぎ、汨羅江上にて忠魂を弔う」
張尤はしばらく考えていたが、答えることができなかった。張杰はたちまち不機嫌になり、教師もまた面目を失ったように感じた。
張尤もまたひどく恥じ入り、用を足すふりをして厠へ向かった。すると、一つの人魂がの老人に姿を変え、張尤の前に現れた。
「小僧、今日はなぜ不機嫌な顔をしているのだ?」
張尤は答えた。
「父が先生を招き、席上で対句の試験を出されたのですが、とても難しく答えられなかったのです。それゆえふさぎ込んでいるのです」
老人はその対句はどのようなものかと尋ねると、張尤は答えた。
「『黄糸にて粽を繋ぎ、汨羅江上にて忠魂を吊う』という句です」
老人は笑って言った。
「簡単ではないか。わしが代わりに対を作ってやろう」
張尤は喜んで
「それはありがたい」
と言った。
老人は張尤に対句を授けた。
「紫竹にて包みを担い、接跡渡の頭ほとりで遠客を謀る」
張尤は大いに喜び、慌てて席に戻って教師に報告した。
「先生が出されたお題に、答えができました」
先生は喜んで言った。
「そうか、対句ができたか、それは立派じゃ。早く申してみよ」
張尤は答えた。
「『紫竹にて包みを担い、接跡渡の頭ほとりで遠客を謀る』」
これを聞いた張杰は驚愕して顔色を失った。
先生は
「対句としては成り立っているが、あまり美しいものではないな」
と言った。
張杰は息子を怒鳴りつけた。
「その対句は、誰かに頼んで作ってもらったものであろう。正直に話しなさい。さもなくば鞭で打つぞ」
恐れおののいた張尤は、見知らぬ老人が代わりに作ってくれたことを白状した。
張杰が
「その老人は今も厠にいるのか」
と尋ねると、張尤はわからないと答えた。張杰が慌てて見に行ったが姿はなく、心中、これこそは渡し場で謀殺した徐隆の怨念の仕業に違いないと疑い、恐ろしさのあまり身を震わせた。
そして徐隆を謀殺した一部始終を教師に打ち明けてしまったが、それを従弟甥の張奔が盗み聞きをしていた。
張奔はかつて杰と土地の所有を争った恨みがあり、翌日、直ちに訴状を整えて告発した。
董侯はその訴状を受理した。
直ちに五名の捕り手を派遣し、張杰を捕らえて法廷へ引き出し、審問した。張杰は引き立てられると顔面蒼白となり、狼狽して手足の置き場もなかった。
董侯は彼が謀殺したのは事実であると察し、拷問にかけた。耐えかねた張杰は徐隆を謀殺した一件を一つ残らず自白した。張杰は枷を嵌められ獄に繋がれた。
翌日、報告を受けた上官である包公が命を以て償わせるべく判決を下し、家財はことごとく役所に没収された。妻子は逃亡したが、これについては追及されなかった。
