見出し画像

「まだ着られる服」って、本当にまだ着られる?

セカストの買取で一番ドキドキするのは、カウンター奥から服を入れてた紙袋が戻ってくる瞬間。袋がペッチャンコだったらホッとするし、すごく嬉しい。でも膨らんでたり、あろうことが袋の口から山盛り見えてた時なんて…ガックリ。ガラクタをさも価値があるかのように持ち込んでしまった、自分の厚かましさに対する羞恥。何食わぬ顔してるけど、内心は穴があったら入りたいくらい恥ずかしい気持ちでいる。
なんならそこそこ良い値段で引き取ってもらえるのでは?と期待してたものも返却されたりして、その時のショックは計り知れない。しかもセカストって、なんで引き取りできなかったのかは教えてくれないじゃないですか。家で点検して、綺麗に洗って、畳んで、袋に入れて、車で運んで、二時間も三時間も査定を待って…全部が徒労に終わったと思うと、どうしても落胆しちゃう。

そしてそういう服の1番の問題は、一度は売りに出して手放そうとしたくせに、いざ売れなかったら売れなかったで、自分では捨てられないのです…。やっぱり元値が高かったものは、なかなか捨てられない。でも捨てないからと言って使うわけではない。完全にタンスの肥やし。とほほ。

先日も春の大断捨離で服、靴、服飾品をたくさん持ち込んだんだけど、案の定戻ってきちゃった服があって。

こと洋服に関しては、「捨てる」という選択肢に強い抵抗を感じてしまうのよね。だって洋服を手放す理由って、だいたいデザインが今の自分の気持ちや生活に合わなくなったからでしょ?多少くたびれてるかもしれないけど、どこも破れてないしボタンも取れてない、まだ全然着られるんだよね。まだ使えるものを手放すって、もったいない、贅沢者、地球の敵…とにかくめっちゃ悪いイメージしかない。だから罪悪感を感じたくなくて、「捨てる」を避けて「売る」「あげる」に走りがち。

でも、「自分が着たいと思えること」「着ていて嬉しくなる、自信が持てること」「生活にマッチしていること」だって、実は洋服のマスト機能じゃない?実際、いくら破れてないからって、気持ちや生活に合わない服は着ないんだから。
そう思うと、「まだ使えるものなのに」っていう認識自体が間違ってたのかも。ファッションに全く興味のない人にとってはそうかもしれないけど、ファッションが好きで洗練を求め続けちゃう私らにとっては、「もう使えないもの」「消費期限を迎えたもの」じゃないの?

というわけで、今回は査定額0円ズはそのまま思い切って捨てました。でっかい燃える用のゴミ袋を、そのためだけに1枚使って。ゼェハァ。
3万円で買ったパンツをいくらクローゼットに取っておいても、そのうち熟成して3万円に戻る…訳はない。むしろ、それを取っておく分場所も必要だし、目に入るたびにちょっぴり憂鬱になるから資産価値としては超マイナスなんだもの。


セカスト話に戻るけど、袋が帰ってきた後の、査定額発表の瞬間もドキドキだよね〜。数千円代の値がつくと、おっ、持ってきてよかった♩と思う。でも数百円だった時は、やっぱりガクッときちゃう。待ち時間のお茶代にもならないじゃんって。ガソリン代や洗濯の水道代なんかも考慮したら完全赤字よ。いやね、不用品を引き取っていただけて、その上小銭の額でもお金がもらえるだけでもありがたいのは重々承知のはずなんだけど…。

うーん、心身のコスパを考えたら、やっぱそもそも買取に出さずにスパッと捨てるほうがいいような気はする。ファッションを好きでいる限りは、ある程度「捨てる」ことは覚悟しておかないといけないよね。

ただ、「モノを最後まで大切に使いきる、倹約家な自分になりたい」って気持ちもあるのよ。一方で、「鮮度のあるファッションを楽しんで、いつも素敵な装いの自分でありたい」っていう気持ちもある。今はまだ、二つの理想像にうまく折り合いがついてないんだよね。

これは今後の課題ということで、ゆるゆる考えていきましょう。皆さんの塩梅もぜひ教えてください🌱

いいなと思ったら応援しよう!