怒って叱って、時に謝る。そして娘の成長を待つ|子育てエッセイ
娘2才半。
子育てで、わたしが娘を怒る・叱る場面が増えてきた。
なぜ怒るのか。叱るのか。
日々考えていることを、思考の流れのまま書いていく。
例えば昨日、娘が陶器のマグカップを床に投げた。
麦茶が半分以上、入っていた。
娘は、夫が昔わたしに買ってくれた北欧ブランドのカップを気に入って使っている。
大切なものだよ、と伝えて、わたしは娘にそれを貸している。
それを、娘は床に落とすような感じで投げたらしい。
らしい、というのも、わたしは現場を見ていなかった。別の部屋にいた。
娘は夫と一緒だった。
夫によると、まず娘は、麦茶の入ったカップの底をテーブルにコンコンと打ちつけて遊び始めた。
夫は、それを注意した。
割れたら危ないよ、麦茶がこぼれるからやめて、と言ったんだと思う。
娘はそれが面白くなかった。持っていたカップをわざと床のほうへ持って行って、落とした。
娘は、さらに夫に叱られることとなる。
夫の叱り方は、優しいけれど語気が強く、声も大きくなるので、わたしも気付いてリビングに戻ったのだった。
娘は強情っぱりなので、怒られれば怒られるほど謝れなくなるし、ヘソを曲げる。夫にそっくり。
そっくり同士の意地がぶつかり合っているのを見ると、わたしは返って冷静になれたりする。
そして考える。
なぜ怒るのか、叱るのか。
行き着く先は、結局"コントロールしたい"というところ。
親であるわたしたちが、困らないように。
大変でないように。
疲れないように。
悲しいことが起きないように。
娘が危ない目にあわないように。
あらゆるリスク回避のために、わが子をコントロールしたい。
子どもは、本能で好奇心のまま生きてていい時代から、いつ人間として生きていくことになるんだろう。
自由とルールの境界はどこなんだろう。
どこなら許されるんだろう。
マグカップは、クッションマットの上に落ちたから割れなかった。
麦茶は、全部こぼれた。
夫は、危ないからダメなんだよ!と強く、何度も、聞かない娘に言い聞かせていた。
娘はどんどんヘソを曲げていった。
あの時の夫の声の強さには、でもそれ以外も含まれていたと思う。
こぼれたら麦茶を、大人が片付けるのは面倒だもの。割れたら尚更に。
わざとやられたら、そりゃ嫌だよ。
そう、やられて嫌なことをされたら当たり前に怒ろう。親だって。それでいいじゃないか。
怒り方や叱り方に、正解があるとするなら。
それはわが子を見つめて見つめて見つめて、わが子に合った伝え方を考え続けること、それ自体なんだと思う。そして、説得しようとしないこと。
娘は最初、カップをコンコンとテーブルに打ちつけて、楽しく遊んでいただけなんだ。
娘は叩いて音がするという遊びが大好きだから。見ていなかったけど容易に想像できる。
陶器だから割れるとか、麦茶入ってるから溢れるとか、娘には関係ない。
だからパパに注意されたのが不本意だったんだろう。
その後の娘の行動は、良くなかったけれど、
それはわたしたちにとって"良くなかった"だけであって。娘は不服を表現しただけ。
不服の表現は悪いことじゃない。むしろ成長の一つだ。
仮に。
カップが陶器じゃなくてプラスチック製で、わざと麦茶を大量にこぼしていたら。
夫はほぼ同じ熱量で叱っただろう。
空のプラスチック製のカップを、わざと床に落としただけなら。
夫はそこまで強く叱らなかったんじゃないかな。
あくまでわたしの想像だけど。
やってダメなことは、沢山あるんだけれど、
その一つ一つを丁寧にみていくと
単に親が面倒で、やって欲しくないことの
なんと多いことか… 。
夫は、強く何度も言い聞かせることで、娘に同じことをさせないよう説得を試みていた。
コントロールだ。
でも、残念ながら強く言い聞かせたところで、娘はまた同じようなことをするだろう。
わたしたち親は、それでも何度も言って聞かせるんだ。
わたしはわたしの許容と尺度と伝え方で。
夫は夫の許容と尺度と伝え方で。
あるいはその日の疲労度合いや、気分の善し悪しで、優しく諭せる時もあれば逆もあるだろう。
その時に、自分が絶対的に正しい立場から娘を怒り、叱れることなど一つもないのだということを、ずっとずっと忘れずにいたい。
夫にも、どんなことで叱っても怒ってもいいけど、自分だけが正しいとは絶対に思わないで、と伝えている。
あくまでも、娘の意思決定は娘にしかできないということを、忘れずにいたい。
その上で、人間らしく、嫌なことをされたら嫌だ、やめて!と怒る。相手は2才だから、なるべくシンプルに、短い言葉で伝える。
理性を保つ努力は怠らないけれど、タイミングが悪ければ機嫌だって悪くなる。ロボットにはなれないもの。
でも、自分の態度が間違っていたと気付いたら、必ず謝る。
そうやって、少しずつ社会のルールや人間の怒るポイント、謝ること等を、娘に伝えていけたらいいなと思う。
そして、わたしたちは娘の成長をひたすら待つ。
されて嫌なこと・困ること・危ないことをされたら、怒る、叱る。やめてほしいと伝える。
でも、説得は無意味だ。してもいいけど、ほとんど徒労だ。
お願いだから、やめてくれ。と思いながら
娘が成長とともに、自らルールに沿って行動するという選択をしてくれる日を、待つ。
その日まで待ちながら、日々怒り、叱る。
コントロール欲が思いっきり出ちゃう日もあるだろう。その時は都度内省しながら。
娘の成長と行動を待とう。
そうやって日々の変化を、喜びの種として育てているつもりで。
滑り台を一人で滑れるようになるまで、その成長を待ったのと同じように。
なるべく心軽やかに、騒がしくも楽しいわが家を作っていけたらいいな。
