親友以上✕✕✕未満⑦
「ごめんね」
ベッドの上でレニに詫びた。
「ん?」
甘く、優しい声でレニはわたしにききかえす。この声質は、スイートハートが出す類のものだ。
「わたしがレニに、〝お仕置き〟されていれば、もっとスッキリしただろうけどっ」
レニの汗ばんだ髪を撫でて、おでこにキスしたあと勢いつけて、ベッドから身を起こす。
太ももに、冷たさを感じる。わたしたち二人は、盛大に潮を吹いた。盛大といっても、AVのようにビジュアル映えのするものではなく、まさしくお漏らしのような地味なものであったが、お湯かと思うくらいにとても熱いもので、わたしたちの情念が、体液にあれほどの熱を持たせたのだ。一段落したいま、すっかり、熱が消え失せ、冷たい、僅かに不快を感じさせるただの染みになっている。
「洗濯の言い訳、どうしよう?」
わたしがきくと、横たわったままのレニちゃんは
「ん……」
と艶めかしい吐息を漏らした。ますますレニちゃんの魅力にやられてしまいそうなわたしは、再び、素早く横になり、レニちゃんの頭を撫で、スイートハートにするように、音を立てて口づけした。強引に後頭部を押さえつけられた、レニちゃんは人形のようにされるがままだった。しばらく、レニちゃんの身体のラインや、顔のパーツを軽く、目で姦した。とっくに陽は落ち切り、暗がりということもあるけれど、レニの特殊な髪の色や瞳の色はわたしの意識の中から完全に抜け落ちていた。
わたしが、うっとりと眺め、じっくり観察していたのは、いっときでも心の外に母親を追い出すことができたレニちゃんという人間そのものだ。
腰まで伸ばしっぱなしにした、レニの髪を指で梳く。毛先に近づくにつれ、枝分かれし、水分が枯渇している。レニは、きっと執念で髪を伸ばしているのだ。何かにしがみつき、固執した結果である髪の一房に、わたしは口づけすると、レニは一瞬驚いたような顔をしたあと、安らかに目を閉じ、仰向けになった。
西洋画の裸婦みたいに、乳首も下半身もさらけ出し、脱力しきった状態でベッドに身体を預けているレニは低い声でわたしに問うた。
「わたし以外にも、本当に、こういうこと、しているの」
プライベートに踏み込んだ質問に、答える義理はないが、わたしは基本的に銀行の暗証番号などを除いては、正直に答えるポリシーだ。信念に従うのであれば、正直に「そうだけど」と答えれば良い。しかし、わたしは、レニの心を踏みにじりたくはなかった。
「なに? 嫉妬?」
レニはしばらく迷ったあと、再びわたしの目を見て横たわった裸婦のまま、口を開いた。
「……これから、わたしとだけ、こういうことするということはできない?」
来たー、独占欲。わたしが、大好きなタイプのヤンデレさん。
「おっほほ、それはあたしのテクニックに惚れたということ?」
「高梨さんを、取られたくない」
達観した裸婦ポーズのまま、事務連絡をするように平静を装った顔で、子どものように駄々をこねているレニの姿が、半分壊れているのに一生懸命喋ろうとする玩具のように思えて、愛おしさに胸が苦しくなった。わたしはそれを悟られまいと平静を装う。
「わたしと専属的に付き合いたいってこと?」
なんてったって、こちとら抱いた女は数しれずのレズのベテランな訳だし、簡単にイニシアティブを渡すわけにはいかないし、ついでに外堀も固めておきたかった。
レニは上半身を起こし、ベッドの上に正座した。
「はい」
芯の通った返事だ。礼節だけは、ほんとうにしっかりしている。
「いいよ。いま彼女も彼氏もいないし」
レニが驚いた表情で、目をぱちくりさせている。
「……いいんですか?」
「うん。よろしくね」
握手をするために、右手を差し出すと、レニは右手を太ももの上で拭いてから握り返してくれた。
「ほんとにわたしなんかでいいんですか?」
レニがはぎ取った下着を履き、ジーンズに片脚を通す。
「じゃあ、逆に聞くけど、あたしなんかでいいの?」
「どうして、そんなこと聞くんですか?」
レニの一重まぶたの目は、さらに鋭利に研ぎ澄まされている。他人の名誉のためにここまで苛立つことができるなんて、素晴らしい。
「あたし、何の取り柄もないよ?」
レニは驚いた顔を見せた。けど、あたしの自己評価はこんなもんだ。成績が1位だったのは、偶然とか奇跡の要素もあるし、趣味はエロ百合同人を気が向いた時に描いて眺めて、パルクールの大会出てみたり、女の子にちょっかい出す、強いていいところを挙げてみるなら、小学生の男子のように無邪気で好奇心旺盛なところくらいだろうか。
「取り柄がないなんて! そんなこと言ったら駄目です」
「その言葉、そっくりきみに返すよ」
わたしはジーンズを履き、ブラジャーをつけTシャツを頭から被った。
レニが、眼鏡をかける音がした。レニの着ていたトップスはともかく、タートルネックのニットは、眼鏡をかけたまま着ようとするのは無理がある。
