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男女に同じことをさせるのが、本当に平等なのか

現代社会では男女平等が進み、共働きがすっかり当たり前になりました。
家事分担も当たり前です。
男性が育休を取って育児に参加することも、最近では当たり前のことだそうです。

でもこれらって、本当に人間にとって当たり前のことなんでしょうか。

もちろん、それをやりたい人たちがやること自体は本当に良いことだと思います。
働きたい女性は働くべきだし、積極的に育児に参加したい男性もそうすべきです。

でも、
男女が同じように働く。
男女が同じように家事をする。
男女が同じように育児をする。

これらは、本当に全員が当たり前にそうすべきことなんでしょうか。
本当にそれが自然なのでしょうか。
本当にそれが人間にとって正しい形なのでしょうか。

■なぜ「男女どちらもできること」が正解になったのか

今の社会は、男女が同じことをできることを理想にしすぎているように感じます。

昔の社会では、「男は外で働き、女は家庭を守る」という固定的な生き方が強かった。
そして今は逆に、「男女どちらも仕事も家事も育児もできること」が理想になっています。

でもよく考えるとこの二つの社会は、見た目が違うだけで、やっていること自体は少し似ている面があります。

それはどちらも、社会が先に「正しい人間像」を決めて、そこに全員を当てはめようとしているという点です。

今の社会が言う男女平等は、かなりの割合で「男女が同じことができること」を前提としています。
でも、人間はそもそも同じではありません。

男女には性差があります。できることも違います。
スポーツだって男女で分けて戦わせないとゲームになりません。
それぞれで、得意なことも、嫌だと感じることも、関心が向くものも違う。
同じ男同士、同じ女同士でだって個体差があります。

だから本来なら、みんなが「同じように感じたり」、「同じように出来る」事なんてほとんど無いはずなんです。
それなのに社会はなぜか、「みんな同じことが出来るべき」と当然のように考えてしまっている。

これはかなりおかしなことだと思います。


■なぜ、別に働きたくない女性まで働かせようとするのか

なんで本当は仕事をしたくもない女性まで、無理して共働きで働こうとするのでしょうか。
子育てが終わったらみんな復職しないといけないんでしょうか。

もちろん、やりたい仕事や、やりがいのある仕事がある人は働けばいい。
生活費が必要だから働くのは、まあ、現代では仕方のないことなのかもしれません。

でも今って、そうではないところでも「働くこと」が正しさになってしまっているように感じます。

専業主婦は楽をしている、時代遅れ。
働いていないと対等に扱ってもらえない。
そんな目線が蔓延しすぎています。

でも実際には、女性の中には、外で働くことより家庭のことや子どもの世話をしている方がしっくりきたり、やりがいを感じる人もかなり多いんじゃないでしょうか。

そういう人たちまで、「でも働かなきゃ」「共働きが普通だから」と無理をしなきゃいけなくなっているなら、それは自由ではなく別の強制です。

今の社会って、昔の「女は家庭に入るもの」という押しつけを批判しながら、今度は「女も働くべき」という別の押しつけを作っているように感じます。

やりたいならやればいいし、出来る人は今まで通りやれば良い。

でも、正直やりたくなかったり、しんどかったり、向いていない人に「それが正しいから」と言ってやらせるのは正しいことなのでしょうか。


■なぜ育児に関心が薄い男性にまで同じ熱量を求めるのか

これも私はずっと引っかかっています。

育児を「手伝う」「関わる」「子どもと遊ぶ」「父親として役に立つ」なら、やりたい男はそこそこいると思います。

でも、
子どもの体調を見る、食事、睡眠、着替え、持ち物、病院、保育園、学校、行事、友達関係、生活リズム、細かい危険管理を全部見る。
その上で、何かあったら自分の判断責任になる。

この辺になると、多くの男にとって快感よりプレッシャーの方が大きいのではないでしょうか。

もちろん、男は子どもを愛していないわけではない。
でも、育児の細かい連続管理を「自分の主戦場」として自然に引き受けたい男は、全体としては少ない気がします。

だから「男も育児参加すべき」と「男が育児主体になりたい」は全然違います。

そういう男にまで、「母親」と同じような熱量の育児参加を求めることは、本当に正しいのでしょうか。

もちろん、育児が楽しくて仕方なかったり、気の利いた行動がどんどん浮かんでくる男は育児に向いているので、どんどん参加した方が良いです。
女側が育児が苦手な人の場合なども、男が積極的にやるべきです。

