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再分配という、「究極の国防」を託すべき相手とは~宇野常寛氏の言説に寄せて~

こんにちは。パッショーネのFです。今回は再分配政策についての記事を公開します。



宇野常寛氏のビジョンへの共感と、その「先」にある問い

私は長らく宇野常寛氏の著作や言説を追ってきた読者の一人である。氏が提唱する「文化・社会的にはリベラリズム、軍事外交安保はリアリズム路線」に加え、「資本主義による自由な競争」と「徹底した再分配によるセーフティネット」を両立させるアーキテクチャ(設計)には、常に深い感銘を受けてきた。
特定の共同体や古い家族観による抑圧から個人を解放し、テクノロジーと社会設計によって「何者でなくても生きていける」場所を確保する。このビジョンは、現代社会において最も弱者が尊厳を持って生きるための、極めて理知的な福音であると確信している。

事実、宇野氏は現実的な外交・安保政策の必要性についても極めてリアリスティックな立場を崩しておらず、空理空論の平和主義とは一線を画している。しかし、一読者として氏の議論に首肯すればするほど、避けて通れない一つの「問い」が私の胸に去来する。

それは、このスマートな設計図を現実の政治空間で稼働させるための、決定的な「土台」についてだ。システムを動かすためのOS、すなわち「なぜ見ず知らずの他者のために、我々はコスト(税)を払うのか」という、人々の納得感の源泉をどこに求めるべきか、という問いである。

軍事費削減という「まやかし」の終焉

リベラル勢力やラディカルな左派が好んで用いる「軍事費を削って社会保障へ」という言説は、イデオロギーを抜きにしても、もはや数学的に破綻している。膨張し続ける日本の社会保障費(年間約130兆円超)の前では、防衛費を多少削ったところで、文字通り「焼け石に水」あるいは「雀の涙」に過ぎない。

この現実に目をつぶり、防衛予算を社会保障の打ち出の小槌のように語る不誠実な議論は、国家の存続というリアリズムから目を背けている点において有害ですらある。安保を軽視するリベラルも、再分配を渋る保守も、どちらも「国家の存続」という責任を放棄しているのだ。

再分配のガソリンとしての「開かれた」パトリオティズム再考

再分配を支えるのは抽象的な人道主義ではない。内閣府の「社会意識に関する世論調査」が示す通り、社会への貢献意識と国家への愛着には強い相関がある。「何者でもない隣人」を助ける動機は、私たちが同じ「日本」という空間を共有し、この社会を存続させたいと願う思いそのものである。
ここで私は、この思いの連帯の象徴としての、「開かれたパトリオティズム(祖国愛)」という概念を提唱したい。

「開かれた」とあるように、ここで言うパトリオティズムは、決して「純ジャパ」のみの特権ではない。日本をルーツに持たずとも、この国のルールを尊重し、共に社会を築こうとする「仲間の連帯」に基づく開かれた思想である。このアイデンティティを完全に捨て去った政治家に、血の通った再分配政策を設計できるとは到底思えない。

「排外主義への道」との指摘へのアンサー「最低限の連帯意識」

無論、この概念は歴史的に見て、非常に危険性の高いものである。
それこそ、「排外主義と隣り合わせだ」、という反論は当然だろう。
だが、あえて言わせてもらえば、例えば福祉分野において、最終的に各個人の生存を担保するのは、淡々と執行される行政サービスである。
この行政サービスを担保するものは、果たして何だろうか。もちろん、前提としての基本的人権の尊重は当然であるが、その概念を動かす燃料(ガソリン)は何だろうか。
そこに税金という莫大なコストを払うことへの、国民・市民間での合意形成はいかにして可能か。

それは、「同じ国・社会に住む仲間だから、よく分からんが、守る必要がある」という最低限の矜持と連帯意識ではないだろうか。
この意識(それは必ずしも、直接的なかかわりを必要としない)がない集団において、再分配政策が本当に可能なのだろうか。
「同じ社会に住む仲間だから、税金を払うことはムカつくけど、しなければいけない」という最低限の意識や理念を持たない人間が例えば政治家になったとして、繰り返しになるが、「血の通った再分配政策」を設計できるのか。この問いは、私にとって非常に重要かつ、捨てる事の出来ないモノなのである。

「リアリズムとしてのパトリオティズム」を奪還せよ

私が求めるのは、自律した個人の自由を尊重しつつ、その基盤としての国家を肯定する「新しいリアリズム」である。
「国家へのアイデンティティ」を否定する者に、私たちの生存を託すわけにはいかない。一方で、多様な個人の自由を認めない「古い保守」にも、未来は預けられない。

「この国に愛着を持っているからこそ、その中の誰もが、尊厳を持って生きていける仕組みを作る」
この当たり前の論理こそが、左右の不毛な対立を乗り越える唯一の道ではないだろうか。国家への愛着を最低限、有しているからこそ、その機能を最大化することができ、結果として、最もリベラルな目的と再分配を達成するための最短距離なのだと、私は考える。


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