NPD劇場―別れの朝|第十三幕
砂漠は晴れ渡り、朝の日差しが窓から差し込む。
机の上に開かれた台本が白く反射する。
若い役者が、入ってくる。
「忙しそうですね」
私は、台本から目を離さない。
「そうでもないわ。……話って何?」
日差しの強さが、その日の暑さを予感させる。
その役者は、椅子に腰かけ、話はじめた。
「新しい劇場、知ってますか」
私は、台本を追うのを止め、彼に目を向ける。
「もちろん、知ってるわ」
立ち上がり、窓を開ける。日差しが眩しい。
「……決めたのね」
役者は、苦笑いしながら、うつむく。
「まあ……そうですね」
私は、窓の外を眺め、目を細めた。
「変わりはいるから、好きにしたらいいわ」
木漏れ日の中、鳥のさえずりが響きわたっていた。
役者は、黙って部屋を立ち去った。
足音が、廊下の暗がりに溶け込んでいった。
私は、窓からの風を感じながら、目を閉じた。
「そう……変わりはいるから」
砂漠からの熱い風が、台本のページをめくった。
解説
若い役者が、劇場を去る意思を伝える。そのとき、NPD(自己愛性パーソナリティ障害)の主人公は、「変わりはいるから」と冷たく言い放ち、感情を見せることなく、窓の外を見つめる。この態度は、一見すると動じていないように見えるが、実際には、NPDによく見られる相手の脱価値化である。期待した自分は間違っていたという事実を認める代わりに、相手を見下すことで、自分の正しさを守り、安心を得ようとする。それは自己防衛というより、構造的な反応であり、本人にとっては“自然な処理”でさえある。もちろん、前幕で主人公が古参の役者と意気投合し、劇団の再建に手応えを感じていたことも、この余裕の態度に影響しているだろう。主人公にとって、役者は舞台を共に創るパートナーではなく、代替のきく舞台の部品でしかない。この幕は、去る者への共感のなさと、その憎らしさを自己正当化で塗りつぶすという、NPD的世界の典型的な断絶の風景を描いている。
あとがき
この幕で若い役者は劇場を去る意思を伝えますが、本当に、最初から「辞めるつもり」だったのでしょうか?彼の言葉は、「忙しそうですね」「新しい劇場、知ってますか」と、どこか曖昧で探るようなものです。おそらく、別の相談──たとえば新しい題目の話──をしに来た可能性もあるのです。しかし、主人公はすかさずこう言います。
「……決めたのね」
NPDに見られるこのような「決めつけ」は、主導権を握るための反応です。共感力の乏しさから、相手の感情の揺れを受け止められず、代わりに「こうに違いない」という自身の感情を相手に『投影』し、安心を得ようとします。そして、「私はあなたのことを分かっている」という優越感とともに、対話の余地は閉ざされてしまうのです。本当に辞めたかったのか。彼はこの言葉で、覚悟を決めさせられたのかもしれません。
