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ミネストローネの家訓

18歳の冬。
母は、大学進学で上京するわたしに、ふたつの家訓を授けた。

ひとつ。働け。自分の財布を持て。
ひとつ。ミネストローネにはセロリを入れよ。

母に家訓としての心づもりがあったかは分からない。どちらも、わたしが勝手に自分の中にとどめ、「これを家訓にしよう」と決めただけのことだ。

結婚後に父が持病で倒れた際、母は父の死を覚悟したらしい。そして、思ったのだという。誰かに自分の人生を背負わせてはダメだ、舵取りは自分でしなくては……と。

脅しのような家訓の本質は、しかし当時のわたしにとって、いくぶんも理解できないものだった。こちとら、モラトリアム万歳期を直前に控えた18歳の乙女である。都会での一人暮らしを想像し、浮き足立っているというのに、仕事がどうとか、覚悟がどうとか。そんなことはずっとずっと遠くの未来の話だった。

専業主婦の時代もあったけれど、母は働く方が向いていたらしい。シュタイナー幼稚園の先生をしたり、高校の美術の先生をしたり、非正規の教員職を転々としながら、「家事よりずっとすきだわぁ、ずっと働いてた〜い」と、いつも楽しそうにしていた。

一方、堂々と「きらい宣言」をしていたのが、料理だ。食卓にはいつもお惣菜が並び、パスタの日は家族それぞれ好みのレトルトソースを選ぶ。そんな中、野菜がたっぷりとれるからと繰り返し作ってくれたのが、ミネストローネだった。トマト缶と一緒に野菜を煮込み、コンソメで味を整える。ソーセージがまるごと入っていて、プリッとした弾力を楽しみながらかじりつき、そのまま上品な酸味のあるスープを一口。スプーンで具材をすくうごとに、さいのめ状に切られたさまざまな野菜がきらきらと顔を出すので、なんだか宝箱みたい、と思ったものだ。

わたしはこのスープが好きだった。一人暮らしが決まったときも、作り方を教えてくれるよう願い出た。

「野菜はなんでもいいのよ」と、母は言う。にんじん、大根、玉ねぎ、キャベツ。じゃがいもや大豆の水煮も合うし、きのこもいい。サイズはこのくらいが食べやすかしらね、キャベツはこの芯の部分も入れちゃってね。野菜は少しとろけるくらい、じっくりコトコトね。そんなふうに、まな板で生中継する母の様子を、必死でノートにメモする。

「で、セロリは絶対に入れて。葉っぱまでね。これがコツ」


とっておきのレシピノートを引き連れて、意気揚々と東京で一人暮らしをはじめたわたしは、しかし一度もミネストローネを作ることがなかった。なにしろ都心の極狭賃貸だ。かろうじてコンロはふたつあったけれど、ごはんとおかずを優先すると、スープまで気が回らない。

そもそも10代ラストを忙しく駆け抜ける若者には、料理をする時間だってない。来るかどうかわからないあの人からのメールを、何度もセンターに問い合わせしなくてはならない(平成!)し、「わたしって価値のある人間なんだろうか……」と、人生にどっぷり悩まなくてはならない。じっくりコトコトなんてしていては、あっという間に青春が終わってしまう。

いじけたスープは、いつの間にかわたしの人生から姿を消してしまった。


同級生に少し遅れる形で職を得てからは、ますますミネストローネと無縁の生活になった。そのころにはすっかり料理が好きになっていたし、引っ越しをするたびにキッチンも広くなったけれど、今度は頭と心の余裕がゼロだった。

わたしは、びっくりするぐらい、仕事がへたくそだったのだ。

無相応に思える責任と、ひたすら追いかけている数字。わたしが触れたエクセルからは、定期的にエラーが吐き出された。ミスを取り返すための残業が、また別のミスを生む。

「まずは、エクセルと仲良くなるところからやって」

冷たく放たれた先輩のことばをかき集めては、握りしめる。恥ずかしさと情けなさで、からだがぎゅうっと縮こまった。安いお給料だったけれど、お金をもらいながら人に迷惑をかけていると思うと、消えてしまいたくなった。家訓は守っているのに、これでは舵取りどころじゃない。

学生時代は、勉強はできない方じゃなかったはずだし、賞状だって数えきれないほどもらった。誰よりも早く三重跳びをマスターしたし、卒業式で答辞だって読んだ。母はいつも、背中をポンっとたたきながら「やるじゃん」と褒めてくれた。その適当な言い方や手の温もりがうれしかった。

でも今は、何ひとつうまくいかない。仕事のために休み返上で必死に頑張っていたけれど、ちっとも出口が見えない。床には、幼少期からむさぼるように読んでいた小説の代わりに、ビジネス書やら自己啓発本やらが散乱していく。いつでも酸素の薄い部屋。

