Take-59 映画『宝島(2025)』は面白かったのか?──Xの「ふーーん騒動」と沖縄の「コザ暴動」
【この映画のキャッチコピー】
『俺たちの故郷「宝の島」を取り戻せ』
【この映画の舞台・背景】
米軍統治下の沖縄、映画は1952年からスタートし、1970年12 月20日未明にコザ市(現在の沖縄県沖縄市)で起こったコザ暴動を経て1972年沖縄返還までを時に前後しながら描かれております。
wikipediaの「コザ暴動」を読んでから観るととてもわかりやすいです。
また、劇中に何度も出てくるので「戦果アギヤー(アギャー)」──物資を盗み出し住民に分け与えた若者を指す──という言葉は覚えて行った方がいいかもです。ボクは途中「なんて言ってんだろ?」と首を傾げておりましたので😂
原作は言わずと知れた真藤順丈さんによる山田風太郎賞、そして直木賞受賞作品、同タイトルの『宝島』ですね。
沖縄戦(1945年)
琉球政府設立(1952年)
祖国復帰運動(1950~72年)
コザ暴動(1970年12月20日未明)
沖縄返還(1972年)
【上映時間:191分】

𓃠ちょ、どうしちゃったの! 最近の日本映画😲
『国宝(2025)』から『遠い山なみの光(2025)』を経て、本作『宝島』。
😲え、なんでこんなに良作が続くんだくらいに、今年の一部邦画は舌を巻くほど面白いねぇ(本作の妻夫木聡ナレーション風にw)
ただ下手な感想の書き方をすると「個人的思想」などに繋がる恐れがあるので気を付けて書かなきゃだねぇ。
皆さま、よき映画ライフをお過ごしでしょうか?
N市の野良猫、ペイザンヌです。
沖縄特有のウチナーグチが聞き取りづらい!──なんて声もありますが「日本語字幕版」も公開されるということで、そんな方はそちらを観に行くとよろしいかと思われます。(ボク的には聞き取れなくても熱量やリアル感、表情などでそっちの方がパッションが伝わってきて良かったのですが😁)。
ちなみに聞くところによると標準語字幕ではなくウチナーグチそのままの字幕だそうです😌
雰囲気的には「どんな感じなん?」と、観に行くか迷ってる人に言いたいのは、これも個人的な私見なんですが「エンタメとしての話の大枠」──『ミスティック・リバー(2003)』に似てる気がしたねぇ(もういいからw)。
『ミスティック・リバー』といえば、とあることで失踪し数奇な運命を辿ってしまう男、刑事になる男、ヤクザとなる男──主人公三人の男たちのキャラ設定は少しクリント・イーストウッド監督のあの作品を思い出してたんですよね。

そしてもう一つがレイモンド・チャンドラーの長編小説『長いお別れ』(『ロング・グッドバイ(1973)』として後に映画化)。これは絶対に意識したっしょ!──みたいな😂
鍵となる重要な男がなかなか姿を現さないところや、以前は似たものを感じ、同じ志を持っており、彼の形跡をひたすら追うものの、彼を追ううちに次第に周りに不穏な空気が漂い始めるところ、などなど少し探偵小説ぽいノワールさがあった気がします。

とりまこの二点が好きなら絶対に楽しめるはず😸
この作品でボクが真っ先に思い浮かんだ言葉といえば、「軸」または「柱」といったそんな言葉。
ともすればボクら現実生活の中においても、つい何かの拍子でカッとなって暴言を吐いてしまいそうになる時もありますよね。
または思わず手が出そう(武力行使)してしまいそうになる時──さらにはそれらの行為が周りを巻き込んでエスカレートし、歯止めが効かなくなりそうな時──「イチ個人」としても「大衆の一員」としてもそうですが、そういった「道に迷った時、立ち戻る場所・軸・心棒」をきちんと持ち合わせているか?──と🤨言われてる気がしました。
国全体で捉えるとするなら、もし日本が間違った方向へ行こうとしてる時、きちんと一度立ち止まって「ちょっと待て、我々が本当に望む未来とは何ぞや?」という考えを支える基盤──「ちょっと基本に戻ってみないかい?」の「基本」がしっかりと中心にドンと携わっているのかい?──といったことなどなど。

