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「架け橋」という言葉が、ずっと苦手だった

「“あいだ”の人として生きる」

年初の記事
ほんの少しだけ書いていた
私の今年のテーマです。


このテーマに
たどり着いた理由を
どこかで書こうと思ってはいました。

ただ…
なかなか勇気が出ませんでした。

かなりパーソナルな話であり、
センシティブにもなりうる話だからです。

それでも今回、
思い切って書いてみようと思いました。

「自分だからこそできることがある」

そんな希望を
誰かに届けられると信じて。




どこにも帰属できない“境界”の人


「架け橋」という言葉が、
いつからか、苦手でした。


私は、
在日コリアン4世として
日本で生まれ、日本で育ちました。
日本語ネイティブで、
当たり前のように日本語を話しますが、
国籍は韓国籍のまま。


そんな私が
中学まで民族学校に通うなかで、
周りの大人たちから
幾度となく言われていたのが

「日本と韓国の架け橋になる」

という言葉でした。


幼い頃から
いろいろありはしましたが、

それでも、
大学に入る頃ぐらいまでは

「いつかはそんな人になれる!」

と純粋無垢に信じていた気がします。


でも、現実は違いました。

アルバイトひとつ
探すのにも苦労したし、
就職するにしても、
やっぱり周りの人よりは厳しい。

就職活動の最後は
せめて落ちる理由を国籍以外に求めたくて、
「外国籍歓迎」と書かれた
求人ばかりを探して応募していました。


まだ社会で働いたこともない、
未来に希望いっぱいの大学生。

「自分のバックグラウンドを活かして
 グローバルに活躍したい!」

そんな気持ちも、
度重なる書類選考の不合格通知とともに
だんだんとしぼんでいきました。


結局、
このときは
グローバル展開している
日系のメーカーに
採用していただきましたが、

「自分の未来は明るい!」とか、
「私はどんなことでも挑戦できる!」とか、

大学に入学したての頃には感じられていた
“無敵感”のようなものは
すっかりなくなってしまいました。



それでも、

採用していただいた会社でグローバルに活躍できる道はまだ残されている!
そこに向けて、自分にできることを、ひとつずつ前向きにやっていこう。

そう思って、
入社前からできることに
コツコツと取り組み始めました。


そのひとつが、
韓国への韓国語留学。

なんとなく
読み書きはできるけれど、
韓国ドラマに出てくる
俳優さんたちのようには話せない…。

少しでも
そこに近づけるよう
韓国語を学び直したい。

そう思って
大学生活最後の夏休みのうち、
3週間を韓国で過ごしました。


大学時代、
アルバイトを探すにも、
就職活動にも苦労した私です。

どこかで
「韓国なら…」という
淡い期待も持っていました。


ただ・・・
そんな期待も
あっという間に打ち砕かれます。


語学堂(語学学校)の
一番最初の授業でのことでした。

韓国語の耳ならしと
アイスブレイクを兼ねて

「〇〇さんはどの国から来たでしょう?」

をクイズで当てっこすることに。

もちろん、
日本から来た日本人の学生や
他国から来た学生であれば、
ごく普通の何気ないクイズです。


ただ、
私にとっては
韓国で自分自身が
そのクイズの対象になることで

あぁ…
この国でも、私は“よそ者”なんだな。

どうしようもなく、
そんなことを、思ってしまったんです。


大学4年の1年間、
日本と韓国のそれぞれで
起きた出来事は

自分は
どこにも受け入れられる場所がない
宙ぶらりんの人

だと認識する
きっかけになった気がしています。



それからしばらくは、
国籍のことを
意識することはなかったものの、

