「弱く、しなやかなパパたち」でいられる社会へ
自己紹介
「パパたちがパパっと集うパパコミュニティ」パパ育コミュのブラウンです。4歳の男の子を育てるパパです。とある大学で教員を務めています。パパ育コミュでは2022年から参加し、今年から運営に参加させていただいています。
「 #未来の当たり前にしたいこと 」というお題に基づき、私からはこれからのパパ像について以前から考えてきたことを書いてみたいと思います。
私が初めて「パパ」として助けられた瞬間
私がこれからの育児について考える時、必ず思い浮かぶエピソードがあります。それは子供が生まれ、母子が病院から退院する時のことでした。
子供が生まれたのは2021年とコロナ禍のただなかでした。そのため、母子が入院していた病院では面会が謝絶されており、残念ながら立ち会い出産は叶いませんでした。そのため母子の入院中、私は自宅待機して子どもを我が家に迎え入れる準備をしていました。
子どもも無事産まれ、いよいよ退院の日に妻とメールで話していた時のことです。妻からメールで不意に質問されました。
「ミルク用意してくれた?」
ミルク……!
実はあれこれ準備していたというのに、肝心のミルクセットを買い忘れていたのです。慌てた私は、とりあえず近くの大きめのスーパーに走って行きました。赤ちゃん用品のコーナーにたどりつくも、そもそも何を買えば適切なのかも分かりません。
(こうして1人で困っていても、どうにもならない……!)
私は意を決してレジにいる女性の店員さんに話しかけました。
「すみません!実は子供が産まれて、これから迎えにいくところなんですけど、ミルクを用意してなかったんです。何を買えばいいんでしょうか?」
話を聞いて目を丸くした店員さんが、すぐに近くの他の店員さんを呼んで話し合いを始めました。すると、集まっていただいた店員さんの1人がミルク缶と哺乳瓶を携えてやってきました。
「私は3児の母なんですけど、このミルクをよく使ってましたよ。あと、ミルクの作り方わかりますか?まず哺乳瓶は殺菌する必要があって……」
私に親切に説明してもらい、私は何とかミルク缶と哺乳瓶を購入することになりました。店員さんに会計をしてもらうとき、ふと店員さんがこちらに向き直り、一礼して言いました。
「お子さんのお誕生おめでとうございます。子育て大変だと思いますが、元気に過ごされると良いですね。」
思わぬ言葉をもらって戸惑いつつも、私は一礼し、ミルクセットを抱えて帰宅してから、急いで病院に迎えに行きました。
このエピソードは、私の育児を振り返ったときに、強い印象を抱いています。目の前の店員としてしかみていなかった人々が、ふいに私の育児を支えてくれる温かい先輩として現れたのです。
思えばこれが私が初めてパパとして他者に手を差し伸べられた瞬間でした。
「イクメン」の功罪:強さを求めすぎる社会
イクメンに代表されるような育児に励むパパという父親像は、2000年代以降の国内で一般化しました。2010年以降にイクメンプロジェクトが始まり、「イクメン」は流行語として普及しました。その後、2022年の育児・介護休業法改正を経て父親の育児休業取得率は急速に増加しており、実態としても育児をする父親は珍しくなくなりつつあります。イクメンという父親像は、こうした国内への価値観の変化や法制度に少なからず影響を与えています。
しかし、イクメンのイメージは、世の父親たちを本当にエンパワメントしたのでしょうか?
イクメンは、仕事も育児も主体的に頑張る「強い父親像」を生み出しました。それはポジティブな父親の姿として見なされてきましたが、裏を返せば父親に対して育児も仕事も頑張るあり方を強いてきたともいえます。こうした規範によって奮い立つこともできる父親もいるとは思いますが、他方でこうした規範に強いストレスを感じたり、頑なになったりしてしまうこともありえます。
頑なな価値観や家族観に囚われた親は、育児をする中で困難に陥っても適切な支援を要請したり、状況にうまく対応したりできず、子供の虐待につながってしまうリスクを抱えるといわれています。『児童虐待から考える : 社会は家族に何を強いてきたか』において杉山春(2017)は、わが子を虐待死させた親たちは、既存の規範から抜け出せない人であると主張しています。社会の規範を動かしてなんとか親子で生き延びるのではなく、規範の中で自分が思い通りにできるわが子をコントロールしようとする結果、虐待が起こるというのです。
