沸騰する黙示録(後半)
第一章:鉄の箱と、静かなる囁き
「あまのかぐやま」が消息を絶ってから、三日が経過していた。
太平洋の九割は、すでに漆黒の、そして沸騰する「肉の粘液」によって埋め尽くされていた。かつて青く美しい命を育んでいた海は、今や地球という巨大な生物が作り出した、人類を排除するための抗体(システム)の巣窟と化している。
熱海沖の岩盤をくり抜いて作られた、地下三百メートルの政府緊急シェルター『カプセル・ゼロ』。
ここが、日本に残された最後の人類の砦だった。
施設内の大型モニターには、世界中の定点カメラが捉えた絶望が映し出されている。ニューヨークのタイムズスクエアは黒い泥流に飲み込まれ、パリのエッフェル塔は熱によってグニャリと曲がり、その足元を新人類たちの群れが埋め尽くしていた。
「……また、一人消えたわ」
通信士のサエが、青白い顔でヘッドセットを外した。彼女の指先はガタガタと震えている。
「今度はBブロックの居住区よ。鍵は内側からかかっていた。なのに、部屋の中には衣服と、ドロドロに溶けた有機物の痕跡しか残っていない。防犯カメラには……壁のわずかな隙間から染み込んできた『黒い霧』を、自ら進んで吸い込む彼の姿が映っていた……」
シェルター内は、完全な密閉空間のはずだった。チタン合金の隔壁、三重のエアロック、そして高精度の分子フィルター。しかし、地球の免疫システムである「黒い粘液」は、大気中に目に見えない気化ガス(霧)を放ち、コンクリートの微細な穴すらも透過して侵入してきているのだ。
「彼らは、戦っているんじゃない」
シェルターの防衛指揮官である榊(さかき)が、重い口を開いた。彼の目は連日の徹夜で血走り、顔は土気色に痩せ細っている。
「誘惑されているんだ。あの黒い海に、美咲(みさき)たちに取り込まれた者たちの意識に……」
パチパチ、パチパチ。
その時、シェルターの極厚のチタン製ハッチの向こう側から、あの不気味な音が響いてきた。気泡が弾けるような、あるいは何かが沸騰しているような音。だが、今の生存者たちには、それが単なる環境音には聞こえなかった。
『アツイ……、モウ……アツクナイヨ……』
『コッチヘ……オイデ……。ウソノナイ……セカイヘ……』
ハッチの外に押し寄せる黒い粘液の質量。そこから発せられる微弱な電磁波、あるいは未知の精神波が、シェルター内の人間たちの脳に直接、甘く狂おしいメッセージを送り届けている。
「う、うわああああ!」
突然、若い技術兵が叫び声を上げ、自身の銃をハッチに向けて乱射した。激しい銃声が閉鎖空間に反響する。しかし、弾丸は頑丈な金属を穿つだけで、外の恐怖を消し去ることはできない。
「落ち着け! 撃つのをやめろ!」
榊が技術兵を取り押さえる。だが、技術兵の瞳の輪郭は、恐怖のあまりジワジワと滲み始めていた。ストレスによる免疫力の低下が、体内にわずかに潜入していた黒い霧の活性化を促してしまったのだ。
「隊長……僕の頭の中に、死んだはずの姉さんがいるんだ……。涼しくて、気持ちいいって笑ってる。僕を呼んでるんだ、寂しいからって……!」
技術兵の皮膚が、汗のように不自然な乳白色の液体を分泌し始める。彼の指先が、掴んでいた銃の金属製グリップとドロドロに融け合い、一体化していく。
「離れろ! 触れるな!」
榊は苦渋の決断で技術兵を突き放した。人間の肉体という構造を保つための「境界線」が、精神の崩壊とともに失われていく。技術兵だったものは、わずか数十秒の間に、苦痛の悲鳴をあげるのをやめ、うっとりとした微笑みを浮かべながら床一面の肉のカーペットへと融け落ちていった。
残された衣服と、金属と肉が混ざり合った異形の塊。
「……もう、時間がない」
榊は静かに、しかし覚悟を決めた声で言った。
「地球の沸騰を止める。奴らのコアを、地球の核を直接フリーズさせるしかない」
