凡庸”故障”雑記「 iPad充電が出来ず」
色々考えることがあったので、あれこれ考えていたが、結局これを書くことに落ち着いた。正直、あまり気持ちの良い話ではなく、少なからず気落ちしている内容。
とうとう、 iPadProが駄目になった。動かなくなったわけではなく、使えるのだけど、充電できなくなってしまった。
前に、充電できなくなり、接点復活剤を塗ったら解決したことを書いた。確かに、その時は充電できるようになったのだけど、しばらくすると、元の木阿弥。うんともすんとも。
ただ、不思議なことに、ある一本のケーブルだけは、問題なく充電ができ、とりあえず心元はないけれど、使うことはできていた。それが、今日、とうとうその一本も充電ができなくなった。
何度か抜き差しして、裏返ししたりすると、不思議にできたのだが、それを今日、何度か繰り返しても、やはりだめだ。とうとう、来るものが来てしまったようだ。
近くの、修理店に持ち込み、修理内容と金額を聞くと、端末修理は基盤の交換になるので、工場預けの19,800円とのこと。頭を抱える金額だ。考えなしに出せば出せない金額ではないが、最近はそこまで飛び込む勇気はない。さりとて、このままでは。ひたすら重い心を抱えるばかりだ。
躊躇する要因の一つは、最近、めっきりiPadの活躍の場が無くなっていることがある。iPadを手にした時点では、これで、Macの出番は激減するのでは、この、心地よさと快適さが全ての中心になるのではと、胸高らせていた。
エクセル、キーノート、ToDo、LightroomにIllustratorその他諸々あらゆるソフトを入れては使い、なんとか生活を一変させる気満々だった。それらを快適に使えるように周辺機器も一揃えし、キーボードやらペンやら、今考えると、よくもまあ、それだけ気持ちも金銭も投入で来たもんだと背筋が凍る。
それが、最近はもっぱら、YouTubeとNetflix、Amazonプライムの動画視聴専用機。時々、仕事の書類を詰め込んで、現場でそれを取り出だし、嵩張る紙を駆逐している。
落ち着いて考えれば、そんな程度しか使っていない。ただ、なんだかそれでも十分じゃないか、贅沢は敵というか、高度な使い方は求めてはいけないのではないだろうかと、落ち着いている。
今、悩ましいのは、それだけのことに、2万円を出すのは気が重い。すっきりと、長年続けた iPadを諦めた方がいいのか。だけど、終わらせるのはあまりにも悲しい。やはり、復活させた方がいいか。
