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奇跡体験!アリガタイナー

ときどき、「これは間違いなく誰かが助けてくれた」と感じる出来事が起こる。

「運がいい」「カンがいい」だけでは説明がつかない、「有難いなぁ」と感じる出来事。

そういった類いの話は、世間ではスピ(スピリチュアル)と呼ばれ、人によっては嫌悪感を抱いたり、敬遠したりする。

このスピ系に対する嫌悪感や偏見を乗り越えて聞いてもらいたい話が、私にはたくさんある。

どうしたらそういったネガティブなイメージを抱く方にも読んでもらえるのか考えてみた。

スピに漂うネガティブなイメージは、風変わりで個性的な言動や装いの人が多い、見えない世界を盲信し過ぎて地に足のつかない人が多い、そういった人を利用した詐欺師やそれに近い人が多いという印象が関係しているように思う。

詐欺事件など、実際に目に見えない世界を利用する人間もいる。

また、盲目的になり過ぎてコミュニケーションが難しくなってしまうケースもある。

だからネガティブな印象を持たれてしまうのは仕方がない部分もある。

ただ、イメージはあくまでイメージだ。

一部のネガティブな事実で、ポジティブな側面にも触れずに生きていくのはとてももったいないこと。

ではどうしたらイメージを払拭できるのか。

親しみがありユーモアも感じる、スピに代わる言葉を用意できれば、かなり聞きやすくなるかもしれない。
そんな風に考えて思いついたのが、

#奇跡体験アリガタイナー  


「奇跡体験!アンビリーバボー」をもじってみた。

また、アンビリーバボーで取り扱っていそうな話、という意味も込めている。

我ながらいいアイデア!

皆さんからの評価はわからないけれど…ちょうどいいゆるさになった!と自画自賛している。

もしかしたら、ゆる過ぎてふざけすぎているように見えるかもしれない。

でもそれくらい気軽に読んでほしいし、もっとカジュアルにそんな話ができたら嬉しい。

スピ系の話は真偽不確かな上に「死」という重いテーマも深く関わってくる。

怪しく見えるという面を乗り越えたとしても、話すこと自体が不謹慎に見えるかもしれない。

ただ、「話してはいけないこと」にしてしまうのは違うと思う。

死を想うことは、今日をどう生きるかを考えることにも繋がる。

「メメント・モリ(死を忘れるな)」だ。

だから私は話したい。

もっと気軽に話したい。

終わりがあるからこそ、今日どんな気持ちで生きたか。

どんなことがあって、どんなことを感じたかを正直に。

ただ正直に話そうとすると、どうしても避けては通れない領域がある。

それがスピ系――もとい、アリガタイナーだ。

そんなアリガタイナーについても話していきたい。

私はこれから話すアリガタイナーについて、「信じてほしい」「絶対に正しい」と言うつもりはない。

本当にあった話として受け取っていただいてもいいし、「そんな見方もあるのか」と物語のように読んでいただいてもいいと思っている。

ただ、創作物を読んだときに「こんな風に考えると前向きになれるな」「こんな風に捉えると楽しいな」と感じる瞬間があるように、私の感じた世界を伝えることで、読んだ方の心に何か温かいものが生まれてくれたら嬉しい。

