哲学:他人の目を気にする心理傾向

【人間は比較せずにはいられないものだ】

私たちは他人の目を気にしながら生きている。常に比較対象を気にするのだ。それは悪いことではないが、時折、その心理が新たな挑戦を邪魔することもある。

「みんなやってるのに!」「みんなと違う」と言いながら「みんなと同じは嫌!」とも言う。どちらにしろ自分を他人と比較するのだ。

問題になるのは気にし過ぎることだが、これは推論から生まれた結論の間違いに気づかないまま過ごすことにある。
それは、取り越し苦労や被害妄想、神経過敏、人見知り、人間不信などをもたらす。

比較対象する心は自分が標準かを測ろうとし、自分が劣等か優越かも測ろうともする。
これは生存や繁殖を有利にしようとする利己的な遺伝子の働きを満足させようとする心理でもある。それを取り除けば他人との比較は消去されるが簡単ではない。

「自分であること」を実践してみればわかるが他人との比較を完全に消し去ることは難しい。自分の価値にも影響される。

私は信念が何を生み出すのに適しているかということに価値を置いている。
そうしていても比較対象する自動的な心の働きをうまく消し去ることはできないが、人の目を気にする心理は消し去ることが可能だとわかっている。

人の目を気にしないことが、ヤケクソや自暴自棄やひねくれ根性、世捨て人、孤立などと同じにしないようにすることに注意がいる。

人間としての健常な心のまま他人の目を気にせずに自分の生き方に没頭できることが理想である。難しいが不可能ではない。

私は何を生み出すのに適しているかの実践によって優劣や成功や失敗、利益や不利益などの二項対立から離れることができた。その結果、人間としての見本だけが残ったのだ。手本にはならない。