『スパイダーマン:ブランド・ニュー・デイ』お祭りが終わったあとの話でした
この記事にネタバレはありません。
物語の核心、敵の正体、セイディー・シンクが誰を演じているのかについては一切書いていません。予告編と公式に出ている範囲の情報だけで書いていますので、これから観る方も安心して読んでいただけます。
僕は劇場に入るまで、この作品を「お祭りの続き」だと思っていました。
初日のレイトショーでした。入場ゲートには長蛇の列ができていて、場内はほぼ満席。深夜に近い時間なのに、こんなに人が集まるのかと少し笑ってしまったくらいです。
前作『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』の公開は2021年12月。あの、劇場が一斉にざわついた体験がまだ体に残っていて、今回もどこかで似た興奮が来るのだろうと勝手に構えていたわけです。
あの列に並んでいた時点で、僕はもう完全にお祭り気分でした。
ところが、始まって20分もしないうちに、その構えが邪魔になってきました。
これは、お祭りが終わったあとの話でした。
にぎやかさが、きれいに抜けている
『ブランド・ニュー・デイ』は2026年7月31日に日米同時公開、上映時間は145分。監督は『ショート・ターム』『シャン・チー/テン・リングスの伝説』のデスティン・ダニエル・クレットンです。
前作から4年半近く空いていて、劇中でもピーターが一人で戦い続けて4年が経っている設定になっています。
まず驚いたのは、トーンでした。
『ホームカミング』から『ノー・ウェイ・ホーム』まで、トム・ホランド版にはずっと高校生の部室みたいなにぎやかさがありました。誰かが横で茶々を入れて、ピーターが慌てて、そのテンポで物語が転がっていく。あの感じが、今回はきれいに抜けています。
代わりに置かれているのは、静けさです。
ニューヨークの街を守っているのに、誰もそれを知らない。感謝もされない、心配もされない。ピーターが街を飛んでいる場面ですら、以前のような爽快さより先に、この人は今ひとりなんだよなという事実が来てしまう。
軽快さの反対側にあるものを、真正面から2時間半かけて描いた作品だと思いました。
僕は途中で、あ、これ笑うところを探すのをやめよう、と切り替えました。
体つきが、変わっていました
観ていていちばん最初に「おや?」と思ったのは、実はストーリーではありません。
トム・ホランドの体つきです。
明らかにゴツくなっています。肩と背中が別人で、スーツ越しでもシルエットが違う。『ホームカミング』が2017年ですから、あれから9年です。
当たり前といえば当たり前なんですが、少年っぽさで押していた頃の面影がもうほとんどありません。
これがアクションに効いていました。
以前の身軽さ、ひらひらと軽く跳ねる感じは減っていて、代わりに一発一発が重い。着地の音が違うし、壁に叩きつけられたときの体の潰れ方も違う。戦闘アクションは、シリーズでも最高クラスだと感じました。
そして、そのゴツさが物語とも噛み合っています。
4年、誰にも知られずに戦い続けた体。
そう思って見ると、あの筋肉は成長というより、蓄積のように見えてきました。鍛えたのではなく、そうならざるを得なかった体。細かい説明を一切せずに、映っている肉体だけで4年という時間を出してくるのは、なかなかずるいやり方です。
MJの場面で、息が浅くなりました
孤独と並んで、この映画の芯にあるのがMJとの関係です。
具体的な展開は書けませんが、ここは覚悟しておいたほうがいいと思います。
痛い。
とにかく痛いんです。
ゼンデイヤの出番そのものは、シリーズの中でとりわけ多いわけではありません。それでも、彼女が画面にいる場面の空気の重さが、他とはっきり違いました。ピーターがどう振る舞えばいいのか分からずに、一拍遅れて言葉を選ぶ。あの間の作り方が、僕にはずっとしんどかったです。
これは大人の恋愛の描き方だと思います。すれ違いを盛り上げるためのすれ違いではなくて、どうしようもない条件の中で、それでも相手を傷つけない方法を探している人の描き方でした。
