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『傷』監督:ジョン・トレンゴーヴ(2017)

'Inxeba (The Wound)' dir. by John Trengove, 2017

マーベルの『ブラックパンサー』で「ワカンダ語」として採用されたコサ語(ネルソン・マンデラの母語でもあったらしい)で全編話されるゲイ映画、として関心を持っていた人間は自分くらいなものかも知れませんが、あの極く自然に舌で鳴らすクリック音を混ぜながら発音されるのは別に異様な意味合いの言葉ではない、というのが眩暈のする映画体験でした。(サハラ以南の)アフリカ産ゲイ映画、というとウガンダの性的少数者を描いたドキュメンタリー『Call Me Kuchu(2012)』くらいしか観た記憶がないのですがこれは南アフリカが舞台。

コサ人男性の成人式では性器に割礼を施すのが決まりのようで、一定年齢に達した少年たちが集められて皮を切られ、その後のケアを兼ねて2週間ほどキャンプ形式の共同生活をしながら年長の「教育係」に従いつつ「大人になる。」とか要約するとまあ大変ねえ、で終わってしまうのですが、主人公はその教育係として父親の友人の息子クワンダを託されたゲイのコラニ。彼は毎年このキャンプ地で再会する度に旧友のヴィジャと密かにセックスする関係なのだけれど、それをクワンダに感づかれる。ヨハネスブルグという大都市に育って周囲から「軟弱」と評されるクワンダは都会の少年らしい正義感からというか何というか、妻帯者であるヴィジャとの肉体関係をずるずると続けるコラニに「それは欺瞞だ、目を醒ませ」みたいな感じで迫る。自身も周囲から「ゲイ」などと言われてからかわれるクワンダが非難しているのはコラニのホモセクシュアリティではなくクローゼット・ゲイとしての態度なのですが、ただこのホモソーシャルな集団の中でひっそりとホモセクシュアルな関係を何とか前進させようとしているコラニにとってクワンダは自分に土足で踏み込んでくるノイズでしかない。

大自然の中における男2人の出会いとセックス&絆(+ヒツジ)みたいな最大公約数でくくってしまえばたまたま昨日観た『ゴッズ・オウン・カントリー』を『ブロークバック・マウンテン』と比べたくなってしまうのも判るのですが、今日観た『傷』はその意味で紛うことなき『ブロークバック・マウンテン』を更に苛烈に発展させた作品、と言わざるを得ない。日常から隔絶された風景の影に隠れるように束の間の逢瀬を繰り返すだけの関係が、やがて悲劇的なエンディングを迎える『ブロークバック・マウンテン』ではカップルの片割れが半ば自滅的な死を迎えるのですが、『傷』ではカップルの片割れが来たるべき次の世代を、言うなれば「未来」を殺して物語が終わる。

しかし、これほどまでに絶望的なゲイ映画の「進化」があっていいものだろうか。未だ圧倒的に数が足りないアフリカの「ゲイ・ナラティヴ」が、2017年の時点でこのような物語として立ち現れたという事、何より滝のショットに始まり、そして滝壺で抱擁するコラニとヴィジャの姿が――大して似てもいないのに――どうしても『ムーンライト』のイメージと被ってしまう終盤からのシークエンスが残酷なまでの解像度で畳み掛けてくるのは、アフリカに残った者たちとアメリカに運ばれた者たちは果たしてどっちがマシだったのだろうか、といった無意味な問いを部外者である観客に覚えさせるような強烈な意志表示であり、そして劇中で二度ほど出てくる屠られる動物のシーンが念を押しているのは「力の劣るものは基本的に俺たちが保護する。が、必要とあらばすぐに殺す」という理屈であって、現時点でアフリカが未踏の大陸である以上自分は「ぐうの音も出ませんです…」と俯くしか無いのでした。


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