転職活動では
またもその壁が立ちはだかります。

海外就職に向けて
転職活動をしていたころは
面接で面と向かって
国籍がネックだと
言われたこともありました。


この頃には
新卒の就職活動で
ほとんど消えてしまった
“無敵感”はもはや皆無。

そんな出来事が
積み重なっていくなかで、

「日韓の架け橋になる」だなんて、
なんの夢物語だよ・・・

そう思うようになっていました。


そのうえ、
海外で暮らすようになってからは

「韓国人だけど、韓国語ができない」

コンプレックスにも
苛まれるようになりました。


東南アジアで過ごすなかで、
韓国系の飲食店やスパに行くと、
決まって韓国語で話しかけられますが、
理解はできても、韓国語では答えられない。

数は少なかったものの、
仕事で韓国のお客様がいらっしゃったとき、
同僚から何気なしに
韓国語で対応を依頼されても、
まともに言葉が出てこない。


大学生の自分が描いていた

「日韓の架け橋となれるような人」

とは程遠い自分に
だんだんと嫌気が差し、

気がつけば、
「架け橋」という言葉に
居心地の悪さを感じてしまって、

どことなくその言葉を
遠ざけるようになっていました。


もちろん、
自分自身に対する捉え方も、
とてもネガティブ。

宙ぶらりん
中途半端

そんな感じだし、

どこにいても、
「自分がここにいていいのか」と、
いつもどこか不安だった気がします。


転機のはじまりは、
あるPodcastとの出会いだった

ここまでの話は、
これまで書いたことはありませんし、

友人に話すことも
ほとんどありませんでした。

同じ境遇の人が周囲に少なく、
シェアできる人がいなかったからです。


そのときどき、
もちろん、痛みを感じてはいました。

一方で、
どんなことが起きても
ある種“諦め”のような気持ちで
自分自身をドライに観察してもいて。

“在日”というラベルを貼られる
人間として生まれてきたから
仕方がないことだ、と。

自分でそう思っているからこそ、
あえて誰かに話すことで、

「それは仕方がないよね?
 あなたはそういう生まれなんだから」

そう相手に言われてしまったら、
自分が思っていることを
現実として突きつけられて
ただただ深く傷つくだけ。

だったら、
何も言わない方がマシ。

そう思うからこそ、

人生の岐路に立つとき以外にも
何気ない日常や仕事のなかで、
“在日”であるがゆえに刺さる
心のトゲはいくつもありましたが、
見て見ぬふりを続けていました。

いや…
何も感じないようにしていた、の方が
近いのかもしれません。

あるPodcastに出会うまでは。



昨年のちょうどこの頃、
Instagramを見ていると、
ふと、あるポストが目に入りました。

よく見ると、
韓国に短期留学したときに
同じクラスで過ごした
ある在日コリアンの友人が
Podcastを始めたとのこと。

何気なしに
彼女がシェアしていた
リンクをクリックすると、

韓国在住の
在日コリアンの女性3人が
韓国生活で感じたモヤモヤを
吐き出すトーク番組が開きました。

その名も
『恨(ハン)をじょうぶつ』。

それまで
“在日”というラベルにまつわる
自分の心のトゲについては
見て見ぬふりをしてきた私ですが、
なぜだか心惹かれるものがありました。

実際に聞いてみると、

「あぁ…わかる!わかる!」
「そういうこと、あるよね…」

のオンパレード。


同じように
モヤモヤや葛藤を抱えながら
今日も生きている人がいる。

まずは、
それを知ることが
大きな勇気や力になりました。

そのうえで、
同じ在日コリアンとして
生まれ育った3人のエピソードから
自分自身がこれまでに感じていた
痛みや居たたまれなさ…を
追体験していくような感覚もありました。