人類の最後の反撃作戦、『絶対零度(アブソリュート・ゼロ)』が、この地獄の底で産声を上げようとしていた。
第二章:絶対零度の胎動と、境界の崩壊
地下三百メートルの緊急シェルター『カプセル・ゼロ』の空気は、急速にその密度を増していた。
大気中の酸素濃度は、かつての地球の基準を遥かに超え、今や生命を維持するためのガスではなく、あらゆるものを一瞬で灰にするための「導火線」へと変貌しつつある。
防衛指揮官の榊は、中央制御室の巨大なホログラムディスプレイの前に立っていた。画面に映し出されているのは、地球の全深海マントルを網羅する熱源ネットワークだ。小笠原海溝から噴き出した漆黒の免疫システム「黒い粘液」は、すでに日本列島の地下を走るマグマだまりと完全に同化し、地球そのものの体温を「沸騰」させている。
「榊隊長、作戦の準備が整いました」
背後から声をかけたのは、主任研究員の氷室(ひむろ)だった。彼女の顔もまた、重度の精神的疲労から土気色に変色していたが、その瞳の奥にはまだ人間の理性の光が辛うじて残っている。
「これが我が人類に残された最後の結晶……『絶対零度弾(アブソリュート・エミッター)』です。理論上、これを小笠原海溝の最深部、すなわち地球の免疫システムの『核(コア)』に向けて撃ち込めば、周囲数千キロメートルの分子運動を完全に停止させ、地球の沸騰化(熱発)を強制的にフリーズさせることができます」
「だが、どうやってそこまで運ぶ?」
榊はディスプレイに映る、黒い海に沈んだ日本地図を指差した。
「地上の交通網は壊滅。空は大気が膨張しすぎて気流が狂い、航空機を飛ばせば一瞬で摩擦熱により爆発する。海は……言うまでもなく、あのドロドロとした肉のスープだ」
「『あまのかぐやま』と同型の特殊潜航艇『しんかい12000』が、最下層のドックに一隻だけ残されています」
氷室はキーボードを叩き、画面に漆黒のチタン合金で覆われた潜水艇の3Dモデルを表示させた。
「外殻には超伝導冷却プレートが施されており、粘液の熱にも耐えられます。ただし、自動航行システムは使えません。あの海の中では、電子信号すらも新人類たちのテレパシー(精神波)によって混線し、プログラムがバグを起こして暴走してしまうからです。つまり……」
「人間の手で、直接操縦して潜るしかない、ということだな」
榊は自嘲気味に笑った。
それは、生きて帰ることのできない片道切符の特攻作戦だった。
パチパチ、パチパチ、パチパチ。
その時、制御室のスピーカーから、ノイズを切り裂くようにして「あの音」が響き渡った。気泡が弾ける音ではない。何千、何万もの人間の爪が、シェルターの外壁を同時に引っ掻いているような、悍ましい金属音がシェルター全体に木霊する。
「何だ!? 防犯カメラの映像を切り替えろ!」
榊が怒鳴る。モニターに映し出されたのは、第ニ居住区へと続くメインシャフトの映像だった。
そこには、信じられない光景が広がっていた。
厚さ五十センチメートルの超強化プラスチック製の観測窓が、不自然に「歪んで」いた。熱で溶けているのではない。窓の向こう側にへばりついている「黒い粘液の塊」が、プラスチックという物質の分子構造を自らの肉体に融け合わせ、窓そのものをドロドロの液体へと還元させているのだ。
そして、その融けゆく窓の向こうから、一つの「顔」がヌッと突き出てきた。
「……み、美咲……?」
氷室が息を呑み、一歩後退りした。
それは、第一部で「あまのかぐやま」とともに黒い海へと消えていったはずの、かつての同僚、美咲の顔だった。
しかし、その姿はもはや人間とは呼べないものだった。
