ありがとうを伝えるために、迷いながら書く
あと数時間で、教会でのお葬式が始まる。
行くべきか、迷っている自分がいる。
前の職場で大変お世話になった方の訃報を聞いたとき、胸の奥がぎゅっと締め付けられた。
あの頃は本当にお世話になった。
退職してからはほとんど直接的な交流はなかった。
それでも、心の中では感謝の気持ちは変わらない。
亡くなった方には感謝しかない。
日本語教師として関わる中で、私が全く知らなかったフランスのことを教えてくださったり、逆に、私が日本語を教える立場でありながら、多くのことを学ばせてもらった。
あのやり取りのひとつひとつは、今でも鮮やかに心に残っている。
そういう思い出があるからこそ、心の中で「ありがとう」と伝えずにはいられない。
でも、他に参列する人――誰が来るかわからない――
会う人によっては、過去の職場の嫌な思い出や人間関係のトラウマがよみがえり、自分の心の波が乱れてしまうかもしれない。
「知っていたのに来なかったと思われるのでは…」という後ろめたさも混ざり合い、頭の中は迷路のようだ。
でも、実際には周りは思っているほど気にしていない。
ほとんどの人は、自分の胸の内まで見てはいないのだ。
フランスの教会式は、日本のように形式は厳格ではないそうだ。
短時間だけ参加して心の中で祈る――そんな方法もある。
会場に行けば、自分の中で敬意を示せるし、気持ちを整理してお別れの感覚を持つこともできる。
迷いながらでも、一歩を踏み出す価値は確かにある。
それでも、行くか行かないかに関わらず、心の中で感謝や祈りを捧げることは、立派なお別れの一歩になる。
大切なのは他人の目ではなく、自分の心と感覚を大切にすること。
そして、静かに「ありがとう」と唱えること。
それが、私にとっての最大の敬意なのだ。
ということで、こうしてここに書くことで、少しだけ今、自分の気持ちを落ち着かせている。
