効率重視の僕が、毎週1時間「踏切」に立ち尽くす理由。無駄の中にあった親の幸せ
子どもの習い事の待ち時間、皆さんはどう過ごしていますか?
車でスマホを見たり、カフェで本を読んだり、あるいは一度家に帰って家事を済ませたり。
それが「効率的」な大人の過ごし方です。
しかし、僕にはその選択肢がありませんでした。
毎週訪れる、お姉ちゃんのそろばん塾の待ち時間。
その「空白の1時間」は、効率を愛する僕にとって、かつては耐え難い「拘束時間」でした。
でも、ある日の駅前の踏切での気づきが、その退屈な時間を
「人生で尊い時間」へと変えてくれました。
これは、亡き祖母の記憶とリンクし、親としての喜びに気づいた日の記録です。

1. 毎週発生する「駅前での踏切業務」
逃げ場のないそろばんタイム
こねこ君が年長だった頃の話です。
お姉ちゃんが通うそろばん教室は、隣駅からほど近い場所にありました。
教室に送り届け、授業が終わるまでのきっかり1時間。
僕とこねこ君には、決まったルーティンがありました。
「お父さん、踏切行こう!」
駅のホームのアナウンスが聞こえる距離にある踏切。
そこが僕たちの待機場所でした。
お姉ちゃんが教室内でパチパチと珠を弾いている間、僕たちは外で駅の息吹のようなカンカンという警報音を聞き続けます。
大人にとっての1時間、子供にとっての1時間
1時間、踏切の前に立ち尽くす。
想像してみてください。
大人にとって、ただ立って電車を待つ60分間がどれほど長く感じるか。
スマホでメールチェックをすれば数分で終わる用事もありません。ただ、待つだけです。
「まだ終わらないかな……」
時計を何度も見る僕の横で、こねこ君の様子は正反対でした。
駅に吸い込まれていく上り電車への歓声
駅から吐き出されてくる下り電車への興奮
また警報音が鳴り始めた時の期待
彼は1時間ずっと、その情熱を一切冷ますことなく、次に来る電車を楽しみに待ち続けていました。 飽きる様子など微塵もありません。
「お姉ちゃんのそろばんが終わるまで」というこの時間が、彼にとってはかけがえのないゴールデンタイムだったのです。

2. 警報音が呼び覚ました、昭和の記憶
ある秋の夕暮れ、そろばんが終わるのを待つ薄暗い空の下でのことです。
いつものように「カンカンカンカン……」と警報音が鳴り響きました。
少し風が冷たくなり、僕はこねこ君の小さな手をギュッと握りました。
その手の温もりと、規則的なリズムで鳴る警報音が重なった瞬間、僕の脳裏に忘れかけていた古い記憶が鮮やかに蘇りました。
大好きだったおばあちゃんと、あの日の踏切
それは、僕自身がまだ小さかった頃の記憶です。
大好きだったおばあちゃんの家の近くにも、同じような踏切がありました。
僕はおばあちゃんの家に行くたびに
「電車見に行く!」とせがみ、
連れて行ってもらっていました。
おばあちゃんは、いつもニコニコして
「はいはい」と僕の手を引き、踏切まで歩いてくれました。
当時の僕は、今のこねこ君と全く同じでした。おばあちゃんの手を握りながら、来る電車に夢中になり、飽きもせず眺めていました。
もちろん路線は違います。
白と青の小田急線。
僕はその電車が大好きでした。

3. 祖母は「電車」を見ていなかった
その記憶が蘇った瞬間、僕の中にあった「申し訳なさ」と、ある「真実」が同時に胸に迫ってきました。
子供の頃の僕は、おばあちゃんも一緒に電車を見るのを楽しんでいるのだと思っていました。 でも、親になった今なら痛いほど分かります。
忙しい家事の手を止め、わざわざ踏切まで歩き、何本も電車が通り過ぎるのをただ待つ。 おばあちゃんは電車になんて興味はなかったはずです。
ましてや、今の僕が感じているように「足が疲れたな」「夕飯の支度があるのに」と思っていたかもしれません。
僕は、おばあちゃんを困らせていたのではないか。
しかし、目の前でフェンスにしがみつき、電車が来るのを全身で楽しみにしているこねこ君の横顔を見て、僕はハッとしました。
僕が見ていたのは、電車ではなく息子だった
今、僕は電車なんて見ていません。 「次は特急が来るかな!」と目を輝かせている息子の顔を見ていました。
彼の喜ぶ顔を見ているだけで、この退屈で長い1時間が、不思議と満たされたものになっていたのです。
そうか。あの日のおばあちゃんもそうだったのか。
おばあちゃんが見ていたのは、通り過ぎる車両ではなく、それを見て喜んでいる僕の顔だったのです。 彼女は、僕が喜ぶ顔を見るためだけに、自分の時間を削り、退屈に耐え、ただ手を握っていてくれたのです。
もう、お礼を言うことはできない
「お父さん、来た!特急電車だ!」
駅を通過する轟音と共に走り去る特急電車を見てはしゃぐこねこ君の声を聞きながら、思いました。 もう祖母はこの世にいません。
「あの時はありがとう。退屈だったでしょう」と伝えることもできません。

4. 妻の一言で気づいた「恩送り」のリレー
そろばんを終えたお姉ちゃんを迎えに行き、家に帰ると、お母さん猫(妻)が夕食の準備をして待っていました。
「あら、お帰りなさい。……どうしたの? なんだか少し、
しんみりした顔してるわよ」
お母さん猫は、僕の微妙な表情の変化を敏感に感じ取ったようです。
僕が「いや、待ってる間におばあちゃんのことを思い出してさ……」と事情を話すと、彼女は包丁を置いて、優しく言いました。
「私たちがこねこ君にしてあげていることって、そうやって誰かからしてもらったことの繰り返しなのかもね」
その静かな一言に、心がふっと軽くなりました。

【お父さん猫コメント】
息子の小さな手を握りながら、僕はその向こうに、かつて僕の手を握ってくれていた祖母を感じていました。
あの踏切の時間は、祖母から受け取ったバトンを、僕が息子へと手渡すために必要な時間だったのかもしれません。
今でもこの駅を使うたび、踏切の音を聞くと、あの日の温かい夕暮れを思い出します。僕にとってこの駅は、ただの通過点ではなく、親子の時間を育ててくれた大切な場所です。
駅をテーマにしたnote募集があったのでふと思い出して書いてみました。
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