彼女の顔の皮膚は、衣服の繊維とドロドロに溶け合い、首から下は無数の人間の手足や魚類のヒレが歪に結合した、全長数メートルに及ぶ漆黒の「大蛇」のような肉塊へと変貌している。だが、顔のパーツだけは生前の美咲そのものであり、彼女は生前によくやっていた「右の口角を少し上げる癖」のまま、不気味に、そして最高に穏やかに微笑んでいた。
『氷室さん……榊隊長……やっと、会えた……』
スピーカーからではない。制御室にいる全員の脳内に、美咲の鈴を転がすような、しかし無数の人間の声が重なったノイズ混じりの「声」が直接響いた。
『もう、怖がらなくていいのよ……。シェルターの中は、とっても暑いでしょう? 息が苦しいでしょう? ……衣服を脱ぎ捨てて、外に来て。この海の中は、冷たくて、とっても気持ちいいの。嘘も、孤独も、悲しみも、何一つない世界……』
「黙れ! 化け物め!」
榊は腰のホルスターから高威力のアサルトライフルを引き抜き、モニターの美咲に向けて引き金を引いた。だが、弾丸はプラスチックを透過して侵入してきた黒い霧に触れた瞬間、火薬が異常燃焼を起こし、銃身ごと激しく爆発した。
「ぐあああっ!」
榊は右手の肉が千切れ飛び、床に転がった。しかし、流れる血すらも、床に落ちた瞬間に蒸発し、不気味な乳白色の霧へと変わっていく。
「隊長!」
氷室が駆け寄ろうとしたが、すでに制御室の天井の隙間、通気口、あらゆる「境界の割れ目」から、どろりとした黒い液体が雨のように滴り落ち始めていた。
一滴の雫が、近くにいたオペレーターの男性の肩に落ちる。
「あ、あ、熱……冷たい……?」
彼の叫び声は、一瞬で恍惚のハミングへと変わった。彼の衣服が、皮膚が、そして座っていたスチール製の椅子までもがドロドロと融解し、床の構造物と同化していく。彼の脳から溢れ出した「幼少期の記憶」や「他人の悪口」「隠していた欲望」が、電磁波となって制御室内の全員の脳内へと津波のように流れ込んできた。
「頭が……割れる……!」
氷室は両耳を押さえて叫んだ。他人の記憶が自分の中に入ってくる恐怖。自分が自分という「個」でいられなくなる圧倒的なボディホラー。
「氷室……ドックへ走れ……!」
榊は、すでに右腕全体が制御室の床のコンクリートと融合し、引き抜くことができなくなっていた。彼の足元からは、急速に皮膚の境界が消え、床にピンク色の肉の根を張るようにして一体化が進んでいる。
「私はもう……ここまでだ。だが、私の記憶を、人類の意思を、あの核へと届けてくれ……!」
榊の顔が、半分床に向かってドロドロと流れ落ちていく。しかし、その残された左目は、しっかりと氷室を見つめていた。
「必ず……地球を、冷やしてみせます!」
氷室は涙を振り払い、床から噴き出す黒い粘液を必死に避けながら、最下層のドックへと続く緊急ラダー(梯子)へと飛び込んだ。
背後では、榊だったものと、オペレーターだったもの、そして美咲たちの意識が完璧に一つに溶け合い、何重もの美しいコーラスとなって「新世界の賛美歌」を歌い始めていた。
パチパチ、パチパチ……。
世界の終わりを告げる音が、地下深くの闇に、どこまでも優しく響いていた。
第三章:深海12000マイルの絶望
地下ドックの気圧は、すでに限界を突破していた。
上層階から漏れ出した「黒い霧」が、まるで生き物のように換気ダクトを伝って降下してくる。
「ハッチ、閉鎖……! 冷却システム、最大出力(マックス)!」
氷室は潜航艇『しんかい12000』の狭いコックピットに滑り込み、激しい勢いで重厚なチタン合金のハッチをロックした。その直後、ドックの天井が自らの重みと融解によってグニャリと崩落し、大量の「黒い肉の粘液」が滝のように潜航艇の天窓に叩きつけられた。
ドーーーン。
鈍い衝撃とともに、潜航艇はドックの固定固定アームを自ら焼き切り、熱水と粘液が渦巻く、漆黒の太平洋へと滑り落ちた。
「……冷たい」
氷室は操縦桿を握り締めながら呟いた。
