【山奥AI研究所さん紹介記事】圧倒的な「器の違い」に直面した日。凡人が天才と出会った後の生存戦略
圧倒的な光を浴びて、自分の影の濃さに気づく
世の中には、想像を絶するスピードで駆け抜ける人がいます。 先日、60日で1000記事(1日約17記事!)という偉業を達成された、山奥AI研究所さんの記事を拝見しました。 さらに驚くのが、ご自身のお祝いなのに「1コメントにつき50円の寄付」をされるという懐の深さ。 すごい、すごすぎる。
↓1000記事達成記念チャリティーイベント概要↓

でも同時に、私の心には黒い泥のような感情が湧き上がりました。
「それに比べて、わたしってやつは…」という自己嫌悪です。 実は私も先日、固定記事1,000スキ&累計10,000スキという節目を迎えたばかりでした。 でもその時、私は自分の喜びをただただ叫んで、自分だけで噛み締めていたんです。 誰かに還元するなんて発想、恥ずかしながら1ミリもありませんでした。
ヤギはゾウの胃袋をうらやまない
「完全に人間としての器が違いすぎる」と、自分の未熟さを責めそうになりました。 でも、そんな風に自分の『性格』や『度量』を精神論で責めそうな時、私は動物たちの姿を思い浮かべます。 例えば、ヤギはゾウの巨大な胃袋を見て「自分はなんてちっぽけなんだ」と落ち込んだりしません。 それぞれの生態という『構造』に合った、無理のない生き方をしているだけなのです。
保育士時代、砂場で遊ぶ子どもたちを見ていても同じことを感じました。 大きなバケツを持ってきた子を羨むことはあっても、結局は自分の小さな手におさまるカップが一番泥だんごを作りやすい。 山奥AI研究所さんのような方は、他者へ還元するための巨大なエコシステム(構造)をすでに構築されているんです。 だからこそ、今は「器を大きくしよう」と焦るのではなく、自分の器のサイズと構造を正しく知る時期なのだと解釈しました。
しょうゆ皿の器で、泥臭く生きていく
頭では構造の問題だと理解できても、やっぱり悔しいし、自分のちっぽけさが嫌になります。 牧場の動物たちのためと言いながら、結局は自分の日々の業務や承認欲求で手一杯になっている自分。 でも、綺麗事を抜きにすれば、それが今の私のリアルな現在地です。 いきなり立派なゾウにはなれないし、すべてを包み込むような聖人君子にもなれません。
今の私の器は、まだお寿司屋さんの「しょうゆ皿」くらいかもしれません。 でも、しょうゆ皿にはしょうゆ皿の役割がちゃんとあります。 今は無理に器を広げるのではなく、その小さな器からあふれるくらいの「スキ」や「ありがとう」を、泥臭く集めていこうと思います。 圧倒的な器の違いに気づき、身が引き締まる思いを持てたこと自体が、ほんの少しだけ成長できた証だと信じて。
山奥AI研究所さん紹介記事はこちらです
あなたの「ちっちゃな器」エピソード、教えてください
誰かと比べて「自分ってちっちゃいな」と落ち込む夜は、誰にでもありますよね。 でも、そんな不完全で人間くさいところが、実は一番の魅力だったり、誰かの共感を生んだりするものです。 そこで、今日は皆さんにちょっとした質問です。
最近「わたし、器ちっちゃいな〜!」と自己嫌悪に陥った、具体的なエピソードはありますか? わたしは先日仕事をフォローしてもらったお礼にコーヒーと炭酸飲料水を買い「どちらがいいです?」と相手に選んでもらったのですがコーヒー選ばれてしまい(コーヒーが飲みたかった)「まじかぁ」と内心思ってしまうという本当にしょうゆ皿サイズの器です(笑) ぜひ、コメント欄であなたの「ちっちゃな器」エピソードを教えてくださいね!

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