私と先輩と依存症。 (約2300字 3分50秒~5分45秒)
PL顆粒で眠くなる風邪に何を処方したらいいのかさえ戸惑っていた頃の私は、駆け出しの精神科医だった。
その頃、大好きな先輩医師がいた。
恋愛感情ではない。
医師としても、人間としても、心から尊敬していた先輩である。
先輩は、遠回りをして医学部を卒業し、卒業後もさまざまな診療科を渡り歩いて、精神科医になった、ひとことで言えば、苦労人だった。
先輩は、精神病を抱えているというだけであちこちで断られてタライ回しにされている患者がいると聞けば、誰よりも先に駆けつけた。
普通なら精神科では診ないような重い身体疾患まで引き受け、ボロボロになった患者を診ていた。
その頃の病院は、屋根瓦方式といって、若い担当医が診療し、中堅医師が指導し、その上に科長がいる、という診療体制だった。
トップである科長は「困っている人を絶対に断らない」医師だったから、先輩がどんなに難しい患者を病棟へ連れてきても、「なぜ連れてきた」と責められることは一度もなかった。
後輩の私は、通常の精神科では絶対に診ることのないような病気の治療まで、熱心な先輩の一番近くで一緒に診させてもらっていた。
先輩は、流行りのギャグ漫画の主人公そっくりの風貌だった。
けれど、決してモテないわけではなかった。
ただ、恋愛の勝負のタイミングであろうと、困っている人をみるとほうっておけなかった先輩は、いつまでたっても独身のままだった。
そんな先輩には、一つだけ、とびぬけた特徴があった。
とてつもない「大酒豪」だったのだ。
私は、その後、僻地医療の現場でも数え切れないほどのアルコール依存症の方に出会ったが、先輩ほど飲む人にはとうとう出会わなかった。
それほどの大酒家でも、横でみていて、医師としての判断を誤ったことは一度もなかったのだから、医学的にどう説明したらいいのか、先輩の体質だけは、私の、今もって残る謎のひとつである。
先輩は、当直の日でなければ、毎晩のように朝まで飲んでいた。非番の休日は朝から飲んでいた。
職場の送別会や忘年会が旅館で開かれると、最後には決まって、飲み残しの酒瓶は全て先輩の部屋へ運ばれた。
みんなの親切心からだった。
先輩は、職員の誰からも愛されていた。
明け方。
みなが酔いつぶれて眠り込んでいるタコ部屋で、部屋卓の上には一升瓶やウイスキーボトルがびっしり立ち並び、そんな、まだ夜明け前の薄闇の中、先輩だけが両足を前に投げ出して壁に背中をもたれ、卓の茶碗に酒を注いでは、
ずびっ……
ずびっ……
と、つまみもなく、ひとりで飲み続けていた。

闇に光るふたつの目だけは、何十年も経った今でも忘れられない。
要介助の患者にも介護用の機械を使わず、抱いて介護していた先輩は、ある日、腰を痛めた。
痛み止めだけで抑えられない痛みは、さらなる飲酒で紛らわせるようにして、仕事を続けていた。
びっこを引きながら、点滴を打ちながら、患者を診つづけていた。
そして、先輩は私の隣から姿を消した。
私が精神保健指定医になるよりも早かった。
私は先輩のようにはできなかった。
だから、先輩の代わりにはなれなかった。
いや、もっと正確に言えば――
僻地で苦しむ患者を前にしながら、私は自分の寂しさに耐えきれなかった。
先輩ほど純粋に患者のためだけに生きることは、できなかった。
私は、先輩になれなかった。

依存症は、アルコールだけではない。
覚せい剤、麻薬、ギャンブルなどが、まっさきに思い浮かぶ。
けれど、
仕事に依存する人もいる。
芸術に心血を注ぐ人もいる。
恋愛に殉死しそうな人もいる。
何に依存するかによって、社会から忌み嫌われたり、賞賛されたりする。
その違いは、案外あいまいなのではないかと思う。
私はアルコール依存症の専門医ではない。
それでも専門病院のない僻地では、数え切れないほどの依存症者たちに出会ってきた。
専門病院で三か月かけて断酒プログラムを終えた人でも、故郷へ帰れば、
「今日くらい、いいだろう。」
という悪意のない一杯に誘われ、あれよあれよと言う間に、元の生活へ戻っていく。
それを何度も見てきた。
長く断酒できている人には、依存対象を酒から別の「命がけの何か」に置き換えることができた人たちがいた。
趣味などというような軽いものではない。
文字通り、命のかかった何か、だった。
少なくとも、私の出会ってきた範囲では。
だから、今になって、あのころの先輩を思う。
自分が倒れれば命をつなげなくなる患者がいる、その思いだけが、酒量をぎりぎり踏みとどまらせていたのではないか。
酒よりも強い依存先が、患者だったのかもしれない。
実は私は、世にある依存症の心理テストをすると、依存症で受診する人たちよりも悪い結果が出る。
そんな私がアルコールに呑まれずに、この文章を書く日を迎えられているのは、意思が強いからではない。
二十四時間いつでも呼び出される生活が、一滴の酒も飲めない環境だった、というだけだ。
今、私の部屋の押し入れの下の段には、亡き盟友たちのご遺族から贈られた各地の酒たちが、何重にも包まれたまま眠り続けている。
みな、私と飲みたかった、と言ってくれていたという。
私だって、そうだ。
下世話な愚痴を吐いて、どうでもいい話で笑って、そして最後には大きな夢を語り合い、酌み交わしたかった。
けれど、封を切れば、おそらく私は崖から落ちる。
それは間違いない、と、知っている。
だから、今日も飲むふりだけして、飲まない。
私は今も、底が見えないほどの谷に面した崖っぷちの細い道を歩いている。
背中には、あのころの先輩と、私が出会ってきた無数の依存症者たちのまなざしを感じながら。
この道は、いったい、どこまで続いているのだろう。