外の海は、地球の沸騰化によって摂氏八十度を超える熱湯と化しているはずだった。しかし、超伝導冷却プレートが発するマイナス二百度の冷気と、黒い粘液が持つ「未知の流体特性」が混ざり合い、センサーの温度表示は不気味に乱高下を繰り返している。
メインスクリーンに映し出された外の世界は、言葉を失うほどの地獄絵図、あるいは、あまりにも完璧な「新世界の胎盤」だった。
かつて魚たちが泳いでいた中層海域(ミッドゾーン)は、完全にひとつの巨大な「肉のスープ」だった。数億、数兆もの細胞が、人間も、クジラも、深海魚も関係なくドロドロに溶け合い、巨大な一つの有機体の筋肉のように、ゆっくりと収縮と拡張を繰り返している。
パチパチ、パチパチ、パチパチ。
船体を叩く音が、先ほどよりも明らかに大きく、そして「近く」聞こえる。
チタン合金の外殻を隔てているはずなのに、その音は氷室の耳のすぐ後ろで囁かれているかのように、鼓膜を直接振動させた。
『氷室さん……なぜ、そんなに冷たい箱に引きこもっているの?』
『寂しいよ……。私たちはもう、みんな一つになったのに。あなたの席も、ここに用意してあるのよ……』
「……くっ!」
脳内に直接響く、美咲の、そして先ほど融合したばかりの榊隊長の「重なり合った声」。
それだけではない。海全体から、この数日間に地球上で融けていった何十億人もの人間の「無意識の合唱(コーラス)」が、思考の津波となって氷室の精神を削りにやってくる。
彼らの記憶が、潜航艇の金属分子の隙間をすり抜けて、氷室の脳に直接パッチワークのように貼り付いていく。
見知らぬ誰かの子供時代の夕焼けの風景、誰かの失恋の痛み、誰かが死ぬ間際に抱いた恐怖。それらが自分の記憶と混ざり合い、脳の境界線がジワジワと解けていくような強烈な眩暈(めまい)が彼女を襲った。
「私は、氷室……。人類最後の、科学者……。地球の熱を、下げるのが、私の……任務……!」
氷室は自分の太ももに、衣服の上からピンセットを深く突き刺した。
激痛。赤い血がジワリと滲む。その痛みの刺激だけで、かろうじて「自分という個の輪郭」を世界に繋ぎ止める。
潜航艇の高度計が、急速に数字を減らしていく。
深度、四千メートル。五千メートル。六千メートル。
マリアナ海溝や小笠原海溝が位置する、本来ならば光が一切届かない超深海(ハダルゾーン)。
しかし、今のこの深海は、不気味な「極光(オーロラ)」のような光で満ちていた。黒い粘液の底から、生物発光(バイオルミネセンス)を何兆倍にも強力にしたような、生々しいピンク色と紫色の光が、脈動に合わせてギラギラと輝いている。
その光の源へと近づいたとき、氷室は信じられないものを目撃した。
「……都市……?」
深海一万メートルの海底平原に、巨大な「肉の蜂の巣」のような構造物が、何キロメートルにもわたってそびえ立っていた。
それは、地球の免疫システムが作り出した、新人類たちのための「超巨大都市(コロニー)」だった。かつて地上にあった超高層ビルや、沈没した調査船「あまのかぐやま」の残骸、そして無数の人間の肉がドロドロに融合し、まるで一つの巨大な内臓のように機能している。
その都市の中心に、ひときわ巨大に脈動する、直径数キロメートルに及ぶ「地球の心臓(コア)」があった。
小笠原海溝の最深部から噴き出すマグマの熱をエネルギーに変え、地球全体の沸騰化をコントロールしている、すべての災厄の元凶。
『絶対零度弾(アブソリュート・エミッター)、ロック解除……。ターゲット、地球核(地球システム・コア)』
氷室は震える指で、コンソールの赤いカバーを跳ね上げた。
このボタンを押せば、潜航艇ごと周囲のすべてが、一瞬にして分子運動の停止した「絶対零度の氷の世界」へと変わる。地球の沸騰は止まり、人類を融かした黒い海もカチカチに凍りつくだろう。
しかし、その時だった。
ドンッ!!!
