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管理職の遠足前夜ストーリー

手を動かす&調整の絶妙な隙間で生きる中間管理職、ぺぺりんでーす。あのシステムの安定運用が今日も叶ったと思う。スムーズに進むだけが、我々の価値ではない。自分がいたことにより、ポジティブであれネガティブであれーーー自分含む何かに何かしらの影響を与えたのなら、それはそこにいる意味だったのだ。


さて、夕方外に出て、目を閉じて深呼吸しよう。空気の匂いとともに、僕らは中学生時代にタイムスリップする。ちょうど、遠足を数日後に控えているときだ。どうするか?という話だ。

そう、マルカワでオシャレ着を買う、しか思いつかない。

時を戻そう。

これは僕にとって、空気を吸うのと同じくらい自然なことだった。マルカワは、まさにグローバルスタンダードであり、辞書なんて引くまでもない。要するに「安くて、中学生の俺でもそれなりのものを揃えられる店」である。

新聞が雑に印刷されたみたいなシャツであれ、ジャージであれ、漂白剤自作ケミカルウォッシュジーンズであれ、遠足に向けて気持ちが上がる買い物ができる店。遠足はカッコつけるイベントであり、オシャレに向けて、2歩も3歩も進むイベント。気になるあの子を想像しながら、高揚感込みでひとつの大イベントなのであった。

遠足において、マルカワが無い状態を想像することなんてできるのだろうか(いや、できない ※反語)。世界の常識なのだ。

しかし、この常識は驚くほど浸透していなかった。それを知った僕はーーーひと晩中、泣いた。

社会人になり、あるいは管理職になって突きつけられ、気づかされた。自分の「常識」「当然」が、半径2センチの外でまったく通じない状況が、この世には無数に存在するということを。

サービスの利用者を支援する現場では毎日のように痛感する。「なんでこんな基本的なことがわからないんだろう」の8割は、実は「基本的ではなかった」という話なのである。マニュアルに書いてある、FAQにも書いてある、説明会でも伝えた、それでもわからないという。なぜか。「当たり前」ではないからなのだ。

人間が生まれてから初めて覚える単語は、「マルカワ」であると言われている。それは殆どの場合、常識と言っていいレベルーーーとしてもだ。それを知らないという人にいくら「常識でしょ?」と言っても何も解決しない。

「そうか、知らなかったのか」と一歩引いて受け取れるかどうか。もっとも、それが難しい。

会議でも同じことが起きる。「これはもう決まった話だよね」と言いたくなる場面が、職業柄、月に何度もある。決まっていない。あるいは決まったつもりだった。

いまこそ人類は思い出さなければいけない。「伝えた」と「伝わった」の間に、マルカワ2つ分くらいの距離があるということを。

正しいと信じていたことが、狭い範囲の常識だったと気づくのに、僕は何年かかっただろう。

あの場所にもうマルカワはなかった。でも、あの高揚感は、ちゃんとよみがえってくる。それでいいじゃないか。今日もたくさん「なぜわからないんだ」「普通は」と言いたくなる質問は来るかも知れない。言っちゃうかも知れない。どうしても言っちゃってズタズタになったら、泣いていい。そして、心から、求めればいいのである。

「先生、『そうか、知らなかったのか』と言いたいです・・・」

さすれば、扉は開いたようなもんである。


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