生乳を売るのをやめた。それでも僕は、農業をやめなかった。
「酪農家をやめました」
そう言うと、多くの人は少し驚いた顔をする。
「じゃあ、農業もやめたの?」
そう聞かれることもある。
でも、答えは違う。
僕は農業をやめたわけではない。
むしろ今、以前よりもずっと「農業をしている」という実感がある。
ただ、少しだけ生き方を変えた。
長年続けてきた生乳の出荷をやめ、酪農家から羊飼いへ。
そして僕たち夫婦は今、以前とは違う形で牛や羊と向き合っている。
新規就農から始まった酪農人生
僕は新規就農で酪農を始めた。
右も左も分からないところから、牛を飼い、牛舎を管理し、牧草を作り、毎日搾乳をする。
朝も早い。
休みもほぼない。
牛は365日、待ってくれない。
体調が悪くても、疲れていても、雪が降っても、雨が降っても、牛の世話は続く。
それでも、酪農が嫌だったわけではない。
むしろ牛が好きだった。
牛を飼い、牛から生乳を生産し、それを出荷する。
それが僕にとって「農業」だった。
そして、その生活を長い年月続けてきた。
そして、生乳の出荷をやめた
そんな僕が、生乳の出荷をやめた。
長年続けてきた仕事だから、当然、簡単な決断ではなかった。
「ここまでやってきたのに……」
そんな気持ちもあった。
牛舎もある。
牧草地もある。
これまで積み重ねてきたものもある。
それでも、少しずつ考えるようになった。
「この先、自分はどんな農業をしたいんだろう?」
農業は、規模を大きくすることだけが正解なのだろうか。
生産量を増やし、売上を増やし、利益を増やす。
もちろん、それも農業を続けるためには大切だ。
でも、それだけなのだろうか。
僕は「羊飼い」になる
そこで、僕は羊に軸足を移すことにした。
酪農家から羊飼いへ。
これまで牛中心だった農業を、少しずつ羊中心へと変えていく。
もちろん、牛を全部手放してしまうわけではない。
ガンジーやブラウンスイスなど、数頭の牛は残す。
ただし、以前のように「生乳を出荷するための牛」という位置づけではない。
できるだけ草を食べてもらう。
牧草を中心に、牛本来の姿に近い形で飼う。
いわゆるグラスフェッドだ。
そして、僕たちはその牛たちと、もう一度違う付き合い方をしてみようと思っている。
妻はチーズを作る
そして、妻も今までやってきたことを続ける。
チーズを作る。
アイスクリームも作る。
「じゃあ、それを販売するの?」
そう思うかもしれない。
ところが、僕たちは基本的に「売る」ことを目的にはしていない。
欲しい人がいれば、無償で提供する。
もちろん、たくさんの人に配れるほど大量に作るわけではない。
だから、商売として考えれば、とても効率が悪い。
原材料も必要だ。
手間もかかる。
時間もかかる。
それでも作る。
なぜか。
楽しいからだ。
家庭菜園の野菜と同じ
考えてみれば、家庭菜園で野菜を作るのと似ている。
自分で食べるために野菜を作る。
トマトがたくさん採れたら、近所の人に「食べる?」と渡す。
キュウリが採れすぎたら、友人に持っていく。
「これ、うちで作ったから食べて」
そこに商売はない。
「100円で売ります」
とは言わない。
ただ、
「おいしいから食べてみて」
それだけだ。
僕たちのチーズやアイスクリームも、そんな感覚に近い。
「売らない」という選択
農業をしていると、どうしても「いくらで売れるか」を考える。
当然だ。
生活がある。
経営がある。
機械代もかかる。
飼料代もかかる。
燃料代もかかる。
だから、農業を仕事として続ける以上、お金は重要だ。
僕だって、これまでずっとお金のことを考えて農業をしてきた。
でも、長く農業を続けてきた今だからこそ思う。
農業の価値は、売上だけでは測れない。
誰かが喜んでくれる。
「おいしかった」と言ってくれる。
「また食べたい」と言ってくれる。
自分たちが大切に育てた牛や羊を見て、「いい牛だね」「かわいいね」と言ってくれる。
ときどき「羊を見せてくださぁ~い」と訪問客もいる。
そんな瞬間にも、ちゃんと価値がある。
お金のためではなく、価値のために働く
僕たちは、これから「お金のためだけ」に働くのではなく、
「価値のために働く」