現代の場合、米軍でなくとも、あまりに“お上”が無茶勝手をやってればそろそろ日本でも民衆が武力行使に走ることだってないとは言い切れませんからね。次第にエスカレートし、それがこの映画のオンちゃんのように「行き過ぎた行動」「平和を求めるが故の暴力」といった矛盾に繋がりかねません。
とはいえ黙って「できることなら平等に、平和に暮らさせちゃあくれませんかねぇ? ヘッヘッヘ」とへりくだった、当たり障りのないエセ平和をビクビクと生きねばならないのか?──といえばそれもまた何か少しおかしな話なわけで。
『宝島』はそういった二つのモヤモヤを主人公たちに被せて進行するストーリーと言えます。監督が大河ドラマ『龍馬伝』を撮った大友啓史さんなので、そういった幕末の志士たちの姿もどこか被るんですよね。
本土と米国からの板挟みに合い「じゃあどうすりゃいいんだよ!」という憤り、その爆発を登場人物たちに乗せ、十分に味あわせてもらった気がします。

まあ、この大友啓史監督、Xの映画垢では時の人というか「コザ暴動」ならぬ「ふーーん騒動」を映画が公開したばかりに起こしてしまい、スタートダッシュが芳しくないものとなってしまったのが珠に傷なのですが😅
とはいえそんな経緯があったせいなのか、よく「賛否両論」なんて言われてますがハッキリ言っていいでしょうか?
「どうーーー考えても絶賛感想の方が多いです!😂」
コレは毎日Xの映画垢を事細かに目を通してるボクが言うので間違いないです。なので表面の風評だけで観らず嫌いしてるともったいない目に合うやもしれませんのでご注意を〜
(;´Д`)てか、せっかくこうして褒めてるのにそんなことを監督自らがやっちゃったらw さっきボクが書いた「暴言を吐いてしまいそうな時……」うんぬんの下りもまったく説得力なくなっちゃうじゃん!──なんて思ってましたけど😂
この「ふーーん騒動」を知らない人のために書けば『宝島』を酷評したX利用者のポスト(おそらく二つ)に監督本人であると思われるアカウントが「ふーーん」とリプをしたことに発するわけですが、これにより「酷評すれば監督が何か残してくれるかも!」と勘違いし、観てもいないのに酷評ポストをする人などが出てきてしまうという騒動に発展したわけなのですね。
まあボクとしては酷評していた方の書き方も「いや、もっと他に言い方あるんじゃない?」くらいだったので、どっちもどっちな気持ちだったのですが──いや、ごめんなさい、正直に書くとボクは絶賛派なので、どちらかといえば監督の気持ちの方がわかるなと思った方です😅まあ作品と言えば「我が子」同然ですからね、それをチョロっと観ただけで酷い言葉を浴びせる──というのは……
むしろ「ふーーん」くらいでよく我慢したよと褒めたいくらいでしたので。
とはいえ、やはり「どう思おうが観た者の自由であろう、それに監督自らがどういう意図であってもそういうリプをするものではない!」という意見も多く、それもまた然りということもわかってはいるのですがね😌監督も人間ですからね。監督は「エゴサ」なんてするもんじゃないよ、くらいに留めておきますか😅
おそらくこういった暴言にも近い酷評をいとも簡単に投げ捨てられる人は「何かを自分で創り出す──創作したことがない、創作に関わったことのない人なのだろうな🙄」と思っております。その事実がどうあれ、少なくともそう思われておかしくない行為なのは間違いないとボクは思っております。
おっと閑話休題──この『宝島』、最も劇場で、大きなスクリーンで見るべきと思ったのはやはりなんといってもその「ふーーん騒動」じゃねぇや「コザ暴動」の群衆シーン。日本映画でここまで群衆シーンを見事に撮り切った作品は類まれなのではと圧巻でしたね😲スパイク・リーの初期作品などを思い出させますね。

そして、その後訪れる米軍基地前でのクライマックス。
“同じ方向を確かに向いてるはずなのに”わずかな思想のズレを感じる主人公たちの腹のぶつけ合い……これボクけっこう号泣しておりました。
(´;ω;`)

「単なる暴動」と「革命」の違いとは
「単なる傍観」と「希望」の違いとは
映画で見たいのはそんな“狭間”なんだなと😢
他の映画だってそうですよね。突き詰めれば、ときには「愛と殺意の狭間」であったり「豊かさと虚しさの狭間」──などなど。
この“狭間”というものは、おそらくいくら巨大なスクリーンであろうと「目で」見ることができません。脚本に「文字」として書くことができない部分だと思っております。多少「知識」で補えるとしても、それだけでは捉えることができないのが、この「狭間」。
そもそも映画で「何かを感じたよ」ということは、イコールその見えないもの、つまり“狭間の中に”あるものを心のどこかで察知した──という意味だと思っている方です。どこか漠然としているものなので「言葉として感想に書く」ことも難しい──そういう経験をしたこともあるでしょう。
おそらく「映画を観る能力」というものが“もしもあるとするのであれば”ここを察知できる能力、そのレベルの違いなのでは──などとボクは思っております。