長らく連絡ができていなかった彼女に
「エピソードのどこに共感したのか」や
自分自身の体験を含めた、
長文のメッセージを
勢いで送ってしまったぐらいです。


それから
毎月の配信を楽しみにし、
エピソードを聞いては、
友人に長文のメッセージを送り…
という日々が続きました。

ありがたいことに、
毎月内容が盛りだくさんの
長いメッセージを送っても、

友人は嫌な顔ひとつせず、
毎回ひとつひとつのコメントを
丁寧に受け止めたうえで、
彼女自身の経験や思いを交えながら
返事をくれました。


Podcastを聴きながら
過去に思いを馳せることで、

「どうせ
 誰にも受け止めてもらえないし、
 共感もされない」

そう思って
心のなかにしまい込んできた
いろいろなものが
引き出されていくだけでなく、

友人がメッセージを通して
真っ直ぐに受け止めてくれたことで、
少しずつ癒されていく感覚がありました。


“あいだの人”を捉え直しはじめる

そんな折、
Podcastを通じて
再びつながった彼女が

韓国で暮らす
在日コリアンとしての
彼女自身の人生や
日本に住むご家族との葛藤を
テーマにした映画を制作し、

その映画が
韓国の映画祭で
上映されることが決まりました。


「これは絶対に観に行きたい!」

そう思った私は、
10年ぶりに韓国へ飛びました。

この韓国への旅が、私にとって次の転機。


じつは、
旅の始まりは最悪でした。

チェックインカウンターで
パスポートを出すと、
係員の方は当たり前のように
韓国語で話しかけてきます。

当然です。
国籍を判断するのは、パスポートだから。

「・・・あ、わかりません。
 日本語でお願いします…」

そう答えながら
どうしても感じてしまう
居た堪れなさ。

韓国に着いてからも同じく、
お店やコンビニで
どうにか韓国語で話してはみるものの、
どこかぎこちない感じで、
店員さんからの目が痛い気がする。


きっと、
誰も気にしていないと思うんです。

ただ、
自分のどこかが
自分の国の言葉ひとつ、
まともにできない自分を
どうしても責めてしまう。

“自分の国”という
感覚なんて薄いにもかかわらず。

そんな悶々とした
気持ちを抱えながら
友人の映画を観に行きました。


映画に出てくる
友人や友人のご家族が経験した出来事、
抱えてきた思い…

そのひとつひとつに共感し、
スクリーンに映る
みなさんの姿を通して、
自分の人生にも
改めて目を向けられました。


もちろん
まったく同じ経験ではないけれど、

近しい経験をしていたり、
同じような思いを抱えて
生きる人たちに触れたことで、

「仕方がない」「我慢しなきゃ」
そう思ってきたけど、飲み込まなくてよかったんだ。

せめて、外に出せなくても、
そう感じる自分のことを自分だけは許してもよかったんだ。

初めて
そう思えた気がします。


そして、
そう思えたことで、

自分の歩みをすべて知っているのは自分だけ。
これまで頑張って生きてきたことを
すべて知っている自分だけは、
自分のことを認めていいのでは…?

自分の中からふと、
そんな感覚が湧いてきたんです。


私自身も含め、
名前・見た目・持っているパスポートや国籍…
そういった“わかりやすい指標”のようなもので
誰かのことをジャッジしてしまうことが
あると思います。

でも、その背景には
それだけでは、はかり知れないものが
たしかにあります。

とはいえ、
その“はかり知れないもの”まで含めて
誰かに理解してもらおうとするのも、
他者が完全に“わかる”のも
きっと難しいと思っています。

だったら、

自分のことや自分が生きてきた軌跡は
自分でちゃんと認めよう、
と。


ずっと抱えていた
韓国語コンプレックスも、
誰かからの見られ方にとらわれるよりも、
下手くそなりに努力して
身につけてきたことに目を向けたい。

そう思えたら、
「今の私はこれで十分じゃん!」と、
帰りの空港では少しだけ胸を張って
歩けるようになっていました。


それから
しばらくしてのことです。


友人の映画を観に行ったときに、
Podcastを運営する他のおふたりにも
リアルでお会いしていたこともあって、

ゲストとして
『恨(ハン)をじょうぶつ』で
お話させていただくことになりました。


今まで
誰かに話したこともなかったし、
もはや触れてほしくもなかった
数々のエピソードや
“在日”として生きてきた自分の話。

収録に向けて
AIと壁打ちしていたときは、

思いつくままに
出来事や気持ちを書き出すだけで
ポロポロと涙が溢れてきました。

「本当にこのままで
 人前で話せるのか・・・?」

そう思いながら、迎えた本番。



これまで
人前で語らなかったことも含め、
いろいろなお話をしましたが、

それに対して、
みなさんが心から共感し、
関心を寄せてくれました。

「どうせ誰にも共感されない」
そう思っていた私にとっては、
それが大きな救いでしたし、

そのおかげで、
そっと胸にしまい込んでいた
過去の痛みがまたひとつ、
癒えた気がします。



『恨(ハン)をじょうぶつ』との出会い、
友人が制作した映画を鑑賞したこと、
韓国への旅とそこでの気づき…

そして、
Podcastのゲストとして
お招きいただいて、
自分の人生を改めて振り返る
機会をいただいたこと。

その過程で、
私の捉え方も
少しずつ変わってきました。


私にとって
“在日”というラベルは、
“与えられてしまった”という、
どこか受身的で、ネガティブなものでした。

でも、
一連のプロセスを通して
日本人でも、韓国人でもない

“あいだ”の人として
自分はどう生きたいか

もう一度、
考え直すようになったんです。

そんな自分だからこそ、
できることがあるのでは
、と。


“あいだの人”として今日を歩く

Podcastの収録のなかで、

今やっているインタビューの活動が、
“あいだの人”という認識に
何か関係があったりするの?

という質問をいただきました。


率直なところ、
出演した当時の私は、
「全然別個のもの」と捉えていました。

いや…
「その視点で考えたことがなかった」に
近いのかもしれません。


その流れのなかで、

「私がなぜ図鑑をつくり始めたのか」
「どんな人に届けたいか」

という話になったんです。


私がやりたいことは、
「視野を広げる」こと。

悩みやモヤモヤの渦にいるときは、
どうしても視野が狭くなりがちです。

そんなとき、
他の人のライフストーリーから

自分とは違う
捉え方や生き方に触れることで
少し楽になったり、
次の一手が見えたりすることも
あるのではないかと思うんです。

「ぺく☆ぺく図鑑」
そのきっかけとなる媒体になると
すごく嬉しいなぁと…!