潜航艇の天窓に、巨大な「何か」が激しく衝突した。
チタン合金の外殻がミシミシと悲鳴を上げ、超伝導冷却プレートのメーターが一気に危険域(レッドゾーン)まで跳ね上がる。
「な、何が……!」
氷室が顔を上げると、フロントガラスの向こう側に、広大な肉の海から「芽吹く」ようにして現れた、想像を絶する大きさの異形がこちらを凝視していた。
それは、第一部で消えた「あまのかぐやま」の船体そのものを骨格とし、そこに何万、何十万もの人間の頭部や手足、クジラの尾鰭、深海生物の触手がドロドロに融け合って形成された、全長数百メートルの【新世界の神(マザー・システム)】だった。
そして、その巨大な異形の中心にある、ひときわ大きな「人間の顔」が、ゆっくりと目を開けた。
美咲だった。
いや、それは美咲であり、榊であり、地球そのものの意識だった。
『氷室さん……。まだ、世界を拒むの?』
その声が脳内に響いた瞬間、潜航艇の全システムが沈黙した。
液晶画面が激しくブレ、Pythonで組まれた航行プログラムが、まるで生き物のように書き換えられていく。エラーコードが画面を埋め尽くし、最後には『Welcome to the New World(新世界へようこそ)』という文字だけが表示された。
「プログラムが……書き換えられていく……!? 物質の境界だけじゃない、情報(データ)の境界まで融かしているの……!?」
氷室の足元から、冷たい感覚がせり上がってきた。
見ると、潜航艇の強固なチタン製の床から、じわりと乳白色の液体が染み出してきている。潜航艇という「人類の文明の障壁」すらも、地球の圧倒的な免疫システムの前には、ただの溶けやすいバターに過ぎなかったのだ。
「ああ……あ……」
氷室の靴が溶け、彼女の足の指が、操縦艇のペダルと同化していく。
痛みの感覚はない。ただ、圧倒的な「優しさ」と「温かさ」が、足元から頭へと向かって、心地よい電磁波のように駆け抜けていく。
『もう、頑張らなくていいの。あなたは、最後のひとりまで、よく人間の輪郭を守ったわ……。でも、もう終わり。私たちは、最初から一つであるべきだったのよ』
美咲の、地球の、何十億人の腕が、優しく氷室の身体を抱きしめるように包み込んでいく。
氷室の指先が、赤い作戦ボタンの上に置かれたまま、ドロドロとボタンのプラスチックと同化を始めた。
彼女の脳裏に、すべての戦いが終わる瞬間の、圧倒的な調和のビジョンが流れ込んでくる。
第四章:新世界への調和 ―― 融解する黙示録の果てに
『しんかい12000』の内部は肉の海と分子レベルで融け合い、氷室の身体も操縦桿と一体化していた。計器はパチパチという「地球の免疫音」を響かせ、彼女の脳内には全人類の思考が流れ込む。
絶対零度弾(アブソリュート・エミッター)でこの海を凍らせることは可能だが、それは美咲(マザー・システム)が言う通り、救済ではなく孤独な「死」である。氷室の指はボタンの上で、周囲の物質と限界まで融け合っていく。
かつての仲間や、東京で融け合った人々の記憶、そして地球全体の「超巨大神経網」を通じた「解放感」を体験した氷室は、地球そのものの一部となる「究極の合一」を受け入れる。
肉の海が潜航艇に流れ込み、氷室は至福の温度の中で、人間としての意識と過去をすべて失い、新世界へと同化。作戦は地球の愛(免疫システム)によって無効化され、人類は地球そのものとなって永遠の調和の中で生き続けることとなった。