劇中で「豊かでなくてもいいから出てけ!」なんて台詞がありましたね──これは決して誰もが使っていい言葉ではありませんが(ここ大事)そうわかってはいてもこの作品のストーリーを追いながら聞くと、なんとまあ“熱い言葉”か😢

最後に、これはXの方では書かなかったことなんですが、というよりですね、書こうと思ったら「ふーーん騒動」が起こってしまい😂
ちょっとだけ批判部分なので、いま書くと「おまえも酷評して(では決してないのですけどね)監督の反応をもらおうとしているんじゃねぇの?」なんて思われ兼ねないなと思い、タイミングが悪くなって書けなくなっちゃったのですよ😂──
それはやはり「長すぎる問題」なんですよね🙄
3時間超えになるがここは譲れない──その旨を伝えている監督の動画もありましたが、ほんっとに個人的、あくまで個人的に言わせてもらうと、前述したボクが号泣したシーン、オンちゃんとグスクの腹のぶつけ合いのシーンが言ってみればマックスだったのではないか?──というのもあり、あの辺でケリをつけてスッと「起承転結」の「結」で閉じて欲しかったなという、いわば「欲」ですね。そうしてほしかったという、個人的「欲」です。
極論、島の──沖縄の次世代の代表とも言える「ウタ」のことで幕を閉じるようになっており、それがとても大切な要素であることもわかるのですが、ここはバッサリ切るのもひとつの選択肢だったのではないかと思いましたね🙄(もちろんそういう選択肢も頭にあり、いろいろ考えたうえでのあのラストを選んだのでしょうけど)
ただそうなってしまうともう「ウタ」の必要性が薄くなってしまうので──いっそ「ウタ」という人物はもう出さなくてもよかったのでないか?──ともなります。ボクは実はそちらの方がよかったのではと思ってるんですよね。
もしそこを補充したいのであれば映画の後で原作を読めばいい。その選択肢も残されてるよ。という形でよかったのではないかと。
彼を登場させなければ「若い人や子供、次世代を継ぐ多くの人たちの未来が犠牲になった」ということを表せなかったのでしょうか? 実はボクはそうは思わなくて、それこそ先ほど何度も書いた「狭間」的存在──目に見えなくてもちゃんとわかるよ、と言いたいだけなんですよ。
逆に言えば「ウタ」という人物を出さねば、肝心のその辺りが観客に伝わりづらいのではないか?
──そういった監督のちょっとした「気遣い」がかえって「ぜい肉」になってしまったのではないか?とも思ったんですよね。
(ただここはホントに、完っ全に個人的な感覚なので「それは違う!」という人がいても全くもって当然だと思っております。なにぶん御了承くださいませ🙏)

こういったことをボクはときどき「作り手」と「観客」の信頼関係と言葉を置き換えて書きますが、作り手ってやはり「伝わるかどうか」というのが過剰なほどに心配になるときがあって本人ですら、いや本人だからこそ気づかないこともあると思うんですよね🙄
これはボク自身も経験則というか小説など書いてても「ついつい書きすぎてしまう節」もありますからね。凄くわかります。
この映画のことではありませんが、例えば長々と説明台詞や、映画のテーマを台詞で語られたりすると「バカにされてる」みたいに感じることってありません?😅それと似てることです。
まあ、この“信頼関係”というのは当然「観客側」にも発生するわけで、きちんと敬意をもって観る、また、わからないことがあっても軽率に作品を責めるのでなく──「こっちは金を払ってんだ、なに言ってもいいんだよ!」ではなく──まず「自分の知識量、経験量に否があるのではないか?」と時に思う謙虚さも必要ではないのか──ということにも繋がるわけですが😌

事実、この作品を褒めてる側の人でもやはり「長い」と言っているのを相当数見かけましたし、基本人間の集中力が持続するのは二時間が限界という言葉があるのも事実ですし、衝撃を保ったまま、より良い鑑賞後感を与えるためにも、そういう選択肢もあったのではないかなと思いましたね。
再三言いますがあくまで「個人的」感想です。
皆さまはどうお考えでしょうか😌
では、また次回に!

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