「あたしが、なぜ、レニちゃんに惹かれるか、それはね、ドジっ子なところが、単純にそそるんだよね。こんな回答でいいかな?」
「……あ、順序間違えた」
照れと苦笑いが混ざった複雑な自虐を、わたしのスイートハートは浮かべた。
研修は、基本、土日が休みである。わたしとレニは付き合うことになった。平日は基本、わたしたちは話すことはなかった。クラスは同じでも、班は別々だったし、公私混同はしないという暗黙のルールがわたしたちの間には通じてた。土日は、睦み合いかと問われれば、比率的にはむしろ少なかった気がする。わたしたちは、小出しにするのではなく、溜め込んで思い切り爆発させるというやりかたでお互い、欲をぶつけ合った。一種のスポーツのようなものだった。わたしたちが集うときは、一緒に起案をしたり、補講をしたり、研修は関東に近い場所で行われていたので、遊園地や市場に遊びに行ったりした。市場で、巨大な生牡蠣を上品に頬張るレニちゃんを抱きしめたくなったし、面白かったのは、旅番組の真似をして、二人でサイコロを振って、今は亡きルール屋の先輩たちの人生を辿る旅をし、戦利品を見せ合い、プレゼンテーションしたことだった。レニちゃんは本当に真面目で、限られた時間のなかで、ルール屋の先輩のことを知ろうとしていた。単に、知識として入れようとするのではなく、今は亡き、声も聞けない先輩が、どういう想いを抱いて生きていたのか、まるで役作りするみたいに向き合っていた。だから酷く感心した。そう、あたしと同じようなことをしていたから。それがわかったとき、見知らぬ土地の駅の構内で、ケラケラと笑い合った。ストーブの炊かれた駅の構内で、雪を眺めながら、缶のココアを飲みながら「わたしたちは、出会うべくして出会ったんだね」と言うと、「そうだよ〜?」とレニちゃんは、照れながら、おどけてみせて、わたしにキスをした――。
わたしたちは、表面上はただの候補生、澄ました顔でルールについて学び、議論する毎日を送りながらも、大きくて熱い幸福を、二人で協力しながら育んでいた。
「レニちゃんは、審判所の高いところから、人を代理しているわたしを見下ろすんだね」
「……なれるかなぁ」
照れ笑いしながら、レニはわたしの肩にもたれかかった。わたしはレニの頭に口吻を落とした。
順調と思えたわたしたちの関係に、亀裂が入ったのは、レニちゃんとわたしが出会ってちょうど1年経つ頃だった。
1週間後に、修了式を控えたわたしたちは、3色に輝く研修生の証であるペンダントを返却ボックスに入れた。
レニちゃんは、大切そうに抱えたそれを、返却ボックスにそっとしまい込むように入れた。投げ入れるような入れ方もする他の候補生たちがいるなかで、レニちゃんはやっぱり礼節と思いやりと謙虚さに溢れていた。
わたしはというと、返却ボックスの中で煌めく三色の宝石のなかに、今まで自分が使っていた固有の三色の宝石が埋もれていくのを見届け、レニとの出会いに感謝した。
その日は、国の審判人となる候補生が選ばれる日だった。
国の審判人を目指す人たちは、研修所から封筒を受け取る。封を切れば、国の審判人の採否が判明する。
あたしは、人の代理人になると決めて研修に望んでいたので、研修中、何人かの審判人にオファーを受けたが全て断っていた。
レニこそ、国の審判人にふさわしいとわたしは思っていた。常に真面目で、人情に溢れ、きめ細やかに一人の人間と粘り強く向き合うことができるレニにこそ、国の審判人になってほしかった。
封筒の中身を見た、レニの表情はほとんど変わらなかった。ただ、あたしの恋人は無言だった。焦れったくなり、レニが持っている用紙をのぞき込むと、そこには、不採用と印字されていた。理由は、紋切り型の弁明文だった。
「あー……、なんでだろうね」
そのときのわたしは、レニが国の審判人候補から外された理由がわからなかった。
「まあ、わかっていましたよ。わたしが、拙劣ということです。母が言ったとおりです。ある意味安心しました」
レニは、負の感情を隠し通すのが本当に上手い。候補生たちと講じたとき、ポーカーが異様に強かったことを思い出した。
「いや、お母さんは関係ないと思うけど」
レニに慰めなど不要ということがわかりきっていたのでわたしは、人の代理人よろしく、論理性を欠く部分の発言を突っ込んだ。今思えばこんな態度取らなきゃよかったと思う。レニは衝撃的な言葉を口にした。
「ごめんなさい。わたしのことは、すみません……忘れてください」
心臓が止まりそうになった。
レニは、出会った頃よりもよそよそしい態度を取り、夕陽荘の室内の荷物の整理を再開し始めた。タオルを畳む手つきが、クリーニング屋さんのように丁寧で、横顔も穏やかだ。この子の怒りや悲しみ、悔しさといった負の感情はどこへ行ってしまっているのだろう。