正直に言うと、僕のピークはハルクでした
ここからは、少し引っかかった話も書いておきます。
盛り上がりの頂点が、僕の中では中盤に来てしまいました。
マーク・ラファロ演じるブルース・バナー、そしてハルクが登場する一連の場面です。予告編でも出ているので書きますが、あの巨体とスパイダーマンが向き合う画は、それだけで理屈抜きに楽しい。久しぶりに暴れるハルクの質量が、シートの背中越しに来ました。
僕が身を乗り出していたのは、間違いなくあそこです。
そのあとの展開が悪いわけではありません。むしろ物語としては後半のほうが大事なことをやっています。ただ、体感としての山が中盤にあって、終盤は静かなほうへ降りていく。
その落差が、物足りなさとして残りました。
「新しいスタート」と銘打たれた作品としては、もう一段のクライマックスが欲しかった。これは僕のわがままです。
とはいえ、静かなほうへ降りていくのはこの映画の設計そのものでもあります。派手さで殴って終わったら、ここまで積み上げてきた孤独が全部安くなってしまう。頭では分かっているのに、体が納得しきれなかった。その程度の不満です。
推しがMCUに来る、という体験
先に白状しておきます。
僕は『ストレンジャー・シングス』の大ファンで、セイディー・シンクは推しです。
なので、この項目に関して僕はまったく公正ではありません。マックスを演じていた彼女がMCUの、しかもスパイダーマンの映画に出るというだけで、キャスト発表の時点から気持ちが持っていかれていました。
役柄については本当に何も書けません。公開直前まで本人も一切明かせない状態だったくらいですから。
書けるのは、魅力が全開だったということだけです。
出てきた瞬間に画面の温度が変わりました。かわいらしさと剣呑さが同じ顔の中で切り替わる。その振れ幅は『ストレンジャー・シングス』でも彼女の武器でしたが、今回はそれをもっと大きく、もっと容赦なく使わせてもらっています。
好きな役者が、自分がずっと追いかけてきたシリーズの中に入ってくる。
これがこんなに落ち着かないものだとは思いませんでした。彼女が出ている場面だけ、僕は物語より先に「うわ、本当にいる」という感想が来てしまって、たぶん一度観ただけでは足りていません。
今後のMCUで確実に効いてくる人です。この夏、名前を覚えておいて損はないはずです。
親愛なる隣人に、戻るということ
サム・ライミ版の『スパイダーマン2』を思い出しました。
ヒーローであることが個人の生活を削っていく話。あの重たさが、20年以上経ってこの形で返ってきたのは素直に嬉しかったです。トム・ホランド版が、ようやく自分の足で立って歩き始めた感じがしました。
「親愛なる隣人」という呼び方があります。
街のヒーロー、身近なヒーロー、くらいの意味で使われてきた言葉です。でも今作を観たあとだと、あの言葉が急に重く聞こえます。隣人であるということは、誰かのすぐそばにいるということです。そのすぐそばに、彼はもういられない。
お祭りの続きを期待して入った僕が、出てくるときに考えていたのはそういうことでした。
派手さを取り上げられた代わりに、ピーター・パーカーという人間だけが残った。リセット後の新しいスタートとして、これ以上ないやり方だったと思います。
終わったのは深夜でした。あれだけ並んで、あれだけ埋まっていた場内から、みんな黙って出ていきます。お祭りの帰り道にしては、ずいぶん静かな列でした。
続きが観たいです。今度は、彼が誰かに「おかえり」と言われるところが。
免責事項
本記事は2026年8月時点の情報をもとに執筆しています。上映情報・配信状況・ソフト化の予定などは変更される可能性がありますので、最新の情報は公式サイト等でご確認ください。
作品の解釈・感想はすべて筆者個人の見解であり、制作者の意図を代弁するものではありません。
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