見出し画像

「完成」を急がされるとき、私たちは何を失っているのか

 プロダクトづくりの現場では、マネージャーやプロダクトオーナーから「完成を早めてほしい」と言われることがある。判断や説明の責任を背負う立場として、その言葉が出てくるのは自然なことだ。

 現場は、その期待に応えようとする。言われた通りにとにかく手を動かし、まずは形にする。迷うより先に作る。結果として、確かに動きは速いし、アウトプットも早くなる。しかし同時に、少しずつしんどさが溜まっていく。早く動いているのに、どこか手応えがない。

 ここで一つ、立ち止まって考えてみたい。そもそも、完成を早めることは、何のためだったのだろうか。

 多くの場合、それは「早く終わらせたい」からではないはずだ。本当は、早くアウトプットを得ることで、その後の判断や調整をしやすくしたかったはずだ。手触りを確かめ、ズレを見つけ、必要なら方向を変える。その余地を残すために、早く作るのではないか

 しかし、この「その後に変えられる状態をつくる」という意義に、明確に気づいている人もそう多くはない。完成を急ぐ指示は、そのまま「完成度を上げること」だと受け取られやすく、結果として「余白」は削られていく。

 完成を早めるほどに変えられなくなってしまう("完成した" のだから)。早く動いているのに、試せない。正せない。これは誰かが悪いわけではない。完成を求める構造と、学習を活かそうとする営みが、すれ違っているだけだ。

 だからこそ、チームで思い出したい。完成を早める本当の意味は、その後に変えられる「余白」を確保することだった、ということを。


いいなと思ったら応援しよう!