【エッセイ】『ご自愛ください』で溢れればいい【言葉偏愛】
親知らず、抜いた。
私事ではあるが、最近歯を抜いた。
親知らず、というやつである。
僕の口内には、通常の親知らずとして生える四本の他に、左上にもう一本、こぶのような形で生えている五本目があった。
歯医者の先生によれば、それらは今のところ沈黙を守っているもののいつ痛みだすとも知れず、置いておいても役に立ちそうもないらしい。
働かざる者、食うべからず。
僕は自分の口の中にそんな親不孝者を置いておく余裕はないので、さっぱり抜いてしまうことにした。
◇
最初の日は左上の問題児たち。
麻酔を使った施術に、痛みはほとんどなかった。
ただ、先生が二本のうち一本にものすごく手こずっていて、色んな角度から全力で力を込め、そのために口の中がどうこうよりも、ほっぺたが裂けるのではないかということのほうが終始気がかりだった。
レントゲンを見るかぎり「特に問題なく抜けてくれるでしょう」と言われていたが、それすら怪しく感じられるほどの手こずりようだった。
施術後に、ひどく顔が腫れた人を知っている。僕も彼女のようなことになるのだろうか、と不安になる。
と同時に、なんだか『うちの子が、ご迷惑をおかけしております……』という種類の申し訳なさがふつふつわいた。
自分の子供が友達の家に遊びにいって、おもちゃをめいっぱい散らかしたまま帰ってきた時なんかはこんな気持になるのだろうかとか考えた。
抜けた歯は思ったよりも大きかった。
僕の親知らずは、親である僕も知らず知らずのうちにすくすく育っていたのだった。
「お大事に」
歯医者を出るとき、受付の人にそう言われた。
そのとき僕の脳裏にふと、ある言葉がよぎる。
『ご自愛ください』
この言葉にはじめて出会ったのはどこだったか。今はもう思い出せない。小説のはじっこか、あるいは美文字練習帳のなかだったかもしれない。
いずれにせよ、通常ではあまり使われていなくて。
『お大事に』によく似ていて。
『愛』という文字がつく。
この言葉がなんだかすごく、気になるのだった。
『ご自愛ください』の、矛盾。
『ご自愛ください』という言葉そのものは、矛盾していると思う。
ご自愛、というのはつまり、他のなによりも自分のことを優先するという意味だろう。AIにきくまでもない。
だからこれは、「自分のことを愛してあげて」と他人から言われているという状況になる。
矛盾。
矛盾というか、切迫している。
たぶんこれ、言われている当人は正気を失っており、白目をむいて、自分ではない誰かのために、何かしら常軌を逸した行動に及んでいる可能性すらある。
それを抜きにしても、『自愛』という響きにはなんだかナルシシズムに紐づくような忌避感があるのだろう。
だからこそ『自愛します』という言い方はしないのだし、だからこそ他人に言われるという状況に本当の意味があるとも言える。
「どうか、ご自愛ください」
「あんたがそこまで言うなら、そうだな。いっちょ自愛しますか」
とすんなり正気に戻れる場合もあるだろう。
◇
ところで、自愛する、とは具体的にいったい何をすることだろうか。
これを読んでいるみなさまも、ぜひ想像してみてほしい。
例えば風邪なんかをこじらせていれば話は早くて、単に安静にしてなにか温かいものを食べること、と言える。『お大事に』的、『ご自愛』。
僕の場合、読書や書くことはもちろん、アマプラで映画を観たり、The1975を聴いたり、日課の筋トレや、どこかへでかけて美味しいものを食べること、最近ハマっている赤ワインを飲むこと、あとはサウナや温泉なんかもそれにあたるのかもしれない。
だがしかし、ここで疑問にいきあたる。
親知らずを抜いた人間には『お大事に』=『ご自愛』の式は成り立たないのではないかということである。
『お大事に』の、真相。
歯医者で口の中が血まみれになる前、先生から、歯を抜いた日にやってはいけないことというのが言われた。
「アルコールを飲むこと」
「口の中を強くゆすぐこと」
「激しい運動」
「熱いお風呂に入ること」
……。
おわかりいただけただろうか。
