NPD劇場―灯の消えるまで|第十二幕
劇場の古い小部屋に、古い役者たちが集まる。
ランプの灯が、私の影を壁に映し出す。
テーブルを囲む役者たちは不安そうにその影を見る。
彼らは、次の演目を尋ねてきた。
古参の役者がつぶやく――客が入らないので新しくしたいと。
砂嵐は近づきつつある、ランプの灯が揺らいでいる。
私は返す――客は誤解していると。
そして、彼らも返す――確かに客は笑わないと。
ランプの灯が、テーブルを薄暗く照らす。
私は嘆く――演技がまずいのだと。
そして、彼らも嘆く――確かに最近の若い役者はと。
ランプの灯が、壁の影を揺らす。
私は懐かしむ――あなたたちの苦労は知っていると。
そして、彼らも懐かしむ――先代はもっと厳しかったと。
ランプの灯が、隙間風で消えかかる。
私は憤る――若い役者を鍛えなければと。
そして、彼らも憤る――稽古が足りないのだと。
ランプの灯が、再び明るく輝きだす。
劇場の古い小部屋で、話は続く。
砂嵐が窓を叩き、ランプの灯が消えるまで。
そして、私は、次のリハーサルの準備を伝えた。
解説
舞台は、観客が減り続ける中、次の演目を決めようとする古い劇場の会議室。そこに集まったのは、長年この劇場を支えてきた古参の役者たち。彼らは「変えよう」とするが、NPD(自己愛性パーソナリティ障害)の主人公(座長)は、話題をすり替え、本質的な問題からの責任回避を計る。
新しい演題の提案は、「観客の誤解」「技術不足」「若手の未熟さ」「過去の苦労」、そして「稽古不足」へと、次々に話題がすり替えられていく過程で、巧妙なガスライティングが行われる(参照:やさしいNPD語講座──入門編:NPD構文)。そして最後には、「若手の指導」という、最初の提案からまったく遠い結論へと転化される。
主人公は責任回避に成功し、結局は何も変えず、何も決めず、何事もなかったかのように、「次の稽古の開始」を伝えただけだった。
あとがき
この物語では、NPDの主人公が、劇場という小さな組織を率いる「カリスマ座長」として描かれています。NPD的傾向を持つ人物が組織のトップに立つと、その強い自信と明確な物言いは、しばしば「カリスマ」として受け取られます。彼らは、場の空気を支配し、不満を封じ込め、“一枚岩”のような組織を演出することができます。
けれど、その「強さ」は、本当にリーダーシップなのでしょうか?意見の出しにくい空気、すり替えられる問題、沈黙する周囲――それは「正しさ」ではなく、「支配」によって成り立つ秩序なのかもしれません。NPDの人物がトップに立ったとき、組織は内部からゆっくりと劣化し、優秀な者は去り、残された者には、「顔色を見る能力」だけが求められるようになります。それこそが、NPD的カリスマの危うさであり、気づいたときにはもう、「変わらなかったこと」が、取り返しのつかない損失となってしまっているのです。
本作のタイトル「灯の消えるまで」は、NPD的ガスライティングを象徴しています。ランプの灯が揺れ、消えかかり、再び明るくなり、そして最終的に消えていく様は、ガスライティングにより現実認識が徐々に失われていく過程そのものです。現実はあるのに、誰も指摘できず、曖昧なまま事態が進行していく――それがガスライティングの怖さであり、NPD的リーダーシップの限界のかたちなのかもしれません。
