明日はコミケですね(前設のぞく)。

コミケの新作、マニュアルのコピー本がやっとできました。

というか、明日からコミケですね。

自分は二日目からサークルで参加します。

自分の仕事も重なって、もっと早く終わらせるつもりがズリズリと引き伸ばしてしまいました。

今回の反省するところになりますが、なんとかコミケに行くまでにすべてを終わらせていきます。

軍資金をちょっぴり増資しました。今回は二日間出るので、紙袋も重くなると思います。


次の朝を迎えたら、いよいよ年末のまつりが始まりますね。



去年の冬コミの戦利品から。

自分たちの世代から少し昔のオタクと言われた人種には趣味をひた隠しにしなくてはならない冬の時代がありました。

それは今も根強く記憶に残っている「宮崎事件」が起きてから、冗談で済ませていた美少女同人誌を始めとし、多くのアニメファンが陰湿で凶悪性を持ったオタク族と周囲から白い目で見られるようになったからです。

宮崎事件の影響はマスコミが大きく取り上げ、コミケットの会場を俯瞰しながら、「ここに十万人の宮崎勤がいます」とレポーターが報じていたことを当時の人達は古い傷跡のように記憶に残していました。

みながおぼろげに覚えていたのはあの時のレポーターは東海林のり子だったということ。

しかし、この筆者のインタビューで東海林のり子はそのことをきっぱりと否定しました。

では、あのレポーターは誰だったのでしょうか。そもそも、あの報道こそ本当にあったのでしょうか。

この筆者は独自に取材を始め、関係者各位にインタビューをし、昨年9月にそのレポートをネットに公開したところ、大変な反響がありました。ネットのレポートはテキストが多すぎると完読率が著しく落ちてしまうので、かなり割愛されたものでした。

今回頒布されたレポートは宮崎事件が起きる前、起きた後の同人作家や純粋なアニメファン、コミケットの関係者たちに当時のことを振り返って、対談されたものです。

宮崎勤は死刑が執行されましたが、あの事件が起きてから、自分も学生時代は大っぴらにオタクな活動をすることを避け、同士たちと隠れるように楽しんでいました。

なぜ隠れていたのかというと、周囲が冷やかして見下してくるからです。

アニメや漫画を嗜むことは陰湿で性格の暗いやつがすることだとそういう趣味に貴賤を付けていたのが当時の価値観でした。これも宮崎事件と一緒に中森明夫がおたく族と名称をつけたタイミングで世間にわかりやすい目安がついてしまったからだと思います。

やっと空が晴れてきたなと思ったのが12,3年くらい前ですかね。若い人が宮崎事件を知らないというのなら、知らないままでも良いと思います。

当時の事件を知るものとして、一つの因縁が晴れるものだとするなら、ぜひ読んでほしいと思います。

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