そんな農業をしてみたいと思っている。
もちろん、お金を否定しているわけではない。
お金がなければ生活できない。
農業を続けることもできない。
だから、必要なお金はしっかり稼ぐ。
でも、すべてを「お金になるか、ならないか」で判断する人生にはしたくない。
羊を育てる。
草を育てる。
牛を飼う。
チーズを作る。
アイスクリームを作る。
そして、それを誰かに「どうぞ」と渡す。
それだけで、ちょっと嬉しい。
そんな農業があってもいいと思う。
「趣味みたいな農業」でもいい
もしかすると、今の僕たちのやっていることを見て、
「それじゃあ商売にならないよ」
と言う人もいるかもしれない。
たぶん、その通りだ。
でも、僕は最近、
「趣味みたいな農業でもいいんじゃないか」
と思っている。
もちろん、すべてを趣味にするわけではない。
生活を支える農業は続ける。
羊も増やしていく。
土地も使う。
動物たちの命を預かっている以上、責任を持って飼う。
そのうえで、自分たちが「楽しい」と思えることも大切にする。
農業を始めた頃の僕は、
「農業で食べていく」
ことに必死だった。
今は少し違う。
「農業をしながら、どう生きたいか」
を考えている。
酪農をやめた。でも、失ったわけではない
生乳の出荷をやめたことで、失ったものもある。
毎朝、集乳車がやってくる生活。
生乳を出荷するという仕事。
「酪農家」としての自分。
それらは、確かに僕の人生の大きな一部だった。
でも、それまでの年月が無駄になったわけではない。
牛を飼ってきた経験。
牧草を作ってきた経験。
地域の人たちとのつながり。
妻と一緒に酪農を続けてきた時間。
全部、今の自分につながっている。
酪農をやめたのではなく、
酪農家としての次のステージに進んだ。
僕はそんなふうに考えている。
これからは羊とともに
これから僕は、羊飼いとして生きていく。
目標もある。
羊を増やしていく。
牧草地を活かす。
肉用を中心とした羊の生産にも取り組む。
そして、牛も数頭だけ残す。
妻はチーズやアイスクリームを作る。
欲しい人がいれば、喜んで渡す。
「これ、うちの牛からできたんだよ」
「これ、食べてみて」
そんな会話が生まれる農業をしたい。
大きな売上を目指す農業ではない。
誰かに評価されるための農業でもない。
自分たちが「これでいい」と思える農業。
農業には、もっと自由な形があっていい
農業は、こうでなければならない。
そんな決まりはないと思う。
大規模化してもいい。
小規模でもいい。
たくさん売ってもいい。
必要な人に少しだけ届けてもいい。
牛をたくさん飼ってもいい。
羊を飼ってもいい。
野菜を作ってもいい。
チーズを作ってもいい。
そして、
「売らない」という選択があってもいい。
僕は長い間、農業を「仕事」として考えてきた。
でも今は、それだけではなく、
「暮らし」そのものとして農業を考えている。
お金では買えないもの
羊が草を食べている。
牛がのんびり牧草を食べている。
妻がチーズを作っている。
アイスクリームを作っている。
それを誰かが喜んでくれる。
その光景を見ながら、
「これでいいんじゃないか」
と思う。
昔なら、そこに「いくらになる?」という計算が入っていた。
今は、少し違う。
「誰かが喜んでくれた」
それだけで十分なこともある。
お金には換算できないけれど、
確かにそこには価値がある。
僕たちは、これからも働く
生乳の出荷はやめた。
酪農家としての生活も終わった。
でも、僕たちは働く。
羊を育てる。
牛を育てる。
草を育てる。
妻はチーズを作る。
アイスクリームも作る。
そして、誰かに「どうぞ」と手渡す。
たぶん、これからの僕たちの農業は、
「お金のためだけではなく、価値のために働く農業」
になっていく。
農業を始めた頃には、想像もしなかった場所に来た。
でも、不思議なことに、
今のほうが農業を楽しんでいる。
酪農家から羊飼いへ。
「売る農業」から、「価値を届ける農業」へ。
人生の後半戦。
僕たちは、少し自由な農業を始めようと思う。
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