その想いを伝えたとき、

おぉ…!
それ、中間の人(“あいだの人”)じゃん!

と言っていただけたことで、
すごくハッとしたんです。


もともとは
ただインタビューが好きで
始めた活動ではありましたが、

自分でも意識しないうちに、
“あいだの人”として生きていた。


そこに
気づかせていただいたとき、

自分のなかで
“何か”が始まる気がしました。


収録が終わった後、
ふと私のなかに浮かんだ言葉は、

Create Our Own Journey
〜自分の道は自分でつくる〜

いま、私が運営する
「対話と物語のアトリエ」
キャッチコピーにもなっています。


私自身、
「“在日”というラベルがなければ…」
考えても仕方がないことを
考えたことはあります。

ただ、
こんな風に改めて
振り返る機会をいただいたことで、

せっかくなら
持って生まれたものを
ネガティブに捉え続けるのではなく、

それすらも
誰かや何かのために
活かしていきたいし、

大げさかもしれないけれど、
そうすることが
私の使命のような気がしたんです。


過去の私と同じように、

「〇〇がなければ…」
「〇〇な自分じゃなければ…」

そんな“何か”がある方も
いらっしゃるのではないでしょうか。

一方で、

「〇〇だからこそ」
「〇〇があったからこそ」

できることも
今はただ見えていないだけで、
きっとあるはずなんです。

すぐには見つからないかもしれないけど、
ゆっくりでいいから、一緒に探しにいこう。


その想いのままに
Podcast収録後すぐに
「対話と物語のアトリエ」を立ち上げ、
今日まで歩き続けてきました。


過去と現在、現在と未来
自分と他者
揺れ動く自分の気持ちどうし…

いま見えてきているものだけでも
いろんな“あいだ”がありますが、

お越しくださった方の声に
ひとつずつ耳を傾けることで、

一見バラバラに
見えたり感じたりするけれど、

その間に
たしかに存在する
“つながり”を見出していく。

その過程で、
少しずつ自分自身のストーリーを
愛し、誇れる方が増えることを
心から願いながら。


あとがき

Podcastを収録したのは、2025年8月。

それから少し
時間が経ってしまいましたが、

この話を書き残すことで、
私自身が伝えたかったことは、
2つあります。


ひとつは、

あなたのストーリーには価値がある。
あなただからこそ、伝えられることが必ずある。

私自身が
長年心にしまっていた痛みを
癒すきっかけになったのは、

間違いなく、
Podcastを通して、
ご自身が感じているモヤモヤ、
抱えてきた痛みをシェアする
友人たちに出会えたことでした。

自分と同じように
葛藤することがありながらも、
それぞれの人生を
今日も懸命に生きている。

それが
どれだけ心の支えとなったことか…!


同じように、

私たち一人ひとりが、
悩み迷いながら生きるストーリーは、

誰かにとって
勇気や希望、ヒントになることが
必ずあるはず。


「どうせ自分の話なんて…」
「自分なんて大したことない」

私自身も感じる瞬間があったし、
他の誰かのそんな言葉に
胸を痛める瞬間がありました。

だけど、

「自分だからこそ伝えられること」は
私たち一人ひとりに必ずある。

これまでも
そう信じ続けてきましたが、

活動を続けるなかで、
その想いがますます強くなり、
今回、この記事を書くに至りました。

今回の記事を通して、
自分の生きてきた軌跡を
改めて捉え直してみる機会を
持っていただけたらとても嬉しいです。



もうひとつは、
メッセージというよりは、
私の願いに近いかもしれません。

共感や共通点でつながり、
違いにはやさしく関心を向けよう

です。


Podcastでお話したとき、
その場にいた4人は、
「在日コリアン」という
共通点を持っていました。

ただ、
それぞれ違う人間である以上、
見え方・感じ方・考え方…は
きっと違う側面もあったはずです。

それでも、
共感できることや共通点でつながり、
「違い」にはフラットに関心を向ける。

そうして生まれた
あたたかい場のおかげで、

私自身は
安心して自分のストーリーをお話でき、

そのおかげで、
自分の人生に対して
これまでとは違った捉え方が
できるようになりました。


きっと、
私たちの身のまわりでも、
同じような関わり方ができる場面は、
たくさんあるのではないでしょうか。

そんな
あたたかなつながりが
少しずつ広がっていく、
やさしい世界になるといいな。

そんなことを思っています。

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