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世界史の飾り窓134一般意志、革命、独裁

 私が独裁者となるには、議会の全滅が必要だったろう。では、祖国の唯一の治療法と して国民公会を要求したのが私だったのは、どうしたことか。革命が非合法であり、王位転覆やバスティーユの襲撃が非合法であり、自由そのものが非合法なのと同様、8月10日もまた非合法だった。市民諸君、諸君は革命なしに革命を望むのか?         ロベスピエールの演説(1792.9.25.国民公会にて)

 

前回、唐突な感じで「一般意志」という術語を出したが、ここでルソーに触れなければならない。
一般意志はルソーが『社会契約論』(1762)で本格的に論じた概念である(概念自体は1755年に提出していた)。意志はvolonte、あくまでも自発的な意志なので従わせられるものではない。一般はgeneraleの訳語で、「全般的」と「普遍的」の中間的な概念だと私は勝手に理解している。
 個人の利害を「特殊意志」と規定したルソーは、間接民主政の立法機関としての議会で議院(representatives)によって再現・現前(represent)され、多数決で決定される「全体意志」を「特殊意志の集合にすぎない」と否定した。
 アメリカの連邦議会、日本の国会を思い浮かべれば容易に理解できるが、議員に国家意志を見出す意志と知識や能力を求めても無駄である。与党議員の彼ら・彼女らの目的は理想の実現ではなく、当選・再選されることであり、そのための支援をしてくれる個人・宗教団体・企業の利害を代弁することが一番の仕事、そして自分たちの党(内閣)が提出した法案を可決するために本会議に物理的に存在していることである(そうでなければ居眠り議員の存在は説明できない)。少数与党であれば、法案には野党の要求も加算した修正が入る。よって議会で成立する法は特殊利害の総和となる。
 あらためて一般意志とは何か? それは人間が多数決で決めるものでもなく、制定するものでもない。それを見出そうと一生懸命に考えた末、初めて見出したり発見できるものであり、かつ全員が納得できる正義を備えた意志である。さらにそれは人類に進歩をもたらすものでもある。陪審員裁判を題材にした映画『十二人の怒れる男』(1957年)を観たことがある人なら納得しやすいか。
 この辺りは自然法(不文国際法)や中世の慣習法と同じである。神が定めたが、書き残さなかった正義の法を発見する形式、新しい事態に対応できる古き良き法を再発見するという形で新しい法を創造する。判決を強制できる権力と暴力装置を持たない政府が発する法が効力を持つとすれば、それは誰が考えてもそうするのが正しいと納得する正義(日本史なら道理)でしかない。それに進歩という動力が付いたのだ。
 正義・進歩と不可分の一般意志は、おいそれとは発見できない。できないが故に、人民の求める一般意志を発見できる者は革命の指導者に上昇していく(フイヤン派、ジャコバン派と複数形で表現されていることの意味はここにある)。しかし、革命が先鋭化していくと、さらに上の一般意志を発見できる人間は唯一人になる。それが恐怖政治期のロベスピエールであり、革命の理念を輸出したナポレオンである。20世紀の革命の歴史がレーニンに始まり毛沢東に到る独裁者の歴史であるのは、その意味で必然なのである。

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