未確認物質X
わかったふりもできなくて、わからないとも言えない感覚。私の幼くて拙い本当の言葉がずっと何にもなれないまま呼吸を繰り返している。
いつも、どうあっても、地球の音が美しくて空は優しい。
ある日、私の五感が途絶えたとしたら私は何を求めるだろうか。何を感じるのだろうか。
そんなことを度々思う。
実感していたようでしてなかった人生。一で十を感じるような気持ちになりやすいせいか、すぐに満足してしまう。そこに届くことはないということがわかるからだろうか。
そこに囚われてしまうことから逃げたいだけなのかもしれない。
どっちとも言えるし、どちらでもない気もする。
どっちらけな心がいつもむず痒い。
ただの感覚に過ぎないにもかかわらず、一丁前に何かを得た気分になってしまう。飽きるほども続けていないのに、そんな気持ちになってしまう自分にがっかりしてた。
現実とはなんなのだろう。
はてな はてな。
はてなだらけ。
わかんないことだらけだ。だったらもう何もわかんないまま死にたい。もう感じたくない。
あやふやまみれのグレーな空は、入道雲と青空のコントラストに憧れっぱなし。そのくせ輪郭のない自分を気に入ってたりするからタチが悪い。
降るか降らないか判らない雨の気配を持ったまま、どこへでも行けるような顔をしながら横になり、どうにもならないことを「どうにかできないか」などと考える。
そんなことを繰り返しながらどこにも向かわない一日を終え続ける。
何度も空を眺めては忘れ、また新しいものを見つけたかのように眺め、自らが作り出した幻のことを想う。
記憶の中にある、なぜだか忘れられない空。
あれはほんとに現実だっただろうか。
小さな小さな石ころみたいな記憶。
どんな服を着る日でも、ポケットの中にあるその石を転がしている。すぐに忘れてしまうけど、つい癖のように触れてしまう。
そうしているうちに、何のために触れているかも解らなくなった。
何の意味があるのかさえも考えたくない。
エゴに包まれた無意識を捨てたくないという
別なるエゴか。
それでも、この小さな無駄が何故だか手放せない。今の私には必要らしい。
無目的なままポケットに忍ばせて、あるのかないのかわからないくらいの存在感のそれと一緒に、私は今日も生きている。
人とも物とも生き物とも上手に付き合えない私。
何と連動してるのかもわからない。
物質ですらないくせに、いろんなものに形を変えて現れる謎のソレとは何故かうまくやれているので、手放せないでいる。
たまに「何でこんなのが入ってるねんっ!」となる時もある。でもやっぱりコロコロしちゃう。
そもそも私に本音はなくて、なんなら言いたいことなど何もないのかもしれない。
怖いこと、苦手なことまみれの人生だけど、とりあえず生きているし、動いてるし、食べてるし、なんだかんだで子供達と笑っているのだから、ありがとうでしかない。
物心ついた頃から苦楽を共にしてきた絶望と一緒に、些細なことにビクつきながら、小さな幸せに感謝して、泣いたり笑ったり悩んだり怒ったり落ち込んだりしながら目の前を生きる。
満たされることもなく、1ミリも浮きそうにない夏だけど、足の裏この地球にくっつけてお日様に手をかざしてる。
意気込めるほどの元気もないけど、全部この心で感じて生きてやるという気持ちはどこまで絶望しても消えることがない。私が私で生まれ生きてる限り、自分の言動はシンプルに自分のものだ。良くも悪くもわかりやすい。
わからないことはわからないし、
いらないなら忘れるし、必要なら忘れない。心の動くように生きるだけ。
さて、無性にスイカが食べたい。
でもスイカ無いから、キュウリを食べる。
スーパーへ行きました。
スイカも買ったった。
夕方だったからか、いつもより暑さが和らいでいて、夏の終わりを感じさせる空気だった。(昨日の今日でもう言ってる)
近いほうのスーパー行くつもりだったけど、なんだかどこまでも行きたくなり、ちょっと遠いほうのスーパーまで行くことにした。
緑多めの道を選びながら走っていると、百日紅とノウゼンカズラの花が所々に咲いてい流のが見られて、なんだかそれだけでとっても嬉しくなれた夕刻だった。
2025.8.2