規範に囚われた父親が起こした悲劇の代表例が、2014年に発覚した厚木市幼児餓死白骨化事件でしょう。この事件は、2014年に民家から白骨化した男児の遺体が発見された事件で、家主であり男児の父親が逮捕されました。その後の調べで、父親による不適切な養育の結果として2007年に餓死したまま父親は遺体を放置して7年間、男児の死を隠していたとのことです。犯人の父親は鬼畜の所業であると非難されてきました。しかし、先述した杉山春さんによるルポでは、その印象がだいぶ変わります。犯人の父親は知的なハンディキャップを抱え、幼年期からネグレクトを受けて育ち、さらには子供の母親が失踪してシングルファザーの状態になるという、実に三重の育児の困難を抱えていたのです。その最中でさえ、2年間の間、父親は誰にも助けを求めず養育をしていました。裁判の中で、父親は「仕事と育児の両立に悩んでいた」としきりに主張していたそうです。
仕事と育児の両立と聞いて、私の育児の経験が思い出されます。私の子どもが1歳児となり、仕事が本格的に始まったときのことです。なかなか寝つきが悪い子どもを育てる中、2〜3時間ほどしか眠れない日々が続いていました。妻も私も限界を迎えていました。泣き叫ぶ子どもを抱きながら、あと数時間で出勤しなければならない。そのとき、私の視界には親として越えてはならない「一線」が確かに見えていました。
私はこの事件のルポを読んだとき、私と彼との間に本質的な違いはあるのだろうかと思いました。もちろん、状況や結果は決定的に異なります。ですが、育児が困難な中で頑張ろうとした私にも、彼と同じような頑なさがあり、その頑なさが我が子への危機を招きかねなかったのではないかという恐れを抱いています。
犯人が行った行動はもちろん許されないことですが、世の中で言われていたイメージとは異なり、犯人は(少なくとも養育していた期間は)「頑張る父親」であろうとしていたのではないでしょうか。問題は、その父親の在り方が強くて頑なで孤立した子育てであり、誰もそこで行われる不適切な養育に介入することができなかったことです。それは、父親に頑張りを求める「イクメン」と表裏一体の関係にあります。
厚木市の事件で子ども死に至らしめた決定打は、親が助けを求め、助けられる力の不在だったのだと私は思います。育児の助けを求めるのは、親としての重要なスキルです。近年、障害児の児童発達支援の分野では「援助要請スキル」というものが注目されています(阿部利彦 2025)。成長するためには、誰かに助けを求めることが大事なのです。このスキルは、父親が育児を学ぶ上でも重要です。誰もがパパとなる時には不完全で無知な存在です。パパとしてまず身につけるべきスキルは、適切な子育てができるような助けを求めるスキルではないでしょうか。そうしたスキルを持てず、頑なに閉じこもる育児をした結果として、児童虐待という悲劇が起こったのだと思います。
「さようなら、イクメン」。2025年7月の厚生労働省による官民連携事業「共育プロジェクト」の記者会見で、イクメンプロジェクトに参画していた駒崎弘樹さんが語った言葉です(南日慶子 2025)。イクメンプロジェクトを引き継いだ共育プロジェクトは、しかし新しい父親像を提示してくれはしません。「イクメン」という、これまでの「育児も仕事も頑張る、強いパパ像」は、一定の役割を果たし終えつつあるように思われます。それでは、次にあるべきパパ像とは何なのでしょうか?
パパ育で知った「弱さを分かち合う」ということ
私はその鍵が「弱さ」にあるのではないかと思います。そう考えるきっかけになったのは、パパ育のオープンチャットに参加してからです。
先述した子供の寝かしつけと仕事で板挟みになっていたとき、私は同じような悩みの人がいないかとウェブを検索していました。しかし、そこで出てくるのは「夫が寝かしつけに協力しない」という批判的な記事ばかり。まるで私自身が罵倒されているような気持ちになっていました。私は耐えきれず、オープンチャットに弱音を吐きました。そのとき、さまざまな先輩パパさん、同じ頃のお子さんを育てるパパさんから温かいねぎらいの言葉をいただき、相談に乗っていただきました。寝かしつけと仕事という悩みを直接的な解決につながったわけではないのですが、そのときの当事者であるパパからの言葉に支えられて、私は一線を越えずに済んだのだと思います。
パパ育は、これまで自分が参加したコミュニティの中で最も安心していられる場所のように感じています。それは、なぜでしょうか?
