夏のお別れ
施設を始めたとき、私は車椅子の方の支援をしたことがなく、
医療ケア者の支援もしたことがなく、
ただ、生活介護事業所を選択した以上、ものづくりの場に興味を持つ方は誰でも来られたらという思いではあったので大歓迎してお迎えした。
看護師は障害者と関わった経験がほとんどなく、障害者施設での勤務もうちが初めてではあったけれど、高齢者施設で様々なケアも行っていたり、
彼女自身の個性がとにかくやってみようどんとこい、だったし
医師のアドバイスを受けてのケアの実践の良いきっかけとなった。
リスク回避はもちろんするけれど、
彼女以降様々な人と出会う中で、
当然、医療ケアも、難病も、障害も、人それぞれ。
経験があるタイプの人だけを受けていたら、行き場が無い人がどんどん生まれてしまう。
ご本人、ご家族と我々の相性、活動の方向と本人の希望する過ごし方が一致したら、受けてみて歩み寄っていくしかない。
ということを身をもって経験し、一つの今後の指針にもなっていった。
根本的に私は非常に慎重なので、受ける姿勢をとりつつ特に最初は学校や保護者にたくさんの協力を求め、情報共有をして進めていくのは変わらないとしても、多様な支援の必要な方達がいる状態は、うちはやはり大歓迎だなあと思う。
彼女はできることがいくつかあって、それを組み合わせて商品作りに参加をした。上手く形にならないこともあったり、どこまでが彼女の意志で形になったものか、と言い難いものもあった。
それでも、ちゃんと筆や針や布を持ち、ひとつの動きをすることができた時、体の一部が形に作用したとき、彼女自身がやっていることをどう理解したのかは全く不明のままだけれど、二次的ー三次的にでも喜びを共有し、何よりアトリエのメンバーとしてこの場の一員であることは揺るぎないものになっていった。
そんな矢先での突然のお別れ。
10年20年を見越すことができなかったとしても、急なことでした。
朗らかに愛されて生ききった様に思う。
それでも残されたものはこれで良かったのか。彼女の人生は幸せだったのか。そして喪失感がある中で、作品や商品が生き続けること、彼女が生きた足跡が明らかに形になったことは、大きな意義があったんじゃないかと感じている。
限られた体で
表現を生み出すということだけが芸術では無いのではないかと
芸術は体験として、世界や社会、自分自身を探求する媒介である意味もあるのだと、
私の中に強く強く刻み込まれることとなった。
こどもたちの絵画が感覚遊びになることもあり、
もちろん素晴らしい表現になることもあるけれど、
彼女が仕事として短時間ながら担っていた作業への取り組みは
感覚遊びではなく、一瞬一瞬の意志的な行動であったように思う。
こちらが意図した結果にならなかったとしても、それは感覚体験で止まっていたのかもしれないし、意思が伝わっていなかっただけの気もする。
何にせよ、
芸術の意義を少しづつ見つけることができたのは本当に彼女のお陰だし、
お風呂に入って一人遊びをするのが支援の限界にもなりがちなのは痛いほどわかるけれども。
重度心身障害児者に芸術体験の機会を受け入れ側として提供するだけでなく、届けに行く様なことを改めて力を入れていきたいと真剣に考えている。
