パンダに目を奪われ、自由を失う国になってはいけない
――ウイグルとチベットを知った上で、なお擁護できるのか
「中国とはうまくやるべきだ」
「現実を見ろ。対立しても得はない」
日本では、こうした言葉が“理性的”で“大人の意見”のように扱われがちだ。
だが、私はいつも強い違和感を覚える。
その“現実”には、ウイグルとチベットは含まれているのか?
ウイグルとチベットは「知られていない問題」ではない
新疆ウイグル自治区では、
強制収容
宗教・言語の抑圧
常時監視社会
が国際社会から繰り返し問題視されてきた。
チベットでも、
宗教指導者の否定
文化の同化
言論の抑圧
が続いている。
これは噂話でも陰謀論でもない。
国連、欧米諸国、人権団体が長年指摘してきた事実だ。
もはや
「知らなかった」
「よく分からない」
では済まされない段階に来ている。
中国は「人権」を価値として共有していない
ここが最も重要な点だ。
中国にとって人権とは、
国内では「国家の都合が最優先」
国外から指摘されれば「内政干渉だ」と拒否
つまり、
普遍的な価値としての人権を認めていない。
日本や欧米が前提としている
「個人の尊厳」
「信教・言論の自由」
とは、そもそも土台が違う。
この価値観の断絶を無視したまま
「仲良くすべきだ」
「刺激するな」
と言い続けることが、本当に現実的なのだろうか。
パンダ外交は“善意”ではない
日本ではパンダが来るたびに
「友好の象徴」
として歓迎ムードが広がる。
だが忘れてはいけない。
ジャイアントパンダの生息地は、もともとチベット高原を含む地域
現在、世界中のパンダはすべて中国政府の所有物
貸与という形で、政治的カードとして使われている
可愛い外見の裏で、
完全に計算された外交ツールだ。
感情を和らげ、警戒心を鈍らせる。
それが「パンダ外交」の本質だ。
「深く付き合う」ことの本当のコスト
中国との関係は、短期的にはこう見える。
巨大市場
安価な製造拠点
経済的メリット
だが、長期で見るとどうか。
技術移転を求められる
市場依存から抜けられなくなる
発言や報道の自己検閲が始まる
政治的配慮が常態化する
結果、
言いたいことが言えなくなる国になる。
これは仮定の話ではない。
すでに企業、大学、メディアで現実に起きている。
問うべきなのは「好き嫌い」ではない
私は
「中国が嫌いだから距離を取れ」
と言いたいわけではない。
問うべきなのは、ここだ。
価値観を共有しない国と、どこまで、どんな距離で付き合うのか。
ウイグルやチベットの現実を知った上で、
なお中国を一方的に擁護するのなら、
それは
「現実主義」ではなく
ただの無関心、あるいは思考停止ではないか。
おわりに
人権を軽んじる国と深く結びつくことは、
いつか自分たちの首を絞める。
短期の利益と引き換えに、
長期の自由と尊厳を差し出す――
そんな選択を、日本はしてはいけない。
現実を見るとは、
不都合な現実から目を逸らさないことだ。
あなたは、ウイグルやチベットの現実を知った上で、
それでも「中国とは深く付き合うべきだ」と言えますか?