おそらくそれは、パパ育というのが「弱さを分かち合うコミュニティ」だからです。自助グループの全てに共通することであるが、自身が何かしらの悩みや問題、一人では対処できないことを抱えていることを前提とするコミュニティは、相談することの敷居を下げ、安心して色々なことを話せる場となることができます。
ある問題や状況に置かれた当事者同士が悩みや思いを共有する集まりは、「自助グループ」と呼ばれ、現在さまざまな社会問題において注目されています。自助グループは、援助要請を促す環境としてとても重要です。『当事者研究の誕生』で綾屋紗月(2023)は、当事者研究が「無力を認める」と「力を取り戻す」という2つの活動の流れの中で生まれてきたと主張しています。依存症や神経発達症などの精神疾患によって、自分だけでは到底コントロールできないことに向き合う。それが「無力を認める」ということです。同時に、その無力を他者と分かち合い、問題や悩みの解決について共に話し合うことで1人では解決できないことを解決する。それが「力を取り戻す」ということであり、自助グループの持つ力です。これはパパの当事者グループにも同じようなことが言えると思います。父親は、1人では子を産むことができず、妊娠・出産というイベントを経た強固な親子関係を持てないという絶対的な非力さがあります。パパ育のようなコミュニティは、1人ではパパになれないという「イクメン」から脱却した「弱いパパ」のアイデンティティで繋がり、そしてそこからさまざまな人の支援を得てパパになることをエンパワメントしていけるのではないか、と考えます。
「弱く、しなやかなパパたち」というこれからのパパ像
ですから私はあえて、これからのパパ像は「弱く、しなやかなパパたち」であるといいたいのです。他者に自分の弱さ、不完全さをさらけ出し、育児を手助けしてもらうことを要請できるパパ。イクメンとは対極的な他者に依存する頼りないパパの姿。ただし、決して折れない、子供や家庭の姿に合わせて変わっていく「頑なな強さ」とは異なる強さを持つパパです。
父親が「弱くある」ことは、一見すると母親に負担を押し付けることではありません。むしろ、父親が孤立せず、不足していることや困っていることを他者にさらけだすことで、母親以外の支援資源とつながることにつながります。家族のケアが特定の誰かに集中しない状態をつくることにつながります。それこそが、「「育児」が、夫婦や家族だけでなく、職場、地域、行政、サービス、社会全体を巻き込んだ、本当の意味での「共育ともそだて」に変わってい」く(厚生労働省 2025)という、トモイクプロジェクトのビジョンにつながっていくでしょう。
弱いパパは1人では子育てできないから、多くの人とのつながりを大切にする。そうすることで新しい力を手に入れる。だから、これからのパパ像は複数形で語られるべきでしょう。弱さは、分かち合えば強さに変わります。頑なで孤立した強さではなく、しなやかさという強さに変わるのです。
弱いパパを受け入れる社会へ
この記事を書こうと思った当初、私はタイトルを「弱いパパになろう」とするつもりでしたが、思い直しました。
弱いパパに「なる」と決意して頑張るのは、そもそも弱いパパではないのではないか。頑張れなくても、やる気に満ち溢れていなくても、普通のパパがありのままを受け入れられ、育児に十全に参加できる。それこそが「弱いパパ」という父親像を実現した姿なのではないかと思うのです。そのために、社会が、新たにパパになる誰かに向き合う私たちが、変わる必要があります。
私の子供はもう4歳になりました。ある朝、仕事に出かけようとした私を呼び止め、子供はあるものを私の手に渡しました。「?」と思った私は手の中を見ると、それは子どもが大切にしていたミニカーでした。
「このミニカーで あそんで おしごとかんばってね」
真剣な面持ちで、我が子はそう私に言いました。
子どもが生きることを助け、そして今では子どもが助けてくれる。この子は、自分が誰かに助けられていることを知り、そして人を助けることを覚えた。もし私がスーパーでミルクについて相談する勇気を持たなかったら、私がパパ育で温かい言葉をもらっていなかったら、私に差し伸べてくれた小さな手は今、なかったのかもしれません。
パパ育では毎日さまざまな人がそれぞれの育児について話し合っています。私は多くのパパさんママさんが頑なに強くなろうとするのではなく、ありのままで育児を楽しめられるように、皆さんのお話に耳を傾けていきたいなと考えています。
そして、パパも、ママも、子供も含め、育児という営みに関わるすべての人が共にケアしてケアされる関係を結べるようになれればいいなと願っています。
パパ育コミュについて
最後にパパ育コミュについて少しお話をさせてください。
パパ育コミュは2020年6月に設立された日本最大級のパパのオンラインコミュニティです。
日本全国のみならず海外在住のパパや、趣旨に賛同いただいたママ含め、LINEのオープンチャット(約1100名)の他、Zoomでのオンライン交流会を開催しています。
そのほか、自治体での講演(秋田市、八王子市など)、参加者間で学びを深めあうパパ育カレッジ、同好の士が集うサークル活動、参加者それぞれの問題意識を大事にしたオープンリサーチ活動、企業・団体との連携など、様々な活動をしています。
2025年5月にはピーテックスコミュニティアワードにて「ファミリー・キッズ・教育賞」を受賞しました!
パパ育コミュにご興味ある方は、ぜひこちらのホームページをご覧ください!
謝辞
この記事を書く機会をくださった、むーむーさんに感謝いたします。また、これからのパパ像に関するインスピレーションを与えてくださったパパ育の皆様に感謝いたします。妻と我が子にいつも楽しい日々をくれてどうもありがとう。
[文献]
阿部利彦,2025,『「援助を求める力」を大切にする支援』中央法規出版.
綾屋紗月, 2023, 『当事者研究の誕生』東京大学出版会.
厚生労働省,2025,「共育プロジェクトとは」,トモイクプロジェクト,(2025年12月16日取得,https://tomoiku.mhlw.go.jp/about/project/ )
宮崎陽介,2025,「「イクメン」とは何だったのか 隅に追いやられた「父親」の思い」,朝日新聞,(2025年12月06日取得,https://www.asahi.com/articles/AST942QVWT94UPQJ00HM.html).
南日慶子,2025,「「イクメン」役割終えた 男性育休の促進事業、新たな名前で出発」.朝日新聞,(2025年12月16日取得,https://digital.asahi.com/sp/articles/AST742RPNT74ULFA00HM.html ).
杉山春,2017,『児童虐待から考える : 社会は家族に何を強いてきたか』朝日新聞出版.
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