そんな願いを込めて書いていきたい。



🐼🐾



では早速。初回は超わかりやすいアリガタイナー。


毎年、年に一度だけ、夫の故郷へお墓参りに行く。

夫の故郷は車で片道3時間程度。

連休や希望休を思ったように取れない夫にとっては、なかなか気軽に行ける場所ではない。

ただ親類はみな離れた場所に住んでおり、人数も少ない。

お墓を管理できる人間は私たち以外にいない。

また、夫は長男の長男。

物理的にも、立場的にも責任がある。

しかし夫はあまり信心深いキャラクターではないので、「行けたら行こう」と呑気な考えだ。

「行けなかった仕方ないよね」というスタンスなので、私から声をかけない限り、お墓参りは日常の忙しさに追いやられて一生始まらない。

信心深い私は春がきた段階で「今年のお墓参りいつにしようか」とジャブを入れておく。

「そうだね〜」で話を終了させてくる夫に負けず、初夏にもう一度「お墓参りいつにしようか」と、脳みそにお墓参りというワードを無理やりねじ込んでいく。

しかし「お墓参りね〜」で終わらせてくる夫。

此奴こやつなかなか手強い。

夏になって「考えてる?いついく?休みとったら?」と具体案をねじ込み、袋小路に追い込む。

こんな感じでやっと夏の終わりや秋にお墓参りツアーが開催される。

ボーボーに伸びた草を刈った後に「たまにしか来れなくてすみません」と手を合わせ、無事今年も役目を果たしたとほっと胸を撫でおろす。

私がいなかったら夫のご先祖さんたちは、首をキリン級に伸ばして待つことになるんじゃないかと心配してしまう。

ある年、そんな貴重なお墓参りの前日、私はうっかりギックリ腰になってしまった。

ゴロゴロしてるときに夫に呼ばれ、不意に起き上がろうとした瞬間にギクーー!!!!っと逝ってしまった。

幸いにも、最大級の痛みには到達しておらず、ゆっくりだがギリギリ歩くことはできた。

とはいえ車の乗り降りすら怪しく、ほんの一瞬気を緩めたらもう1ミリも動けなくなる瀬戸際といった状態。

私から何ヶ月もかけてアプローチし、ようやく実現した墓参り、私に「行かない」という選択肢はない。

そ〜っと車に乗り込み、なんとか到着までの3時間で腰を休ませて墓参りに備えるぞと、冷や汗をかきながら遠い目で景色を眺める。

出発から1時間が経過。

とある峠の頂上を通過した。

しかし一向によくなる気配はない。

到着しても何もできないかもしれないという不安を押し殺しながら景色を眺める。

ただ、この辺りから急に頭がふわ〜っとしてきた。

心地よい眠りにつく直前のようなふわふわ感。

そんな感覚になり始めたあたりから徐々に痛みが和らいできたような気がする。

眠くなって痛みが和らいだのか?

それとも長時間座り続けて腰に負担がなくなったのか?

よくわからない。

座っているだけでも痛かったのに、どんどん痛みが消えてなくなっていく。

気のせいだろうか?

気のせいじゃなかった。

夫の故郷に到着して車を降りた私は健康そのもの。

数時間前のあの痛みはなんだったのか?

きっと長時間座り続けて腰が楽になったんだ!

とはいえまたギックリがぶり返すかもしれない、無理はやめよう。

と一瞬は考えたが、そんなこと言っていられない。

お墓周辺の草刈りをして、水道まで何度も往復してお水を運ぶ。

まぁまぁ時間をかけて汗だくでお墓を綺麗にした。

でも全然痛くない!

どういうこと?

夫の故郷はその日お祭りが開催されていた。

せっかくなのでお祭りも堪能した。

広い会場をスタスタ歩き、あれこれ食べて楽しんだ。

充実しまくった大変良い時間を過ごした。

でもやっぱりこれはもう確実に何かが起きている。

ご先祖様が「お墓参り来てくれたから特別にチート使ってあげるね」って言ってくれてるとしか思えない。

だって痛みが和らいだとかいうレベルじゃない。

完全なる無痛。ありえない。

兎にも角にもありがたすぎること。

心の底から感謝の気持ちで夫の故郷をあとにした。

そこから1時間半くらい経過。

何かを感じ始める。

夫の故郷を離れれば離れるほど違和感を感じる。

待て待て。

信じたくない。

いやこれは間違いない。

痛い!!!腰が痛すぎる!!!!!

それを自覚したのは、向かっている最中にふわ〜っと楽になり始めたあの地点。

峠のあたり。

ご先祖様のチートパワーは、峠を越えられないらしい。

家に着いたときは出発時と全く同じ状況。

なにこれ?

本当になにこれ?

その後2ヶ月、靴下を履くことさえ厳しい日々をすごした…。

ただこの出来事を振り返るたび思うのは、

アリガタイナー!!😭

あの無痛の時間がなければ、現地についても車からでることもできず、痛い痛いと言うばかりのただのお荷物になっていた可能性さえある。

アドレナリンが出てたとかそういう単純なことかもしれない。笑

でも私は誰かが助けてくれたんだと思って感謝して手を合わせている。

それでいいと思っているし、実際そうだと思っている。

信じる者は救われるんだから。


「ありがたい」
それは口にすれば、誰でもない自分自身が、穏やかで幸せな気持ちになれるあたたかい言葉だ。


🐼🐾

皆さんのちょっと不思議ないい話、アリガタイナーもよかったら聞かせてください。

最終的に「こんな体験できてありがたいなぁ」
「こんな気持ちにさせてもらえてありがたいなぁ」という体験であれば、ただの偶然でしょ?みたいなお話で大丈夫です。

私はそこに勝手に意味とロマンを感じてほっこりすのが好きなので。

気が向いたらぜひよろしくお願いいたします🙏

その際はいつでも見返せるように

#奇跡体験アリガタイナー  


使ってもらえるとアリガタイナー!



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