僕の『ご自愛』がほとんど影も形もなくなってしまったのである。先生曰く、血行がよくなるようなこと、がダメなのだという。
ちょっと待ってくれ。
ということは残された、映画を観る、音楽を聴く、ということに関しても、エキサイティングなものやエモーショナルな、例えば『アベンジャーズ』『トップガン』『ファイトクラブ』『少林サッカー』『ゴジラ』『マトリックス』みたいな僕の好きな、さも血行がよくなりそうなものは避けなくてはならない。
『次の休み、ウイスキーでもたしなみながら、007シリーズでも鑑賞しますか』と僕は密かに『秘密ご自愛計画』とでも呼ぶべきものをこしらえていたのだが、これはもう、まるつぶれである。
007シリーズくらいなら、ギリギリOKな気もするが、主演のダニエル・クレイグが色んな意味で刺激的すぎるので、やめておく。
現状、数少ない休日。しかもその朝イチに歯を抜いたことを激しく後悔した。
何もするな。
それこそが、親知らずを抜いた者に対する『お大事に』の真相であった。
◇
しかし。
しかし、僕はこう主張したい。
この世の中は、もっと『ご自愛ください』で溢れればいいのではないか。
今の職場をみていても、そう思う。
みんながみんな、働きすぎである。
みんな、『自分』という愛すべき存在のうえに、職務、上司、お客さま、取引先、締切、をさも当然のように置いてしまってはいまいか。
もちろんそれらが大切じゃないと言いたいわけじゃないし、ましてや我が親知らずの如く、働かないのがいい、というわけでもない。
ただ、最も愛さなくてはいけない対象は、やはり自分自身なのであり、あくまで結果として、その自分自身とは別の存在としての他者への愛もまた芽生えるのではないかと思うのだ。
抜歯後の、やきとり。
僕はその仮説に基づき、歯を抜いた日の夜、やきとりを食べに行った。
「なんでも好きなものを食べてもいいですが、抜いたほうを使ってはいけません」
先生のこの忠告に、八方塞がりの『ご自愛』的一縷の望みを託した結果。
酒はなし、串に刺さった一口サイズであれば、顎の片側を使うことは比較的容易だろうという企て。
タレ、塩、といったようにだいたい知っている味で想像もつきやすいため、映画のように予想外のカタルシスで血行がエキサイトしすぎることもない。
加えてレバーなどにより、歯茎から失われた血の補充もできる。
考えれば考えるほど、やきとりというのは抜歯後の人間のためのものであるという気がした。
お店では月見つくね、ねぎま、キムチ豚バラ巻などをいただいた。
なかでもハツはこれ以上ないほど柔らかく、文字通り歯がなくても食べられそうだった。
まさに、自愛。
右側の顎だけを使う関係で、終始首をかしげながら食事をしなければいけなかったものの、たいへん満足のいく食事ができた。
◇
次の日、傷口の消毒のため、再度歯医者を訪れる。
「もう血は出ていないので、傷口がふさがりつつある状態です。ご安心ください。それでは消毒していきますので、一度うがいをどうぞ」
なんだ、こんなものか。
僕は親知らずを抜く、と聞いたときのインパクトとそれにまつわる風評や、腫れた顔の写真や、先生の忠告、それら不安と実際のあっけなさを比べ、のれんに腕押しの思いがした。
「いや、これはもしかして僕の自制心がなせるわざなのではないか」「普段から自愛を心がけているぶん、いざというとき自愛とお大事にをハイブリットさせることができたのだ」「いま初めて触れる傷口。……なんだ、もう塞がっているじゃないか」「この調子なら、あと3本も楽勝だな。次は『ジョン・ウィック』でも観るかな」
などということを、大口を開けながら考えた。
小さなカップに自動で供給される水で、口をゆすぐ。
すると、中でなにかぽろっと泳ぐもの。
吐き出す。
ちいさな、ちいさな、肉片。
ぎょっとして、カップに残った水で流す。
再度、舌先で口のなかをまさぐると、歯を抜いたところにぽっかりとした血の味がする穴があった。
あの肉片。
あの感触。
もしかしたら。
昨日のハツだったかもしれない。
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