母に合わせる顔がなかった。


しかし、どれだけ仕事でへこたれていても、お腹は空く。あの夜もそうだった。終電で最寄りの駅まで電車に揺られ、そのままからだを引きずるようにして駅前のスーパーへ駆け込むと、蛍光灯がやけにまぶしい。疲れた目に、白い光が痛いくらいに差し込んできて、そこだけ嘘の世界みたいに思えた。

お弁当コーナーには人だかりができていて、みんな早足で目当てのものを選んでは、レジに消えていく。割引シールが貼られたオムライス。冷えた唐揚げ。見ているだけで胃が痛み、どうにも手がでない。あちこち売り場をのぞいてみるけれど、自分を満たしてくれそうなものはどこにもなかった。

駅前のスーパーは狭い。人がほとんどいない野菜売り場を通り抜けようとしたとき、ふと、売れ残りのセロリと目があった。1本、98円。

「で、セロリは絶対に入れて。葉っぱまでね。これがコツ」

ふと母の声がした——かどうかは怪しいが、少しの間、わたしはセロリから目が離せなくなっていた。そうして、思ってしまったのだ。

……ミネストローネ、作ろうかな。

考えが浮かんだ瞬間、つい笑いそうになった。ミネストローネを、今から? わたしが?

料理をする気力なんてない。家に着いたらすぐにごはんを食べたいし、一秒でも早く寝たい。それなのに、ミネストローネのことを思ったら、いてもたってもいられなくなってしまった。

買い物かごにセロリを入れ、ハーフカットのキャベツと、玉ねぎをひとつ足す。それにコンソメとソーセージ、カットトマト缶。思いがけない買い物に、冷静なわたしは「こんなの使いきれないよ」とひるんでいる。しかし現実では、冷静でない方のわたしがレジに向かって歩みを止めない。仕事用トートバッグに買った食材をそのまま突っ込んで、駆け出すように店を出た。

駅から家まで、徒歩12分。深夜の道をひとり歩く。歩いていると、バッグから飛び出たセロリの葉が鼻先で香った。スンと息を吸い込むたびに、蒼く、泣きたくなるほどに澄み渡った香りが、からだ中に広がっていく。なんて、いい香りなの。肩は重いはずなのに、不思議と気持ちは明るくなって、なんだかお腹のあたりがふわふわとくすぐったい。

周りに人がいなくなったことを確認してから、道路の真ん中を踊るように歩く。母が見ていたら、顔をしかめそうだ。想像するとおかしくて、わざとくるくる回ったり、ステップをふんだりしてみる。車のライトに照らされ歩道に戻り、また少しすると道路の真ん中で踊る。くるくる、くるくる。そうして、トートバッグの中のセロリを揺らしながら、いつまでもいつまでも軽やかに歩いた。



あの日以来、わたしの人生に、またミネストローネが戻ってきた。5年たち、10年たち、今でも作り続けている。母が使っていたコンソメの代わりに昆布で出汁をとり、ローリエをすべりこませ、塩で味を整える。野菜はそのときあるもので。もちろんセロリは欠かさない。お守りのように、たっぷりとだ。

セロリの香りにはリラックス効果があるらしい。その事実を知ったのは、鼻先でそうだと感じたあの深夜の帰り道よりずっとあとのことだったけれど、「やっぱりね」とわたしは思った。母は知っていたのだろうか。そうと知っていて、故郷を旅立つ娘に、セロリを授けてくれたのだろうか。


母のささやかな、しかし大切な人生のコツを思うと、いつでも背中に母の手の温かさを感じる。

仕事も、じっくりコトコトやっているうちに、いつからか楽しくなった。あいかわらずいつ沈むとも分からないような不安定さで、実入りは少ない。頼れる財布があるなら喜んで両手を差し出したいのが本音だけれど、母と話すと「よくやってる、あんたはちゃんと頑張ってるよ」と元気づけてくれる。

そうでしょう、そうでしょう。だって、あなたから譲り受けた、たったふたつの家訓だもの。どちらも、なんとか守り抜いているよ。




繰り返しミネストローネを作っているうちに、わたしはいつの間にか三児の母になった。子どもたちは、まだセロリが苦手なお年頃だから、具材にするのはちょっとした賭けのようなところもある。不思議そうな顔をして、カップの外に追い出されることも多い。今はまだ、それでいい。生きていれば、いつかこの香りに救われるタイミングが、きっと来るから。

湯気越しに、スープを食べている子どもたちを見る。まだ幼い彼らに、わたしはどんな家訓を伝えるのだろう。わたしが生きている間、しみじみ大切だと思ったこと。守ることで、きっと彼らの人生を支えてくれること。

今はまだ、それがなにかは決められない。いずれにしても、ミネストローネにセロリを欠かさないことだけは、しっかり伝えていくつもりだ。


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