正しさよりも、声を聴くということ
〜子どもの生きづらさと、私たちが本当に守りたいもの〜
学ぶことよりも、
正しい知識よりも。
経験の中から
生まれてくる声がある。
叫びや、訴えの奥にある
言葉にならない想い。
その本質や、真理が
もっと
静かに
丁寧に
聴かれる世の中になったらいいなと思う。
自由は「手に入れるもの」だと思っていた
かつて私は、
なにかを
手に入れた先に
自由があるのだと
思っていた。
知識、正解、評価、肩書き。
それらを重ねていけば、
いつか安心できる場所に
たどり着けるのだと。
けれど、
ある瞬間に気づいた。
なにも
付け足さなくて
よかったのだと。
そう
気づいた瞬間、
すべてが
自由だった。
同じ願いを持ちながら、すれ違ってしまう私たち
わたしたちは、
同じ「願い」を抱きながら、
それぞれ
別々の道を歩いている
のかもしれない。
子どもたちが
安心して生きられること。
自分のままで
存在していいと思えること。
問題を解決したいはずなのに、
いつの間にか
競い合い、
比べ合い、
少しずつ
距離が生まれてしまうことがある。
子どもの生きづらさに、触れてしまうとき
その過程で、
知らず知らずのうちに
子どもたちの生きづらさに
触れてしまっていることも
あるのかもしれない。
正しさを急ぐあまり、
声を聴くことよりも
答えを出すことを
優先してしまうとき。
大人の正論や、
善意の言葉が、
子どもの心を
静かに追い詰めてしまうこともある。
本当に守りたいものは、どこにあるのだろう
本当に守りたいものは、
いま、
どこにあるのだろう。
答えを出す前に、
何かを教える前に、
まず
静かに
耳を澄ませていたい。
声になる前の声が、
安心して
そこに在れるように。
最後に
正しさや知識が
必要ないわけではない。
けれど、
それよりも先に
「人の声を聴くこと」が
あるのだと感じています。
子どもたちの生きづらさが
少しでも軽くなるように。
大人である私たちが、
もう一度
立ち止まれますように。
最後もまでお読みくださり
ありがとうございます。
感謝申し上げます。