「ちょっと待ってよ! どうしたどうした? ほら、こっちおいで。悲しいなら泣いていいんだよ」
レニの肩を抱くと、レニは手を止めた。表情ひとつ変えず、虚空を見つめている。わたしはレニの斜め正面に回り込む。
「審判人だめなら、一緒にあたしと人の代理人やろうよ! レニは人情あるから大丈夫だよ」
〝大丈夫〟という言葉に、力を込めて、レニの両手を握る。レニは握り返そうとはしなかった。わたしはさらに、レニに詰め寄る。
「ね? 二人で〝街の人の代理人〟やろっ?!」
レニは、力なく首を振った。
否定の意味を込めて。
「……わたしは、この試験に3回目で受かりました。2回落ちてもなんとか、しがみつくことができたのは、国の審判人になりたいという強い気持ちがあったからです」
レニは荷物の整理を淡々と再開する。どうして国の審判人じゃなきゃだめなのか、という問いをわたしは沈黙に変えた。せっつくのはよくない。レニがなんとか心変わりしてくれるためには、鷹揚さが必要だった。
「母の望みは、わたしが国の審判人になることでした」
レニの双眸は、わたしを捕らえてはいなかった。わたしたちの視線が、混ざりあうはずはなかった。わたしの視界にはレニの横顔しか映っていなかった。
レニは区切りをつけるように俯き、ふたたび、とつとつと話し出す。俯いたレニのうなじのあたりでまとめられた真銀の髪に、触れたくてしょうがなかったけど、それはもはやわたしの占有から外れていた。
「ルールの勉強をしているとき、難しい問題がうまく解けたとき、母の顔が穏やかになるんです。何をするにも、時には日課であるランニングのときでさえ、母に手を上げられたことや愚図だと言われたことが何度も頭の中を蘇りますが、ルールの、勉強をしているときだけ、母のことを許せるんです。不甲斐ない自分を、受け入れることができる瞬間、それはルールの勉強をしている時だけなんです。それに気づいたとき、わたしには、ルール屋の血が流れているのだと誇らしくなりました。けれど、わたしにルール屋の才はなかったという現実をつきつけられました」
哀しそうな笑みすら、うまくできないレニを見て決してこの子を離したくないと思った。
「そっか」
わたしは、レニの気持ちを尊重することにした。
「じゃあ、別れるって解釈でいい?」
レニの顔色が変わった。目を僅かに見開き、青ざめている。やっぱり、この子はわたしと本気で別れたがってなんかない。
二の句が継げないレニに、言ってやった。
「あたし、気づいてたよ。レニ、あたしに嫉妬してたんじゃない?」
表情を悟られまいと俯き、弱々しく頭を振る。
「あたしが、審判人に黒ローブを着せられてたとき、是非うちに来てくれって熱っぽく勧誘されてたとき、レニはあたしのことを、バレないように盗み見してたの気づいてたし、きみは、すごく焦ったような悲しいカオしてた」
「そうだったかな……」
「別に、あたしが審判人やろうがレニが審判人やろうが、二人の関係ってそんな変わんないじゃん。一日中ルールの話してるわけじゃないし」
人を小馬鹿にしたような笑い声がわたしのゆがんだ唇から漏れた。レニはそれを認めると、諦めたように目を伏せて無理やり口角を上げた。たぶんわたしは、泣きそうなんだけど、わたしもレニと同様、感情を正しく表現するのがド下手くそだ。
わたしは、レニの部屋の壁にもたれた。そんなことせず、別れを告げられたのならさっさと出ていけばいいのに、レニが今までにしてくれた口づけや向けてくれた笑顔とか言葉とか二人で笑い合った記憶が、わたしを部屋に留まらせた。
「ひとつ、言っておくよ。きみは、お母さん軸で生きている。あれでしょ? きみのお母さんは、試験が1位で審判人のオファーが来るほど〝優秀〟なわたしと、〝愚図でドジ〟なレニがくっつくことを〝良し〟としていない。だから、第三者的に見たらよくわからんような基準で、人を〝簡単に〟切り捨てようとする」
レニは、いつの間にか、拳を握り、歯を食いしばっているのか眉間にシワを寄せている。
「でしょう?」
にんまり笑ってやると、レニは身体を震わせた。レニにかけられた呪いを、あたしは解くことはできなかった。わたしは、レニのそばにしゃがみ、頭を抱いて髪を撫でてあげた。
「レニ、大好きだよ。ずっと」
まやかしではなく、本音だった。
「……ごめんなさい」
声を上げずに、ただ、ひたすら、レニは震えていた。レニが泣き止むまで傍にいてやるべきだったとは思うが、ここでわたしが悪者にならなければ、レニに罪悪感を持たせることになる。
約1年間付き合ったスイートハートに背を向けた。
「いつか、審判所で会おうね」
レニが泣き崩れている姿を、わたしは見る勇気はなかった。
はじめて、本気で好きになった女性を泣かせて、そんで自分は尻尾を巻いて逃げた。狡猾な詐欺師と同じ手口で。
