NPD劇場―鏡の声|第五幕
鏡台は私の顔を重く、鈍く照り返す。
転んだ私は、曇った鏡面を眺める。
裂けた裾は、理想の舞台が破られたことを静かに物語る。
砂風が、頬を撫でながらさらさらと通り過ぎていく。
「誰が」──鏡の奥で、低く響く。
そう、何かが噛み合っていない。
衣装係は、破れた裾を見て、固い顔をする。
鏡に映る口元は、演技の失敗を知っていたかのような冷たい色。
おもむろに、衣装と何かを話しはじめ、涙を流す。
砂風は、熱気を帯び絡みつく。
「誰が」──鏡の声が揺れた。
そう、衣装係が、よくないのだ。
私は、失敗は衣装にあることを告げる。
その一言は、衣装係が理想舞台の破壊者であることを語っていた。
衣装係は、あきれ顔で何も言わない。
砂風は、砂漠へ去り、空っぽな静けさだけが残る。
「そうだ」──鏡の声が軽やかに放たれる。
そう、これでいい。
解説
物語は楽屋の鏡台から始まる。主人公(私)が舞台で転び、裾を破った場面に続き、鏡の奥から「誰が」という声が響く。この「鏡の声」は、NPDにおける理想自己教の教祖の声である。神(理想自己)を代弁し、信者(自分自身)に正しさを示す(参照:教祖も信者も自分──NPDという自己完結型宗教)。ここで主人公は、自分の失敗や衣装係の涙という現実を直視するのではなく、鏡の「誰が」という声に従い、責任の所在を外部に向けることしか頭にない。この鏡の声の繰り返しは、NPDの他責思考を象徴している。最後の「そうだ」で、責任が衣装係に確定され、安心と自己正当化が完成する。
あとがき
この幕では、衣装係が衣装と会話し、涙を流す場面が描かれました。非NPDであれば、涙に対し「共感」や「同情」に意識が向かいます。しかし主人公(NPD)の視点では、この涙は「責任を認めた証拠」として処理されます。ここに不条理さが際立ちます。NPDにおいては、他者に共感できないため、涙が持つ多義的な意味(衣装への同情、衣装を壊された悔しさ、あるいは自分の至らなさへの自責など)は削ぎ落とされ、「責任の承認」へと都合よく単純化されます。この場面では、NPDの「他責思考」「白黒思考」「共感力の欠如」が同時に作用し、過剰で歪んだ反応として描かれています。衣装係が抱いた理不尽さが伝われば幸いです。
