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NPD劇場―偽りの舞台|第六幕

舞台袖から、一人の若い役者へ目を向ける。
私は、彼の演技を知っている。
評判のいい役者だが、理想の舞台には、まだ相応しくない。
軽く声をかけ、けん制する。
彼は、いつものように笑顔で応えた。
その笑顔が、私の心をざわつかせる。

舞台が始まり、照明が私を照らす。
理想の舞台が、静かに進んでいく。
役者に光が当たり、客席から視線が注がれる。
唐突に、彼は叫んだ。観客へ向かって、私の知らない台詞で。
次の瞬間、頬に砂風が吹きつける。
そして、歓喜の声が彼を包んだ。

暗い楽屋で、私は彼に聞いた、なぜ勝手なことをしたのかと。
彼は、「台詞が逃げ出したんだ、客は喜んだろ」と軽く笑った。
「騙されている」──鏡がささやいた。
私は、彼を蔑み、観客を哀れんだ。
そして、誤解を解き、理想の舞台を取り戻すことを誓った。

そう、これでいい。


解説

主人公(私)は、若い役者を見下している。彼の実力を認めているがゆえに、それを直視できず、見下すことで優位性を保とうとする──これはNPD特有の心理構造である。本番、役者はアドリブ演技を披露し、理想の舞台は破綻する。しかしその演技は、観客の喝采を浴びた。だが、主人公の関心は観客の反応ではなく、役者の“逸脱行為”にしか向かない。NPDは、他者の感情に共感できないためである。さらに、役者の意味不明な言い訳が、主人公の蔑視を深め、見下しを強化する。しかし同時に、「なぜ理想を外れた演技が喝采を受けたのか?」という疑問も生まれる。そこへ、鏡の声が「騙されている」と告げる。主人公はそれにより、「観客が誤解しているのだ」という理解に至り、理想の演技の正当性を守り抜く。そして最後には、「さらに磨き上げた理想の演技こそが彼らを救う」という、倒錯した確信へと収束する。

あとがき

この物語では、一人の役者のアドリブ演技が喝采を浴びたにもかかわらず、主人公が「観客は誤解している」と結論づける過程が描かれます。非NPDであれば、「なぜその演技が受けたのか」「何か学びがあるのではないか」と、健全な自省へ向かうところです。しかし、NPDはそうはなりません。観客は“救済されるべき存在”であり、“自分こそがその救済者である”という、倒錯した確信に至るのです。これは、自分の正しさと現実のズレを埋めるために編み出された幻想です。そしてこの幻想こそが、現実においてパワハラやストーカー行為を駆動する力にもなっています。「相手のために」という名目のもと、相手の意思をねじ曲げてでも自らの理想に従わせようとする──その背後には、「自分は正しい」という、理想自己への強い信仰心が潜んでいるのです。



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