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昭和の春の手ざわり――父の背中、野焼き、牛にお土産、桜

私の村にも憎たらしい愛すべき悪童がいました
けれど農家の子ですから、芽が出ていなくても
土の跡で分かりますので
農作物を痛める子はいませんでした

私もそんな一人です
1954年(昭和29年)頃の記憶です
もうすぐ小学校に上がる年でした

山火事のように燃やすのではなく
弱火で土手を炎が舐めるように
風下へ移動します

枯れ草と枯れ葉を焼いて
春の芽吹きを整える作業です
細い煙はどこか燻製と似てここちよく
村に幾つも野焼きの煙が立ち上ると
忙しくなるなと感じました

当時の私の春のおとずれの思い出です

牛にお土産、鶏と兎にもおすそ分け

たんぽぽはおひたしや天ぷらに出来ます
我が家では食べませんでしたが
6歳くらいの私も人が食べることのできる草と
理解していました

  • オオバコ

  • ハコベ

  • たんぽぽ

  • しろつめくさ

  • あかつめくさ

  • イネ科の植物だけど名前がわからない何か

今でもパッと目に浮かぶ、こういう草を見つけて
摘んで帰る子でした
うさぎは鳴かないですが
ぴょこたんぴょこたんと近寄ってきます

鶏は「ここここ」と声をあげて近寄ってきます
農家の子ですし牛は家族ですから
幼心に気持ちが通じ合う気がして
大きな瞳を思い出しては
草を摘みました
牛からすれば、味の違うおやつみたいな
ものでしょう。子どもが摘める量だから

父の田畑だけでなく、例えば川沿いの桑の木は
誰のものでもないから
蚕も食べるとしっているので
手が届く細い枝を折ってお土産にしたこともあります

冬仕事

農閑期は遊んだり体を休めると思うのですが
父はふだん忙しくて出来ない家事をしてくれていました

例えば、子どもが成長すると布団のサイズが
合わなくなります。父は布団のかわを縫って
綿を買ってきて布団を仕立て直してくれました

現代より服の布地が粗悪品もあったので
あて布をし、また着られるようにするなど
針仕事をする背中を思い出します

縫いながら、父が若い頃の昔話などもしてくれるので
TVや読み聞かせの代わりに父の思い出話で育ちました

空が見えない満開の桜

自宅から直線で200m先に小学校があります
木造二階建てです
父も通った歴史のある学校だから
小学校の周りは
フェンスの代わりに桜の大木が植えてあります
離れて眺めると淡いピンクが白く輝き幻想的です
大木の足元から見上げると
6歳の私の視界は大木の桜で埋まってしまい
青空が見えないほどでした

そう、野焼きで一度
収穫を忘れた小さなかぼちゃを私が見つけ
父が焼き芋のように焼いてくれ
食べた思い出があります

子どもの目線だと見えただけなのですが
野焼きのついでに焼いてもらった小さなかぼちゃも
今も目に浮かびます

物がない時代でしたがこう振り返ると
そして自分も子育てを経て
手をかけて育てて貰ったと思うことです


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