でもそれらはあくまでたまにある例外であって、
そもそも基本的に多くの男は、女ほど育児には向いていないのです。

これは人間に限らず、実は多くの霊長類もそうです。
そもそも妊娠や授乳が女性にしかできない時点で、それは生物的な合理性である可能性が高いです。

それに、全体の傾向として見た時、
女の方が男より育児に向いていることが多いのは、多くの人も薄々わかっていることではないでしょうか。
逆に、男の方が女より外の労働に向いていることも、同じく多くの人が薄々感じていることだと思います。

ただ、現代ではそれを口にした瞬間に、古いとか差別だとか言われるから、みんな見えていないふりをしている。

でも、社会がそういうふうに性差を無いことにしたところで、人間の中から本当に性差が消えるわけではありません。

育児や労働に向き不向きがあるのなら、向いている方が多く担えばいいだけです。その方が効率も良い。
そこを無理に五分五分にしようとするからおかしくなっているのです。

人間は、男女が全く同じ機能を二人とも全部持っていなければ成立しない生き物ではないはずです。
むしろ違うからこそ、組み合わせた時に助け合いや相乗効果が成立するんです。

社会常識とは、人間があとから勝手に作ったルールであって、本来の人間や生物の本質を捉えたものでは、必ずしもありません。


■そもそも、なんでそんなにお金が必要な社会になったのか

共働きが当たり前になった背景には、「共働きでなければ生活できない」という強い前提があります。

しかし現代社会は、一人の人間を育てるのに過剰な出費をかけすぎているように私は感じます。

生活費の高騰は確かにあるにしても、それ以上に大きいのが、私立・塾・複数習い事・大学進学といった「これをやって当然」という社会の圧です。

しかもおかしいのは、その「必要」とされているものの多くが、その後の仕事や人生にそこまで直結しないものばかりだということです。

大学で何を学んだかがその後の業務にほとんど関係ないことも多いのに、そこに数百万をかけて卒業したこと自体が初任給や社会的評価に直結してしまう

なぜそんなものに数百万を投じるのが「親として当然の義務」のような世界になってしまっているのでしょうか。
こういう社会の仕組みの方が、私はかなり歪んでいると思います。

しかも国が「大学無償化」を大々的に推進していることも、この空気をさらに強めているように思います。
それによって「大学はもう義務教育みたいなもの」という誤解が広がり、結果として「行かせないと親としてダメかも」というプレッシャーがさらに増大しているのではないでしょうか。

共働きが当たり前になった理由は、単に生活が苦しいからではなく、社会が勝手に膨らませた無意味な評価軸に、多くの家族が巻き込まれている状態だとも言えます。

少子化問題なども、こういった社会の間違った価値観が押し進めてしまっている側面はかなりあると思います。



■おわりに

私は、女性が働くことや、男性が育児をすることそのものを否定したいわけではありません。
やりたい人がやればいいし、向いている人が担えばいい。
おかしいのは、それが「全員にとっての正解」として扱われていることです。

今の社会は、男女が同じように仕事も家事も育児もできることを理想にしすぎています。
でも個々の人間は、どう見てもそこまで同じではありません。
性差もあれば、個体差もある。
向いていることも、自然に関心が向くことも違う。
それなのに、違いを無視して「どちらも同じことが出来ること」を当然の正しさとしてしまえば、無理が出るのは当然ですし、そもそも非効率です。
それらが多くの現代人を苦しめてしまっています。

しかもその無理は、「共働きでなければ成立しないほど金が必要」という社会の前提によって、さらに強められてしまっています。
そのお金は本当に必要なものだったのでしょうか。
その必要の中に、社会が勝手に膨らませた評価軸がかなり混じっているのではないでしょうか。

男女平等という思想は、一見とても正しそうに見えるので厄介です。

しかし、人間に必要なのは、全員が同じことを同じように無理矢理出来るようにする社会ではないと思います。
向いていることを向いている人が担い、役割分担して無理なく全体が成立すること。
私は、そちらの方がずっと自然で、本来あるべき姿だと感じます。

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